みみこのneko的生活

スノーボードとねことともに・・・がんと向き合って生きる

2005.10 再入院

2006-03-16 08:26:09 | 抗がん剤治療開始

Mm2はあ~、なんかつかれちったわ。

よっこいちょっと。

あ、わたち、たぬきじゃじゃないの。

色は薄いけど、れっきとしたアメショーなんでちゅ。(みーみー)

再入院の日、夫と病院へ。

まずは、主治医とのお話。こんなことを聞こうということは、前もってメモしておいた。

病気については、ステージⅡ(浸潤はないが、大きくなってしまっている段階)、5年生存率は50%、私の場合は悪性度は低いのではと思われるが、がんであることは間違いない。指標となる4つの項目の数値が高く、性ホルモンが高いため、がん腫であると判定。とにかく珍しいタイプである。

若いし、予後が悪いことから、抗がん剤治療をしていく。オペプリム(ミトタン、opDDD)という薬を使う。この薬は虫下し(DDT)の誘導体からできており、副腎の細胞を壊す薬である。細胞は、悪性のものも正常なものも壊してしまう。近辺では私も入れて、3人しか使っている人はいないらしい。(近隣医大などにかなり問い合わせもしてくれたようで、医大に転院することも視野に入れていたようであった。しかし、必要に応じてアドバイスを受けながらも、手術をした病院で治療をするのがよいのではという結論に達したようである)

副作用は、胃腸がまずやられる。そして、正常な副腎の細胞も壊されるため、残されている左側が副腎不全を起こす。もし、副腎が死んでしまったら、ずっと薬を飲み続けて、ホルモンを補わなくてはならない。しかし、少しでも残っていたら、再生する。

方法は、1日3回(1~5錠)を考えている。多く使う根拠はないので、最低量で考えている。同じような某大学病院(すごく遠くの大学病院)の症例を参考に、最低でも5年は使いたい。

私の気持ちとしては、薬をどんどん増やすのはやめてほしい、生活の質(QOL)は下げたくない、副腎の機能は維持していきたい(左副腎は殺したくない)、自分で薬をやめたいと思ったときはやめさせてほしいなどの話をし、職場用の診断書の依頼をして、話し合いは終わった。

夫は生存率50%という数字がショックだったようである。でも、これが現実なのだから、しかたがない。生きていくために、がんばっていくしかないのだ。

2日後より、一日3錠で抗がん剤治療は始まった。白い大粒のカプセル。水とともにごっくんと飲む。ちょっとドキドキ。でも、何時間たっても元気なままである。あれ?

何日たっても、元気なまま。あれれ?

お医者さんも看護師さんも気にしてくれる。主治医は、「きっとあと2~3日もしたら、出てくるよ」というが、全くそのそぶりはない。最初は、むかむか、食欲不振、下痢、くらくら、むくみ、めまい、発熱などがあるので、その兆候が出たら、すぐ言うようにとのことであった。

が、薬をごっくんと飲むだけで、いつまでも副作用がないので、読書や散歩を楽しみながら、日々過ぎていった。

一つショックだったのは、催奇形性があるだろうということである。夫はあまり子どもは強く望んでいないようだし、私も強い気持ちで子どもが欲しかったわけでもない。でも、いつかは子どもが欲しいとは思っていた。その可能性がなくなってしまうのは、すごく悲しかった。主治医が「子どもよりもまずは自分の命が大切だ」というのはよくわかるし、その通りだと思う。だけど、やっぱり悲しかったのである。

副作用が出ないので、退院を早め、通院で対応しようということが決まった。

退院2日前、祝日だったため、外出をして、夫とデートをした。病院に戻って、シャワーに入ったら、太股とアキレス腱のところにぼつぼつがいっぱいある。あれ?と思ったが、それほど気にせず、就寝。

翌日、さらにひどくなっている。午後、看護師さんに話すと、主治医もやってくる。看護師さんは、湿疹の様子から薬の副作用じゃないかと言うが、主治医はなにか外出でへんなもの食べなかったかと言う。え?へんなもの?う~ん、スープカレーかなあ。

とにかく、薬は一旦休止となり、翌日退院した。


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2 コメント

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みみこさんはじめまして! (しん♪)
2006-07-26 14:17:02
しん♪と申します。

何気なく自分の病名で検索をかけていましたら、このブログがヒットし、つい書き込みをしてしまったことをお許しください。

驚かれることとは思いますが、私がみみこさんのDr.から聞いたオペプリムを飲んでいる「近辺の3人」のうちの一人で間違いないと思います。

私は『副腎皮質由来の癌(結局病理でもはっきりとはしなかったようですが)であることには間違いない』…ということで、2004年3月下旬に右副腎及び腎臓の全摘出ならびに下大静脈腫瘍塞栓(人工血管設置)の除去手術を受けました。

…月曜朝9時からの手術で、終わったのは夜の11時30分だったそうです。(目覚めたときはICUでした)

さらに、手術前には言われていなかったのですが癌が肺にも転移していたため、体の回復を待って3クールの抗がん剤(シスプラチン・エトポシド・アドリアシン)の治療とオペプリムの同時服用での治療を行い、現在もオペプリムの服用による抗癌治療が続いております。

退院からもうすぐ2年となりますが今のところ再発も無く、余命9ヶ月の記録をどこまで塗り替えられるかがんばっている最中です(笑)

みみこさんもお仕事が忙しいようですがご自愛くださいませ。
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しん♪さま (みみこ)
2006-07-26 22:17:30
いらっしゃいませ~!
はじめまして。だけど、なぜかはじめましてな感じがしないです。
お話聞けてとっても嬉しかったです。
コメントくださって、本当にありがとうございます。

それにしても、しん♪さん大変な手術をなさって、術後もしんどかったことでしょう。
特に、人口血管設置は大変そうです。
術後の痛みや苦しみもかなりのものだったのではないですか?

それでも、退院後2年お元気で暮らしていらっしゃるということで、とってもとっても勇気と元気が出ました。

記録をこれからもどんどこ塗り替えて長~く生きてください。

私もしん♪さんのように記録を塗り替えていきたいな~。まったりマイペースでがんばっていきます。

しん♪さんもお体大事にしてくださいね。
気が向いたときでいいですので、またコメント頂けると、嬉しく思います。
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