さっき書いたけど、父の最初の奥さんにはこどもが生まれなかった。ということは跡継ぎがない。さぶろうの家は本家だ。それで親戚中が集まって離縁にしたのかもしれない。二人は相思相愛だった。そしてさぶろうの母が後添いに収まった。これも親戚ご一同の計らいらしかった。(二人は遠い親戚の間柄だった)母は初婚である。父の写真だけをたよりに父が勤務している台湾総督府のある台湾へ向かった。キールンの港に父が迎えに来ていた。写真の人と一致する、この人が母が一生を添い遂げる人であった。結婚4年後に姉が生まれた。(4年も経つのでそろそろ離婚騒ぎになっていたらしい)その後4年して台北でさぶろうが生まれた。空襲の騒ぎの中で生まれたらしい。さぶろうは男の子、跡継ぎになる男の子だった。丈夫な子ではなくて困らせたらしい。戦争が終わった。和歌山の港に引き揚げ船が着いた。さぶろうは1歳だった。やがて4年年下の弟が日本で生まれた。
最初の奥さんには父は大層未練が残っていたらしい。離縁になってますます愛情を掻き立てられていたかも知れない。しかし、結婚するときに母の父からそこのところはしっかりと念を押されていたようだった。父は未練はないと言い切っていたのかも知れない。
それでともかく、(それでというのは離縁になったのでということだが)父は母と結婚した。そしてさぶろうたち3人が生まれた。もし、離縁になっていなかったら、さぶろうは、だから、この世に生まれていない。ということは、結果的にだが、父の最初の奥さんは、さぶろうたちのいのちの恩人と言うことになる。探し出してお礼を言いたいくらいだ。(もうとっくになくなっているだろうけど)縁とは不思議だ。さぶろうの母は生みの母、育ての母だが、もう一人ご縁の母がいたのだ。(幾重にも幾重にもご縁ご縁によって成り立っているのだ)
アメリカの医学者エリザベス・キュプラー・ロス博士の「死の科学」によると、しかし、母さんと父さんがセックスをしてこどもを作るのではなく、そこに身籠もったお母さんをこどもが選んであかちゃんになるのだという。(これは博士等の研究の退行催眠で分かったことらしい)だから、さぶろうは、今のお母さんが今のお父さんに嫁がなくても不自由はしなかったかもしれない。母が選んだ別の父の元で生まれてくればよかったからである。
これを書いておかないと、こどもはできなかったが夫婦愛を通されているカップルに顔向けができないようだ。こどもは受胎が決まった瞬間を見逃さずに、「あっ、このお母さんとお父さんのもとに生まれてこよう」と決めるらしい。そしてコウノトリのように大空からまっしぐらに飛び込んできてお母さんのお腹の中に入るらしい。(この日が魂の学校の入学式になり、それから魂が向上をするための修行実践をするらしい)
母を困らせたことにはなったが、父の愛した人に会ってみたい。あとで彼女はさぶろうの「ご縁の母」になるひとである。あの世へ言ったら会えるのかも知れない。人はグループを作って転生をして行くらしいから、案外懐かしいソウル・メイト(親しい魂の仲間)だったりするかもしれない。ご縁の母という母がいる。ご縁そのものが万物創造の母なのかもしれない。
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