子どもに ある種の 理想・希望を抱くことは悪い事ではないと思うが、
それが その子の個性や 能力とあまりにもかけ離れたことで、しかもそれをかなえなければならないと
子どもに 精神的・肉体的に 過度な苦痛を与える事は あまりいい事ではないなあと私は思う。
私は 未熟児で生まれ、まず命は助からないし、助かったとしても 何らかの後遺症や障害が残るだろうと言われた。
幸い 命が助かり、体は小さいし、発育の遅れや発達の遅れもあったけれど、
それは 未成熟で生まれたことの結果であって、いずれ追いつくと言われたそうだ。
2歳ころには 運動能力は 他の子どもより かなり劣っていたけれど、
歩くことはできたし、視力・聴力も異常がなかった。
文字に興味を持つのが早く、教えなくても 新聞を 父親に見せて、
「これは パの字」と 言ったそうだ。
親は 障害が残るかもと言われた子が 字を覚えたと 狂喜乱舞し 私が 読みたいと言った本は
必ず与えてくれたが これは 私が 自閉症で、文字にこだわりがあったからゆえの行動だったと思うが
当時は 誰も気づかなかったから、私は好きなだけ本を読んで 楽しんでいられた。
未熟児追跡調査、というのが 私が生まれた病院ではあり、毎年母に連れられて
運動やら 知能検査やらを させられたが、そこには 私と同じく未熟児で生まれて、
未熟児網膜症で視力を失った子や、肢体不自由の子など様々な子がいた。
私は そこで 障害、ということを 実態で感じることができたし、
人は 様々な 原因で 障害を持つことに なるのだなあと実感した。
私の 記録を 母が取っておいて 後に見せてくれたのだが、
運動面と 同年代の子どもとのかかわりには 問題があるものの、知的には問題がないどころか
優秀な部類に入る、とあった。それは あくまで知能指数、という検査の結果でしかなく、
実生活で あるいは 学習面で 優秀か、というのとは 別なのだが、母親は
「この子は できる子だ」と信じて疑わなかったから(何しろ大学病院の先生の言う事だからうのみにした)
学校に入って 私が 先生のいう事に従えなかったり、授業に集中できなくて 外をぼーっと見てて
学校の先生に 呼び出しを喰らうたび 叱られた。運の悪いことに 学校でも 知能検査があって、
一番は 誰もが認める 優秀児だったのだが、2番が私だった。なので どの先生からも
「できる能力が あるのに やる気がないし、教師を馬鹿にしている」と
しごきというか 居残りさせられたり 叱られたりした。
その頃は 知的に問題のない自閉症、というのは 日本でもあまり 知られていなかったようだし、
大学病院でも 私の 障害に気づいた先生はいなかった。
知能が 高いから 他の事もできるかといえば そうでない人も 大勢いるし、
知的に そんなに高くなくても 能力のある人は いくらでもいるだろう。
その人が 何の能力を 持っていて、それをどうやって引き出すかが 重要だと思うし、
できる力を持っているのに それを 埋もれさせてしまうのは 実にもったいないことだと思う。
私は 自分の子ども達を見ていて、どうしても できない事は たとえ誰に 勧められても 拒否したし、
できると 思えたことは、周囲が「絶対無理でしょう」と口をそろえても コツコツやらせた。
私にも 夢が いっぱいあったが、家庭の事情であきらめるしかないこともいっぱいあったし、
体が小さいことで、面接さえできないこともあった。私が 若いころは、面接条件に(身長150センチ以上の者に限る)と
入れていた ところもあったのだ。
でも 私は できない事、私を受け入れてもらえない所はそこで 見切りをつけ、その時その時で
自分にできる所、できる事、やりたい事を とにかく探して 挑戦していった。
だから 自分の子どもたちにも 障害が あるからとか、OOができないからとか、
そんなことの 一つや二つくらいで 自分の人生をあきらめてほしくなかった。
もちろん 一気に 理想到達、目標達成はできないから、
こつこつこつこつ、行きつ戻りつである。
あくまで これは 私の考えであって、人に「これこれしなさい」とか 押し付けたことはない。
聞かれれば 答えるし 本も勧めるけれど、あくまで 私と 私の子の 例であって、
全員が この方法で いいというものでもないだろう。何しろ私は
知識も 学歴も 資格も 経験もない ただの おばさんであって、
「何をなさって来た方ですか?」と聞かれても 何もない。
ただ 家族の世話をし、できる時はパートで働き、夫と 子どもを支え、自分の楽しみや趣味も楽しみ
