なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

不慣れ

2018-09-25 16:44:39 | 日記
なれていることはたやすくできる。
なれていることの中だけで暮らしているのなら、ストレスはない。
でも、それだけだ。
引退して何年も経ってから、なら、そういう暮らしが理想だとも思う。

だが、まだ引退していない。
不慣れなことに悪戦苦闘し、手こずり、学習する。
そんな場面を、なくしてはいけないように思う。
舗装道路だけを歩んでいたら、道がもともとどういうものだったか、わからない。あるいは忘れてしまう。
そうならないように。


解決策

2018-09-24 17:33:03 | 日記
解決策は一つだけ、とは限らない。そして、ベストな解決策が、現実の最善手、であるだろうか。
無駄が多く、ぱっとしないその場しのぎでも、しのげればそれでいい、ということもある。
理想の解決策は、ひょっとしたらフィクションかもしれない。
フィクションはエンターテインメントにはなるが、解決策にはならない。

とにかく、目の前の問題を解決しなければならない。誰でもそうだ。そして、その先のどこを見ているかは、それは人によってひどく異なる。

もう一歩

2018-09-23 16:40:57 | 日記
もう一歩踏ん張れば、というときに見切りをつけて諦めてしまう。
もう少し・・・・しておけば、という気持ちを、なかなか拭うことができない。

でもその諦めは、その時の状況に於いて、仕方がない判断だったはずだ。
状況、の中には、感情のような、すぐに忘れてしまう要素も含まれる。
あとになってそれらが抜け落ちて、あと少しだったのに、と思うのは、ノスタルジーにも似ている。色々忘れたり、遠いところにいるからそう思えるのだ。

そのもう一歩、が遠くて、差を生むのだ。そのことを、未来に向かって忘れるべきではない。


ピタッ

2018-09-22 17:46:03 | 日記
機械は正しく取り付ければ、「ピタッ」という感じがする。
そのように作られているからだ。

機械以外はどうか。
正しいのに、「ピタッ」という感じが全くないことだってある。また、あるのに、間違っていることもある。
「ピタッ」という感じ は、そのようになるように人間が作り出し、人間がそう感じることだ。
ありのままの事物、出来事にとって、それはどうでもいいことだ。

ありのままの事物は、そのままに受け入れるしかない。たまに、「ピタッ」という感じがすることもある。


真実

2018-09-21 17:13:13 | 日記
真実は上からしか見渡すことができないのか。そうではなさそうだ。
では、底から見上げると真実が見えるのか。これも違いそうだ。

上から見えること、下から見えること、それぞれ異なり、それぞれが正しい。
上にいようが下にいようが真ん中だろうが、自分にとっての真実を、見る、というより経験する、ことしか、できない。
それでは少し足りないこともあるから、あとは想像力で補う。

そのように、真実とは、体感し体験し考えることで、見えることだ。立ち位置はどこであっても。