なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

あって当たり前

2018-11-20 17:36:46 | 日記
同時に好きであり嫌いであり、否定しつつ肯定してみたり、一人のヒトの中には必ず矛盾はある。
そのままでは他人から意味不明と思われてしまうので、何とかそれらを統合し、あるいは我慢し、社会の中に溶け込んでいる。

矛盾は必ずある。というよりも、論理とか理屈とか、筋道立てた考え方では掬えない情念が存在している、ということだろう。そしてそれはヒトを突き動かすかなり強い力になる。

矛盾はあって当たり前、世の中で生きてくためには、もちろん何とかしなければならないが、あって当たり前、と思っていたほうが健康を維持しやすいと思う。

無関心

2018-11-19 15:43:21 | 日記
無関心が冷たい、とも限らないだろう。
何もできないのに何とかしなければ、と言ってみたり、
何かできることがあるのに行動に移さない、のであるのなら、外野は黙ってろ、ということになる。
外野から、腰を上げずにできるアクションといえば野次を飛ばすくらいだ。それは、石を投げるのとさして変わらない。

無関心はフラットな状態だから、少なくてもそのようなことはない。
当事者となる覚悟がないのなら、無関心でいたほうがいい場合がたくさんある。

ルール無用

2018-11-18 16:09:40 | 日記
論理的である、と主張しているが、単なる好き嫌いでしか思えない言説が多々ある。
論理的、普遍的、などを無前提に使う言説にはよほど注意が必要だ。
自然科学、特に数学などは論理的な学問の最たるもの、とされているが、その座にあるのはたくさんの約束事に守られていて、それが貫かれているかどうかを見張る人がたくさんいるからそうなのだ。約束事があるのかないのかわからない、あるいは自分で決めただけ、かつ、誰もそれをチェックしていない、のであるのなら論理的であるかどうか、何の保証もない。何の保証もないことを自覚しているのならいいが、堂々と自分が絶対的に正しい、とする言説は十分に疑ってかかるべきだ。

行ったり来たり

2018-11-17 16:59:03 | 日記
その場その時わからなくても、時間をかけてわかるようになる場合もある。
本当に大事なことはそのようにして学ぶ、ような気もする。

わからなくてもいったん保留にし、しかし忘れずに、日を空けてまた理解に努める。
何度も反芻し、行ったり来たりを繰り返して前進する。

そのような進歩が大事であると、歳を取ってから分かった。

崇拝

2018-11-16 16:50:19 | 日記
どんなに優れたスポーツ選手でも生身の人間だから不死身ではない。けがをすれば戦えない。
衆人の尊敬を集める人も完全な人格者であることはない。探せば欠点はあるが、立派な人にケチをつけるのも野暮だからしないだけだ。

だが、崇拝するのはどうかと思う。生身の人間を神のごとく崇めるのも無理があるし、弊害も多い。
尊敬し見習うのはいい。だが、すべてを信じ肯定するのも、明らかにおかしい。

何かを信じることで強くなるのは確かだ。だがその対象が人である場合、必然的に不完全な対象を完全なものとして崇めると認識に歪みが生じる。
現実を正しくとらえられなくなる。
尊敬、迄にとどめておくのがいいと思う。