なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

腰痛

2016-11-20 16:14:27 | 日記
どのようなコースを選んだとしても、堂々と胸をはれるかどうか、が一番大事だと思う。

負い目を感じる事もあるかもしれない。その時、その負い目を引きずらないように、断ち切るための最大限の努力が必要になる。

断ち切るためにはまっすぐに向かいつつも、多様な価値観を少しずつ取り入れていくことか必要になる。

胸をはることは、尊大に振る舞うことはない。腰の痛みをごまかすとそうなる。

胸を張るのは、気持ちよく次の一歩を踏むためだ。



ショートカット

2016-11-19 16:22:59 | 日記
ちょっとくらいムダになったって、納得できるまでやったほうがいい。そもそもムダであるかどうかなんて、極めて近視的な見方でしかない。
納得するための一見ムダな動きは、実は人生そのものだ。効率に囚われ浅はかな功利心に振り回されていると、得られるのは虚無しかない。生きることにショーカットは存在しない。

ベタなセリフ

2016-11-18 15:45:28 | 日記
いざと言うときはベタなセリフが一番だ。

何かしら気の利いた言葉、少しひねりが入ったセリフもいいけれど、それは余裕のある時の話てあって、切羽詰まった勝負の時は、ありふれた言葉で鼓舞するのが一番だ。

ありふれた言葉は、口にするのが恥ずかしいけれど、場面によっては極めて有効な言葉となる。恥ずかしがることはない。

答えはあるけれど

2016-11-17 16:29:11 | 日記
試験の問題はあらかじめ答えが用意されているのだから、実社会に出てから突き当たる問題よりも簡単なはずだ、という話はよく聞くし、もっともらしい。でも、気休めに過ぎない。
答えがあらかじめ用意されている、と言うことは答えが限定されている、ということであり、先人の思考を正確になぞらなければならない。

それに対し実社会で突き当たる諸問題は、自分がたどり着いたところが正解となる。つまり答えに対しての全責任を負うことができる。それは辛くもあるが、楽しくもある。何より人にマルバツをつけられなくてすむ。

答えのある勉強ばかりしているとバカになる、なんて言葉に振り回される必要はない。
他者が辿り見つけた定石を学ぶことの何が悪いのか。

書き出せ

2016-11-16 17:28:36 | 日記
全部書き出す、と言うのは極めて有効な手段だと思う。

100も200もあると面倒だし時間のムダ、と感じるが、書き出している最中にアタマが整理され、パターンが見えてくる。
パターンが見えた、と言うことは、次からは予測可能になる、と言うことだ。

労を惜しんでアタの中だけでウンウンやってても前に進まない。手を動かして全体を俯瞰可能にするのが上策だ。