明日からの小旅行にはタブレットを持参します。でも、タブレットからはブログ投稿ができません。壊れているので、一文字ずつしか表記できません。これでは言いたいことが書けません。docomoさんに修理を頼みに言ったのですが、ブログ元のgooさんに直接電話をして聞いて下さいとのこと。改善がなりませんでした。書きたいことが見付かったらメモ帳にメモをしておくことにします。でも、さぶろうはぐうたらで怠け者、旅行中はこれが度を増すでしょう。酒を飲んでだらりだらりしているきりで、たぶん集中ができず、書きたいことが何一つ見付からないかも知れません。もしも尋ねて来て下さる方がいたら、どうかこれまでに書いたブログを再読してくださいね。10年分は過去へさかのぼれますよ。
ここを独立させます。
人間が死ぬということを成仏するという表現で表したりします。でも、死ぬことが成仏することだとほんとうに考えている人は少ないかも知れません。死をわたしたちは恐がります。悲しみます。ここで終わりだと思ってしまいます。しかし、そうではなくて、死ぬことが成仏することだと分かったらもう恐がったり悲しんだり絶望したりはしなくなるでしょう。人間を死んで仏陀に成って生まれて行くのですから。こうやってわたしたちはアンビリーバブルな大転換を果たしていくのです。
で、もう一度、次の段落を生かしてみます。
1
「仏陀に成ること」が「成仏」です。生きている内に成仏をしたという悟りを得るのが禅宗門です。
2
生きているうちに仏陀に成るのが難しいのであれば、次へ行きます。
3
次は人間の肉体を死んだ後の世界です。ここ(後の世界)は涅槃界(仏国土)です。
4
物質世界ではないので、肉体は置いてくるしかありませんが、(わたしたちの本質は)決して死んではいません。
5
ここへ来た者は新しく生まれています。これを往生と呼びます。
6
ここは仏陀の国ですから、仏陀の説法をじかに聞きながら、その初め仏陀に成る稽古に励みます。
7
眠っていません。怠けてなんかいません。わたしたちは目覚めてフル活動をしています。
8
そしていよいよ仏陀に成った実践をすることになります。
9
この実践は凄まじい歓喜を伴いますので、わたしたちは自分の中で発電された電流電圧で光り輝きだしています。
10
わたしたちは当来にはこうして仏祖(仏陀)になるのです。
11
肉体を生きている今此処でそうするか、それができなかった場合には精神界の仏国土へ場を映します。そして成仏を果たしていきます。
12
ここまでは一本道です。わたしたちは仏陀に成るために人間に生まれて来たのですから、「仏祖の往昔は我等なり」です。
13
仏陀に成らずに、そのまま人間にとどまっているわけではないのです。
14
生きて仏陀に成れば、人間の肉体の死滅を恐がることはなくなるはずです。
15
生きて仏陀に成らずに、人間の肉体の死滅を、人間の死滅だと思って恐れてもそれはそれでいいのです。
16
わたしたちは次には大きな変化を遂げるからです。仏陀に成るという大きな変化を遂げていくからです。
17
死を恐れた分、それだけ次の世界(涅槃界)では大きな感動に包まれます。大きなよろこびに包まれます。
18
ここへ来るべくして来たのだという発見ができます。
19
肉体のときのわたしは肉体を使って助走をするためだったのだということが分かって来ます。そして大ジャンプをします。着地したところが涅槃界です。
20
わたしたちは何一つ間違ったりはしていません。正しい道程を歩いて来たのです。成仏をするとそれがはっきりします。
*
さぶろうはそう思っています。わたしたちはよみがえるのです。仏陀として蘇るのです。人間の復活ではありません。新しい仏陀のいのちを生きるようになるのです。出もね、人間界への愛着がありますから、人間界の卒業はやはり悲しいですよね。
仏祖の往昔は我等なり、我等が当来は仏祖なり。 曹洞宗経典「修証義」第2章懺悔滅罪より
*
お釈迦様(仏祖)ははじめから仏陀ではありませんでした。わたしたちと同じスタートラインに立っておられたのでした。わたしたちもスタートラインに立っていますから、いつかはかならず仏陀になっていくができるのです。かならずかならず。このために、わたしたちは人間として生まれて来たのですし、ここを出発地点として歩み始めたのですから。(いいかげんなさぶろうのいいかげんな解釈)
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1
「仏陀に成ること」が「成仏」です。生きている内に成仏をしたという悟りを得るのが禅宗門です。
2
生きているうちに仏陀に成るのが難しいのであれば、次へ行きます。
3
次は人間の肉体を死んだ後の世界です。ここは涅槃界(仏国土)です。
4
物質世界ではないので、肉体は置いてくるしかありませんが、(わたしたちの本質は)決して死んではいません。
5
ここへ来た者は新しく生まれています。これを往生と呼びます。
6
ここは仏陀の国ですから、仏陀の説法をじかに聞きながら、その初め仏陀に成る稽古に励みます。
7
眠っていません。怠けてなんかいません。わたしたちは目覚めてフル活動をしています。
8
そしていよいよ仏陀に成った実践をすることになります。
9
この実践は凄まじい歓喜を伴いますので、わたしたちは自分の中で発電された電流電圧で光り輝きだしています。
10
わたしたちは当来にはこうして仏祖(仏陀)になるのです。
11
肉体を生きている今此処でそうするか、それができなかった場合には精神界の仏国土へ場を映します。そして成仏を果たしていきます。
12
ここまでは一本道です。わたしたちは仏陀に成るために人間に生まれて来たのですから、「仏祖の往昔は我等なり」です。
