小学生の頃、父方の祖母の家に度々遊びに行っていた。
広島市内の南観音町に住んでいて、祖母は庚午(現在の商工センター端辺り)に居住。
当時の商工センター付近はビシバシと埋め立てが完了に近づいていた。
子供の足でいける距離なので行きは歩き。
休校日には一日中、祖母の家へ行き遊びまわっていた。
帰りは叔父さんにバイクで連れて帰ってもらうのが楽しかった。
短い時間ではあるが、後部座席で軽やかに走るバイクの振動と身を切る風は気持ちよかった。
後部座席に座り、すいすいと走っていくその様は軽やかで自由だ!という感覚だった。
カーブでは体が傾斜して進んでいくその感覚も、ワクワクしたものであった。
記憶に寄れば、ホンダの黒塗り125CC(CB125の前身かもしれない)であった。
10代半ばより30代半ばまでの約20年間、バイクに乗ったことになる。
それ以降は横着モンとなり、雨風がいやだ!などとほざき始めたため今はライダーではない。
ドライバーとなって久しい。
叔父さんの後部座席、それが後年のバイクに乗る最初のきっかけ。
広島市内の南観音町に住んでいて、祖母は庚午(現在の商工センター端辺り)に居住。
当時の商工センター付近はビシバシと埋め立てが完了に近づいていた。
子供の足でいける距離なので行きは歩き。
休校日には一日中、祖母の家へ行き遊びまわっていた。
帰りは叔父さんにバイクで連れて帰ってもらうのが楽しかった。
短い時間ではあるが、後部座席で軽やかに走るバイクの振動と身を切る風は気持ちよかった。
後部座席に座り、すいすいと走っていくその様は軽やかで自由だ!という感覚だった。
カーブでは体が傾斜して進んでいくその感覚も、ワクワクしたものであった。
記憶に寄れば、ホンダの黒塗り125CC(CB125の前身かもしれない)であった。
10代半ばより30代半ばまでの約20年間、バイクに乗ったことになる。
それ以降は横着モンとなり、雨風がいやだ!などとほざき始めたため今はライダーではない。
ドライバーとなって久しい。
叔父さんの後部座席、それが後年のバイクに乗る最初のきっかけ。