多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

コンプレックスからの解放のきっかけ

2018-10-26 08:45:25 | 人とのあれこれ
私は 生きるか死ぬか、という状態で生まれ、


育つ過程でも 様々な困難があった。家庭の事情で、生活自体が危うい時期もあった。


生活に支障がない時も、家で、学校で、たくさんのいじめにあった。


私の 容姿も、振る舞いも、誰からもからかいや 非難の的になった。


幼い時に「お姫様だったらいいな」と夢を持ち、


絵を描いたりする子どもたちを 見ながら、


私は 「お姫様でなくていいから、せめて人にそしられない顔や姿になれないだろうか」と


思った。私の顔の事を からかったり 罵倒しないのは、父だけだった。


私が 容姿コンプレックスから 解放されたのは、仕事を始めてからである。


周囲には 申し分のない容姿の人もいたが、仕事をする時には


容姿での加点はつかない。仕事の出来がすべてである。


周囲には 大卒の先輩も 同僚もいた。


しかし 仕事での 能率で、仕事の割り振りが決まり、


ある日 出勤すると 先輩や同僚の仕事が 私の仕事になっている。


学歴も、容姿も、関係のない場所。だれも私の 弱点に触れてこない。


上司はただ 仕事のできばえや、企画書の内容、そういうもので


評価してくれた。学校のようないじめや からかいは なかった。


出社したら 制服に着替えるが、その前後は 私服である。


私の 持ち物が 地味で 粗末な事に 気付いた上司は、


他の 得意先に出向く時に、私を指名して 車に乗せてくれた。


仕入れ先で 売り場にあった商品を 見つくろい、上司の意見も聞いて


仕入れの数を決める。上司が 得意先と 話をしている間、


私は 膨大な 商品の山を 見てあるいた。


自分の 会社には 無い商品も、「ああ、こういうものを主にする会社もあるんだな」と


色々なものを見るのは面白かった。


それに 職場でお客から 問い合わせが来ても、「あ、あれだ」とわかるので、



「当店には在庫がありませんが、お急ぎでしたらOO屋さんには在庫があるかと。


お電話で確認しましょうか?」と応対ができた。


お客をよそに流すような行為だが、商品の情報が得られるとなれば、


また そのお客は 来てくれるはずだと私は思った。


私が 倉庫の中で 遊んでいるうちに、上司は 「今から帰るか」と


駐車場に行き、必ず途中で いきつけの飲食店に立ち寄ってくれた。


そこでは 上司は 上得意らしく、営業時間内は勿論、


「準備中」でも ドアを開けてくれた。


2人で 囲んだ 食事の数々。忙しい時間をわざわざ割いて、


立ち寄ってくれたお店。


もう 何十年も前の事だけれど、食べた物の味や、厨房のご主人の声、


食事をする私を見つめていた上司の顔を、今でもはっきり思い出す。









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