気楽に 人生を楽しんできた ただの おばさんである。
病気が 二けたあるが、多すぎて 「何の病気ですか」と聞かれても
全部 覚えていないので 答えられない。軽快している病気もあるし 治す方法のない病気もあるので
病院とは 縁が切れないが、通院のスケジュールの合間に 自分の楽しみの時間も入れて
人生を 謳歌している。
病気が あって 先が見えなくて 落ち込んでいる人も いるようだが、
人生 健康だろうが 今が 順調だろうが 先のことは わからないものなので、
私は 各種病院の先生の「無理をしないように」との 言葉を はいはいと聞き流して
でも 体の様子は 自分で 管理しつつ 育児から 解放された今、
毎日 楽しく過ごしているのです。
脳に多数の病気があるので、ある日麻痺が起きるかもしれないし、
倒れるかもしれないし、
関節が 悪いので そのうち 動けなくなるかもとか
病院の先生は いろんなことを 言ってくるのですが
半世紀前に 「この子は絶対助からない。助かっても障害が残る」と断言した名医の言葉が
当たらなかったように、今の 医学が どうであれ、今後の私の 体がどうなるのかは
わからないし、医学万能というわけではないので、私は 沢山の主治医の言葉を聞いても
あまり 深刻には なっていないのです。
「一生文字の読み書きはできません」と断言された自閉っ子も、下手ではありますが
住所氏名かけるし 会社の書類も ちゃんと 読んでますしね。
ひきこもり3年半やって「こんな奴は ろくなものにならない」と 学校の先生や その他の方から 断言された 長男も
今 立派に 社会人やってますしね。
専門家の人の意見を聞くことで 安心する方もいるでしょうし、療育機関に行きたい方はいけばいいと
思いますが、誰かの意見を鵜呑みにして、目の前の お子さんの 可能性の芽を摘んでしまう事はしてほしくないなあと
私は思うのです。
知的に高い・低いで判断してほしくないですし。うちは 長男は知的に高くて 二男は知的障害がありますが、
どっちも 社会人として 自分の適性生かして 働いてますしね。
よたよた歩いてた 二男の方が 今は 長男より はるかに身体能力高いですしね。
数値だけでは 将来は わからない、ということだと思います。
それが その子の個性や 能力とあまりにもかけ離れたことで、しかもそれをかなえなければならないと
子どもに 精神的・肉体的に 過度な苦痛を与える事は あまりいい事ではないなあと私は思う。
私は 未熟児で生まれ、まず命は助からないし、助かったとしても 何らかの後遺症や障害が残るだろうと言われた。
幸い 命が助かり、体は小さいし、発育の遅れや発達の遅れもあったけれど、
それは 未成熟で生まれたことの結果であって、いずれ追いつくと言われたそうだ。
2歳ころには 運動能力は 他の子どもより かなり劣っていたけれど、
歩くことはできたし、視力・聴力も異常がなかった。
文字に興味を持つのが早く、教えなくても 新聞を 父親に見せて、
「これは パの字」と 言ったそうだ。
親は 障害が残るかもと言われた子が 字を覚えたと 狂喜乱舞し 私が 読みたいと言った本は
必ず与えてくれたが これは 私が 自閉症で、文字にこだわりがあったからゆえの行動だったと思うが
当時は 誰も気づかなかったから、私は好きなだけ本を読んで 楽しんでいられた。
未熟児追跡調査、というのが 私が生まれた病院ではあり、毎年母に連れられて
運動やら 知能検査やらを させられたが、そこには 私と同じく未熟児で生まれて、
未熟児網膜症で視力を失った子や、肢体不自由の子など様々な子がいた。
私は そこで 障害、ということを 実態で感じることができたし、
人は 様々な 原因で 障害を持つことに なるのだなあと実感した。
私の 記録を 母が取っておいて 後に見せてくれたのだが、
運動面と 同年代の子どもとのかかわりには 問題があるものの、知的には問題がないどころか
優秀な部類に入る、とあった。それは あくまで知能指数、という検査の結果でしかなく、
実生活で あるいは 学習面で 優秀か、というのとは 別なのだが、母親は
「この子は できる子だ」と信じて疑わなかったから(何しろ大学病院の先生の言う事だからうのみにした)
学校に入って 私が 先生のいう事に従えなかったり、授業に集中できなくて 外をぼーっと見てて
学校の先生に 呼び出しを喰らうたび 叱られた。運の悪いことに 学校でも 知能検査があって、
一番は 誰もが認める 優秀児だったのだが、2番が私だった。なので どの先生からも
