なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

右往左往

2019-09-20 17:00:27 | 日記
それとこれとは違う問題、という判断が出来れば素晴らしい。
感情に流されて、あるいは状況に煽られて何でもかんでも一緒にしてしまう。
とくに追い込まれているときはそうだ。


隣接していても、別問題はキチンと切り離して考える必要がある。
それができないと、右往左往の狼狽であったり、ヘイト、になってしまうのだから。


今日から増量

2019-09-19 17:04:11 | 日記
誰だって自分のことでほとんど手一杯のはずだ。ヒトのことなど気にかけてるひまはない。
はずなのだが、「ほとんど」であって、残りの少しの部分でヒトのことを気にかける。それは思いやりであったり、あるいは負の感情かもしれないが。
完全に自分のことしか考えないのなら、いっそ楽かもしれない。だが、そうもいかない。
ならば、ヒトのことを思いやるときは3割増しくらいでちょうどいいのではないか。そして、その3割増しがなかなかできないから諍があるのだと思う。
今日から3割増量、を心がけたい。


幸運の招き方

2019-09-18 16:25:14 | 日記
人生楽じゃない。でも苦ばかりでもない。そんな時代この国に生まれたことは何ともありがたい。楽に事が進むことだってある。そこで図に乗らなければ手堅く生きることもできるだろう。
運に恵まれないこともある。でもそれは本当に運のせいか?見通しが甘かっただけではないのか。いや病気に事故、ケガや天災、本当の不運だったある。これはどうしようもない。祈るしかできない。いや、それ以外にも掃除をしたり、明日の準備をしたり、何かしらやれることはある。それらをやって明日を迎える。毎日、そのようにして運と向かい合いたい。


声を上げるのなら

2019-09-17 17:47:43 | 日記
安全な場所から一方的に非難するだけなら、黙っていた方がまだいい。
声を上げること、意志を表明することが美徳である、という時代になりつつある。半分は同意できる。
困った状況にいる人が黙っているのでなく声を上げる、それは大切なことだ。
だが、自分は全く困っていないのに、自分の主張を強化するため、困った状況にある人の状況を利用しつつ声を上げるのは、ただのエゴだと思う。
処理に当たっている人がやりにくくなるだけだ。
やみくもに声を上げるのが美徳であるとは思えない。
耐えるのが素晴らしい、とされていた時代はそれほど昔ではない。時代は変わるが、良い方に変わるとも限らない。


頑張った過去

2019-09-16 17:11:06 | 日記
過去の頑張りを誇るのはいい。頑張ったことがある、というのは立派なことだ。
だが、過去の頑張りは、今の時点においては関係ない。とくに、他人にとっては全く関係ない。ああそうですか、と思うだけだ。今大事なのは、今どれだけ頑張っているか、今どれだけの価値を持っているか、だけだ。


また、過去の頑張りはたやすく美化される。その時サボったこともあったかもしれない。もっとやれたかもしれない。でも時間がたつと、「精一杯やった」に代わる。
多少はそのような物語もいいだろう。でも、物語に過ぎない。今の現実を決めるのは、今もっている力量だ。


かつて頑張ったから今がある。そうだとしても、過去にすがっても何もられない。問題は、今どうあるか、だ。