13
仏陀に成らずに、そのまま人間にとどまっているわけではないのです。
14
生きて仏陀に成れば、人間の肉体の死滅を恐がることはなくなるはずです。
15
生きて仏陀に成らずに、人間の肉体の死滅を、人間の死滅だと思って恐れてもそれはそれでいいのです。
16
わたしたちは次には大きな変化を遂げるからです。仏陀に成るという大きな変化を遂げていくからです。
17
死を恐れた分、それだけ次の世界(涅槃界)では大きな感動に包まれます。大きなよろこびに包まれます。
18
ここへ来るべくして来たのだという発見ができます。
19
肉体のときのわたしは肉体を使って助走をするためだったのだということが分かって来ます。そして大ジャンプをします。着地したところが涅槃界です。
20
わたしたちは何一つ間違ったりはしていません。正しい道程を歩いて来たのです。成仏をするとそれがはっきりします。
*
さぶろうはそう思っています。
オクラがおいしい。軽く茹でて輪切りにする。細く細く。これに鰹節を1袋かける。酢と醤油を加える。箸で掻き混ぜる。掻き混ぜるごとに粘りけが強くなって、箸で摘まみ上げてももうこのねばねばの糸は切れない。口の中に押し込んでも切れない。唇の端から糸筋が長く長く延びている。これが絶品である。おいしい。とにかくおいしい。そこで我が家の畑でとれたオクラを毎日食べている。ねばねばはムチンというものらしい。
ここからは調べ物をした後に判明したことだが、ムチンは体内にもあって、口腔、腸管などの粘膜の表面を覆っている。これでウイルスの侵入を防いでいる。腸内では善玉菌を増やし悪玉菌を減らす。糖尿病を治療する役目もある。免疫力をつけてもくれる。なんだかいいことづくめのようだ。こんなに強力な正義の味方だとは知らなかった。
今日はお彼岸の中日、秋分の日である。お彼岸は到彼岸の行事である。秋分の日を中日として前後7日間、寺院では彼岸会が行われるので彼岸詣(ひがんもうで)をしたり、先祖の墓参りをしたりする。
今日の新聞のコラムはお彼岸のことが取り上げてあった。こんなことが書いてあった。「お彼岸は他の仏教国にはない日本独自の行事だそうだ。墓参りはしなくていけないものではなく、先祖を敬う気持ちがあるからこそ参るのだろう・・・わたしたちは命の根源になってくれた先祖の誰かが欠けていればこの世にはいない。(お彼岸の)墓参りは自分がなぜここに存在するのか確認する作業でもある。・・・わたしたちが無限の連関の中で生きていることを、彼岸の時期に思い起こしたい」
さぶろうは共感した。おおいに共感した。「わたしたちは無限の連関の中で生きている」。縦の時間軸にも横の空間軸にも、無限の連関(ご縁)に繋がって生きている。縦にも横にも、生かされ守られ助けられ合いながら生きている。これが切断されることはない。
今日は夜中に日本ラグビーがスコットランドと対戦する日。日本ラグビーが快挙を遂げたので、このところ日本中はラグビー応援ムードが広がっている。これからは中学・高校の課外クラブでもきっと人気が出ることだろう。真夜中なのでビデオに撮って見ることにする。五郎丸歩選手のキックが冴えますように! 世界中が二度続けて日本ラグビーの強さに驚歎されますように!
弟は熱が高く出ているようだ。電話の声すら熱っぽかった。うまい魚屋さんに行って有明海もののうまい魚が食べたいと言っていたが、実現できなくなった。日延べになった。もしかしたら再入院しなければいけなくなるのかもしれない。
(つまらないよね。こんな日記風なことを連ねても。でも、いまはこれしか書けない)
午前中の作業が終わったらすっかり汗を掻いていた。で、着ているものを脱いで、上半身を水に濡らしたタオルでごしごし拭き上げた。これですっきりした。お昼は喉の通りがいい素麺。それとおはぎの残りを一個。食事はなるだけ野菜から食べることにしているので、大根葉の一夜漬けと南瓜をいただいた。
空模様があやしいので、食後の休憩も端折って、急遽枯れ草を焼くことにした。怠けて日延べ日延べしてきたので、枯れ草が堆くなっていた。これをゴミ焼きの焼却炉(壊れていて煙突もない)で焼いた。湿っていてなかなか燃えなかった。段ボール箱や新聞紙の助けを借りながら、焼却作業を辛抱強く続けた。2時間を費やした。それでも終わらなかった。
さぶろうは今日はあれこれよく働いた。お金になることではないけれども。体を動かせるだけで、しかし、よしとしなければなるまい。ともかく元気でなければできないことだから。
早朝から外に出た。まずカリフラワーの苗を植えた。買って来ていた6株。土作りからしなければならないから、ほぼ一時間ほどかかってしまった。日が高くなって気温が上がってきた。暑い。家の北側の日陰に入った。ここの小径と花壇の草取りに励んだ。ミヤコワスレの花の列にもドクダミが蔓延っていて、これを根っこから掘り上げるのに手を焼いた。ミヤコワスレも掘り上げてしまった。これは捨てることにした。それがすんだら山になった草を運搬した。北側が見違えるほどきれいになった。満足した。ここでお昼のサイレンが鳴った。
雨になってしまった。降り出したのはちょうどサイクリングの途中。行きがけ。最初は小降りだったので、引き返す気にはなれなかった。駅まで4・5kmくらいあった。そこからさらに南下した。6kmくらい走ったところでとうとう雨がひどくなりだした。年寄りだから無理は禁物だ。引き返すことにした。ハンドルに取り付けている計器にビニール袋を被せた。休むわけにはいかない。ペダルを強く強く漕いで帰りを急いだ。帰宅したときにはシャツもズボンもすっかり濡れてしまった。機転を利かして、お風呂が沸かしてあった。筋肉の疲れを取ってあたたまった。