「できる能力が あるのに やる気がないし、教師を馬鹿にしている」と
しごきというか 居残りさせられたり 叱られたりした。
その頃は 知的に問題のない自閉症、というのは 日本でもあまり 知られていなかったようだし、
大学病院でも 私の 障害に気づいた先生はいなかった。
知能が 高いから 他の事もできるかといえば そうでない人も 大勢いるし、
知的に そんなに高くなくても 能力のある人は いくらでもいるだろう。
その人が 何の能力を 持っていて、それをどうやって引き出すかが 重要だと思うし、
できる力を持っているのに それを 埋もれさせてしまうのは 実にもったいないことだと思う。
私は 自分の子ども達を見ていて、どうしても できない事は たとえ誰に 勧められても 拒否したし、
できると 思えたことは、周囲が「絶対無理でしょう」と口をそろえても コツコツやらせた。
私にも 夢が いっぱいあったが、家庭の事情であきらめるしかないこともいっぱいあったし、
体が小さいことで、面接さえできないこともあった。私が 若いころは、面接条件に(身長150センチ以上の者に限る)と
入れていた ところもあったのだ。
でも 私は できない事、私を受け入れてもらえない所はそこで 見切りをつけ、その時その時で
自分にできる所、できる事、やりたい事を とにかく探して 挑戦していった。
だから 自分の子どもたちにも 障害が あるからとか、OOができないからとか、
そんなことの 一つや二つくらいで 自分の人生をあきらめてほしくなかった。
もちろん 一気に 理想到達、目標達成はできないから、
こつこつこつこつ、行きつ戻りつである。
あくまで これは 私の考えであって、人に「これこれしなさい」とか 押し付けたことはない。
聞かれれば 答えるし 本も勧めるけれど、あくまで 私と 私の子の 例であって、
全員が この方法で いいというものでもないだろう。何しろ私は
知識も 学歴も 資格も 経験もない ただの おばさんであって、
「何をなさって来た方ですか?」と聞かれても 何もない。
ただ 家族の世話をし、できる時はパートで働き、夫と 子どもを支え、自分の楽しみや趣味も楽しみ
気楽に 人生を楽しんできた ただの おばさんである。
病気が 二けたあるが、多すぎて 「何の病気ですか」と聞かれても
全部 覚えていないので 答えられない。軽快している病気もあるし 治す方法のない病気もあるので
病院とは 縁が切れないが、通院のスケジュールの合間に 自分の楽しみの時間も入れて
人生を 謳歌している。
病気が あって 先が見えなくて 落ち込んでいる人も いるようだが、
人生 健康だろうが 今が 順調だろうが 先のことは わからないものなので、
私は 各種病院の先生の「無理をしないように」との 言葉を はいはいと聞き流して
でも 体の様子は 自分で 管理しつつ 育児から 解放された今、
毎日 楽しく過ごしているのです。
脳に多数の病気があるので、ある日麻痺が起きるかもしれないし、
倒れるかもしれないし、
関節が 悪いので そのうち 動けなくなるかもとか
病院の先生は いろんなことを 言ってくるのですが
半世紀前に 「この子は絶対助からない。助かっても障害が残る」と断言した名医の言葉が
当たらなかったように、今の 医学が どうであれ、今後の私の 体がどうなるのかは
わからないし、医学万能というわけではないので、私は 沢山の主治医の言葉を聞いても
あまり 深刻には なっていないのです。
「一生文字の読み書きはできません」と断言された自閉っ子も、下手ではありますが
住所氏名かけるし 会社の書類も ちゃんと 読んでますしね。
ひきこもり3年半やって「こんな奴は ろくなものにならない」と 学校の先生や その他の方から 断言された 長男も
今 立派に 社会人やってますしね。
専門家の人の意見を聞くことで 安心する方もいるでしょうし、療育機関に行きたい方はいけばいいと
思いますが、誰かの意見を鵜呑みにして、目の前の お子さんの 可能性の芽を摘んでしまう事はしてほしくないなあと
私は思うのです。
知的に高い・低いで判断してほしくないですし。うちは 長男は知的に高くて 二男は知的障害がありますが、
どっちも 社会人として 自分の適性生かして 働いてますしね。
よたよた歩いてた 二男の方が 今は 長男より はるかに身体能力高いですしね。
数値だけでは 将来は わからない、ということだと思います。
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