多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自閉っ子がコツコツ階段を上っていった頃の記録

2018-05-05 17:42:29 | 修業について
夫と 片付けをしていたら、自閉っ子が小学2年から3年の時の


連絡帳が出てきた。


2年生の頃は、排泄が 完全に自立し、


学校のトイレでも スーパーのトイレでも


排泄ができるようになった時期である。


食べられるものも 増えていき、


「食事と排泄」については 大きな問題が


減りつつあった時期である。


それに伴い、言葉への関心が増え、


読み書きのマスターへの努力を 自分でし始めた。


日記を 皆の前で 発表する事もあり、


以前は 先生に促されて ぽつりぽつり、で


終わっていたのが、自分で 話したい事を記憶し、


再現して 話せるようになっていった。


ただ 睡眠障害は 残っていた時期で、


「今朝は起きられず 本調子ではありません」と


先生に伝えた記録が けっこうあった。


気候の変化に弱く、遅刻や欠席があったが、


年々 頻度が少なくなり、回復への時間が短くなっていった。


突然の変化にも まだ弱く、先生の出張や


授業の時間変更などには 戸惑って固まってもいたようだ。


話言葉は割と流暢で、まとまった話ができるので、


先生方は 「これほど会話ができるのに、なぜこれはできないのだろうか?」と


疑問を持たれたようだ。


かかりつけの小児発達外来で、知能検査を受けて、報告した時の


記録もあった。ああ、この時に わざわざ知能検査を受けたのは、


私の説明だけではわからない、はっきりしたデータが欲しかったのだなと


思い出した。知能指数が 低いけれど、言語理解や 理解できる単語の数、


社会的常識は 同じ年齢の子どもに近いレベルにあった。


指示は理解できても、体がそれについていけない。


まだ目の弱さも 残っていたし、


過敏さも 残っていた。


先生方は このアンバランスな子どもに


どういう風に 教育していけばいいのか


何か データが欲しいと思ったのだろう。


その後 自閉っ子は 睡眠障害が治るとともに


心身共に 大きく伸び、様々な事に


チャレンジしていった。


小さくか細く、歩く事さえおぼつかなかった子、


なかなか眠れなくて、乳児期にはひきつけを起こすほど泣き、


呼吸困難になり、その度に 背中を叩いたり刺激を与えて


真っ青な顔が 早く元に戻るよう心配した子。


それが治ってからも、普通には眠れなくて、


夜中でも 平気で起きていた子。


おなじく 寝つきも寝起きも悪かった兄ちゃんの二人を連れて、


夜道を 歩いた事を思い出す。


田んぼのあぜ道、砂利道、川のほとりで


小石を拾って 投げて遊んだ。


夜の 道は 静かなのに、何か 不思議な雰囲気があり、


背中で眠る自閉っ子と 眠い目をこすりだした兄ちゃんと


家に帰り、そーっと布団に下した日。


それも、他の様々な事も、皆過去の「思い出」になった。


今 目の前にいるのは、二人の 「働く大人」であり、


「成人男性」である。


私の背を 越したのは 遥か昔。


そして 二人が 精神的にも 大きくなってから、


もう 何年になるだろうか。


家では 私と 夫を 支えてくれ


職場でも きちんと勤めを果たしている事を、


親として、また 同じ「発達凸凹」の仲間として、


うれしく思う。


今 子育て中の 親御さんや 支援に関わる方々に、


目の前の お子さんは 日々変化していく事と、


データや 過去の症例、診断名にとらわれず、


「この子はどういう資質を持っているのか」


「何に興味を持っているか」


「今 一番必要な事は 何なのか」を


お子さんの 様子から 導き出して、


お子さんが 毎日 イキイキ過ごし、


学びの時を しっかり持てるように、


支えてあげて欲しいと思います。


「文字の読み書きはできない」と 知能検査で判定された自閉っ子は、


読み書きをマスターし、洋画やドラマの字幕を理解して楽しみ、


電車の路線図を 読み取って 自分の行きたい所に出掛けています。


友人との待ち合わせ場所が 知らない路線であっても、


どこで乗り換えると 最短で、運賃が安くなるかも


計算しています。


不登校時代に、「お母さんが甘やかしていては、将来碌な子になりませんよ」と


先生から 断言された 兄ちゃんも、高校卒業後


アルバイトから正社員に 登用され、今は 後輩を指導する立場になり、


忙しい毎日を 送っています。


人前で 話す事ができず、学校で 忘れ物や失くし物ばかり、


先生の話も 自分に向けられたものだとは 分らず、


でくの坊だった私も、就職し 結婚し 親になり、


家族と楽しい生活を 送っています。


幼い時が どうであれ、将来の可能性を 否定しないで、


育てていってほしいと 思います。
























支援者なくとも、自閉っ子は育つ 親子でラクになる34のヒント
クリエーター情報なし
花風社
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自閉っ子が「嫌だ」という感... | トップ | 帰省の思い出 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

修業について」カテゴリの最新記事