私が 子どもたちに 発達の偏りがある、と気づいたのは
子ども達が 乳児期の頃だが、健診で 診てくれた 保健婦や
医師や その他の人は 私が何を訴えても
「大丈夫です」「お母さんの気にしすぎ」と
取り上げてくれなかった。
かかりつけの小児科医も、同意見、他の小児科医も 同意見だった。
私は 「これは このままにしていたら 大変な事になる」と思い
自己流で 子どもたちの 修行を 重ねてきた。
修行、と 言っても家事・育児・介護の中で、
私が 子ども達に 割ける時間は よそのおうちより少ない。
その少ない時間の中で、家事の傍ら、一緒に遊びつつできることを探し、
私にも 子どもにも 負担がなく、かつ お金のかからない方法で
育ててきた。
周囲には 療育センターに 通う人もいたし、
よこはまクリニックに 予約を入れた人もいた。
それは そのお宅で お子さんにいいと思う方法を 選択したのだから
私が 口を出すことではないし、
私は 私に できる方法で 子ども達を育てていくだけである。
夫は 繊細な人で、仕事に行くだけで 神経をすり減らしており、
育児や介護にまで 割ける力は 無かったから、
夫には 十分家で休息してもらえるようにした。
周囲では 親子団欒や 父子の関わりなどが 子供に与える影響が
なんたら、という情報が 飛び交っていたが、父親が疲労困憊の
状況で 子育てに 関わっても 良い事はないだろう、と
夫も子どもも 調子のいい時に、
私が 様子を見ながら 一緒に関わってもらうようにした。
子どもがぐずったり、夫が 不快そうになったら
そこで 引き離して 終わり、である。
親にも 個性があり、限界があるのだから、
「OOすべきである」と いくら 政府広報が主張しようと、
何とか党が「子どもと 親子の触れ合いを」と
ポスター貼りにこようと、
私の 家庭で 実現不可能なことは 無視である。
世間から見たら 非常識な 子育てだったかもしれない。
最近も 無言電話や いたずら電話、悪意のメール、
その他が 来る。これは 私が 佐々木先生に ついて
私との間や 講演で先生や ご家族が 公言したことについて
書いたことに 不満や 敵意を持った人の行為かもしれない。
今 夫と 子どもたちの 関係は 良好だし、
夫も 子どもも 不出来な 私を労わってくれ、
悠々自適の 毎日である。
私も 子ども時代、理想的な環境で育ったわけではないので、
子どもや 夫に 普通の奥さんや お母さんが したようなことは
できていないのだが、それでも 今 私たち家族は
幸せな 毎日を 送っている。
子どもたちが 経済的・精神的自立を果たし、
一緒に 暮らしては いるものの、私が 子どもたちに
することは 作業着のしみ抜きや
通院のついでに 頼まれた買い物をするくらいである。
朝は さっさと 起きてきて タイマーで炊かれたご飯を
弁当箱に詰め、おかずを作り、朝ごはんを食べて
仕事に行く。これを 長男が 引き受けてくれている。
リウマチの私が 包丁握って あれこれしたり、
緑内障で 視野の欠けた目で ご飯の水加減を調整するより
その方が 早い。
夕食は 長男が 次男に 指示を出し、 二人で作る事が多い。
私が 午後の診察を終え、交通機関を使って帰宅すると、
子どもたちの 帰宅の方が 早い日が多いからである。
「やれる人が できない人を助けて 家庭(あるいは社会)を回す」と
いう事が 誰が言い出すともなく 日常になっている我が家である。
子ども達が 乳児期の頃だが、健診で 診てくれた 保健婦や
医師や その他の人は 私が何を訴えても
「大丈夫です」「お母さんの気にしすぎ」と
取り上げてくれなかった。
かかりつけの小児科医も、同意見、他の小児科医も 同意見だった。
私は 「これは このままにしていたら 大変な事になる」と思い
自己流で 子どもたちの 修行を 重ねてきた。
修行、と 言っても家事・育児・介護の中で、
私が 子ども達に 割ける時間は よそのおうちより少ない。
その少ない時間の中で、家事の傍ら、一緒に遊びつつできることを探し、
私にも 子どもにも 負担がなく、かつ お金のかからない方法で
育ててきた。
周囲には 療育センターに 通う人もいたし、
よこはまクリニックに 予約を入れた人もいた。
それは そのお宅で お子さんにいいと思う方法を 選択したのだから
私が 口を出すことではないし、
私は 私に できる方法で 子ども達を育てていくだけである。
夫は 繊細な人で、仕事に行くだけで 神経をすり減らしており、
育児や介護にまで 割ける力は 無かったから、
夫には 十分家で休息してもらえるようにした。
周囲では 親子団欒や 父子の関わりなどが 子供に与える影響が
なんたら、という情報が 飛び交っていたが、父親が疲労困憊の
状況で 子育てに 関わっても 良い事はないだろう、と
夫も子どもも 調子のいい時に、
私が 様子を見ながら 一緒に関わってもらうようにした。
子どもがぐずったり、夫が 不快そうになったら
そこで 引き離して 終わり、である。
親にも 個性があり、限界があるのだから、
「OOすべきである」と いくら 政府広報が主張しようと、
何とか党が「子どもと 親子の触れ合いを」と
ポスター貼りにこようと、
私の 家庭で 実現不可能なことは 無視である。
世間から見たら 非常識な 子育てだったかもしれない。
最近も 無言電話や いたずら電話、悪意のメール、
その他が 来る。これは 私が 佐々木先生に ついて
私との間や 講演で先生や ご家族が 公言したことについて
書いたことに 不満や 敵意を持った人の行為かもしれない。
今 夫と 子どもたちの 関係は 良好だし、
夫も 子どもも 不出来な 私を労わってくれ、
悠々自適の 毎日である。
私も 子ども時代、理想的な環境で育ったわけではないので、
子どもや 夫に 普通の奥さんや お母さんが したようなことは
できていないのだが、それでも 今 私たち家族は
幸せな 毎日を 送っている。
子どもたちが 経済的・精神的自立を果たし、
一緒に 暮らしては いるものの、私が 子どもたちに
することは 作業着のしみ抜きや
通院のついでに 頼まれた買い物をするくらいである。
朝は さっさと 起きてきて タイマーで炊かれたご飯を
弁当箱に詰め、おかずを作り、朝ごはんを食べて
仕事に行く。これを 長男が 引き受けてくれている。
リウマチの私が 包丁握って あれこれしたり、
緑内障で 視野の欠けた目で ご飯の水加減を調整するより
その方が 早い。
夕食は 長男が 次男に 指示を出し、 二人で作る事が多い。
私が 午後の診察を終え、交通機関を使って帰宅すると、
子どもたちの 帰宅の方が 早い日が多いからである。
「やれる人が できない人を助けて 家庭(あるいは社会)を回す」と
いう事が 誰が言い出すともなく 日常になっている我が家である。
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