平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

新しい契約(2019.1.27 礼拝)

2019-01-29 08:06:42 | 礼拝メッセージ
2019年1月27日礼拝・教会総会メッセージ
『新しい契約』
【マタイ18:21~27、26:26~29、ヨハネ17:21~23】

はじめに
 教会総会を前に短く(15分程度)、メッセージを取り次がせていただきます。
 先週の礼拝メッセージでは旧約の時代の古い契約について共に学びました。そして今日は新しい契約について共に学びます。

人々が神を信頼したから結ばれた古い契約
 先週話したメッセージの重要なポイントは、古い契約であっても新しい契約であっても神様に対して全幅の信頼を寄せることが前提になっているということです。そうして先週はアブラハムの時代とモーセの時代の事例をご一緒に学びました。神様はアブラハムに対して、彼の子孫が星の数のように増えるとおっしゃいました。その時、アブラハムにはまだ子供がいませんでしたし、しかもかなりの高齢になっていました。もし彼が疑い深い人間だったら神様の言うことを信じなかったでしょう。しかし、アブラハムは神様を信じました。神様はそれを義と認めてアブラハムと契約を結びました。そしてモーセの時代の人々も神様を信頼して、「主の言われたことをすべて行います」と口をそろえて言いました。それゆえ神様はモーセを通じてイスラエルの人々に律法を授けました。
 このように旧約の時代の古い契約は、まず人間の側が神様を信頼したからこそ結ばれたものです。決して神様が一方的に人間と契約を結んだものではありません。しかし旧約聖書の最後にあるマラキ書の時代の人々は、この前提を忘れていました。神様はマラキの時代の人々も愛していたのに、彼らは「どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか」などと言っていました。このマラキ書1章2節からは神様の深い失望を感じ取りたいということを先週は話しました。

新しい契約のために必要だった罪の赦し
 旧約の時代には神様のことばは預言者を通して人々に伝えられました。預言者は聖霊を受けていましたから、天の神様のことばを受け取ることができました。その神様のことばを預言者たちは人々に伝えていました。しかし、そのような間接的な方法では人々はどうしても神様から離れてしまうことになります。そこで神様は新しい契約を結んですべての人々に聖霊を授けることにしました。一人一人に聖霊を授ければ、人々は神様のことばを聖霊を通して直接受け取ることができます。預言者を通して間接的に神様のことばを受け取るのでなく、自分の内に入って下さった聖霊を通して直接神様のことばを聞くことができます。そうすれば神様から離れることはないでしょう。
 しかし、この新しい契約が結ばれるためには「罪の赦し」が必要でした。人々が聖霊を受けるには、人々はあまりにも罪で汚れていました。人がいかに罪深い存在であるかは、旧約聖書を読むと良く分かります。アダムとエバは神様が食べてはならないと言った善悪の知識の木の実を食べてしまい、アダムの息子のカインは弟のアベルを殺してしまいました。モーセの時代の人々は「主の言われたことをすべて行います」と言ったのに、わずかな期間の後に早くも神様から離れてしまいました。旧約の時代の人々の罪深さの事例を挙げ始めたら切りがありません。それぐらい旧約聖書には人間の罪深さを示す記述で溢れています。

罪の赦しのために十字架で流された血
 さて、ここからは新しい契約の話に進みます。新しい時代の契約においても人間の側が神様に全幅の信頼を寄せていることが必要です。それゆえイエスさまと弟子たちはガリラヤからエルサレムまでを時間を掛けて共に旅する中で信頼関係を築いていきました。そして、イエスさまは最後の晩餐の場で新しい契約を結ぶ時に、このようにおっしゃいました。マタイ26章28節です。

26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

 イエスさまは十字架に掛かって血を流しました。それによって人々の罪が赦されることになりました。
 この罪とは旧約の時代の人々が神から離れて犯した罪であり、そしてそれは現代の私たちの罪でもあります。現代の私たちもまた古い契約の時代の人々と同じくらいに神様から離れているという罪を犯しています。カインのような殺人は犯していないかもしれませんが、カインと同じくらいに神様から離れています。いえ、カイン以上かもしれません。
 その重い罪を神様は赦して下さるというのです。それがどれほど気前の良い話かということを例え話で伝えているのが、マタイ18章の21節から27節です。まず21節と22節を交代で読みましょう。

18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。

 なぜイエスさまが七回を七十倍するまで赦すべきとおっしゃったのか、それはペテロそして私たちがこれまで神様に何度も何度も赦していただいて来たからです。ペテロも私たちも、神様から離れる罪を犯した回数は七回では利かないでしょう。私たちは何度も何度も神様から離れる罪を犯し続けて来ました。七回を七十倍してもまだ足りないのではないでしょうか。そんな私たちを神様は赦して下さったのですから、私たちも他の人々を赦さなければなりません。

返済できないほどの負債を抱えている私たち
 多くの罪を赦していただいたペテロと私たちは一万タラントの負債を免除してもらった者に例えられます。23節と24節を交代で読みましょう。

18:23 ですから、天の御国は、王である一人の人にたとえることができます。その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。
18:24 清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が、王のところに連れて来られた。

 「清算」ということばが出て来ましたね。これは古い契約の時代の罪を清算して新しい契約の時代に入るということです。まず連れて来られた者は一万タラントの負債がありました。一万タラントがどれぐらいの金額か、下の脚注を見ると、「一タラントは六千デナリに相当。一デナリは当時の一日分の労賃に相当」とあります。これを現代の金額に直すと、最近は一日分の労賃が安いと思いますから一万円ももらえないと思いますが、計算し易くするために仮に一万円としましょう。すると一タラントは六千万円です。したがって一万タラントは一万×六千万円で、六千億円です。一日の労賃がこの半分だとしても三千億円です。年末ジャンボ宝くじが一等前後賞合わせて十億円ということですから、その何百倍もあります。
 私たちが犯した罪の大きさはそれほどまでに大きいのですね。これほどの大きな罪を償うことなど私たちには到底できません。つまり負債を返済することはできません。25節と26節を交代で読みましょう。

18:25 彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。
18:26 それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。

 テレビドラマなどでおなじみですが、26節の、「もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします」は、借金の返済を迫られた人なら誰でも言うことですね。言わば決まり文句です。しかし、そんな何千億円もの負債を返せるわけがありません。それで、27節。

18:27 家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。

 何という気前の良さでしょうか。神様は素晴らしく気前の良いお方です。私たちが犯した神様から離れていた罪も、この神様の気前の良さによって赦されたものです。ただし、そのためにはイエス・キリストが十字架で血を流す必要がありました。

私たちが一つになるよう天の父に祈ったイエス・キリスト
 マタイ26章の26節から29節までを交代で読みましょう。

26:26 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
26:27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

 こうして私たちの罪が赦されたから、私たちは聖霊を授かることができたのですね。私たちが聖霊を受けるには、まずはイエスさまが十字架で血を流すことによって罪が赦される必要がありました。そうして初めて私たちは聖霊を受けることができるようになりました。
 イエスさまはまた、この最後の晩餐の場で私たちに一つになるようにおっしゃいました。最後に、ヨハネの福音書17章の21節から23節までを交代で読みましょう。

17:21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
17:22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
17:23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。

 これから私たちは教会総会を開いて、A教会と一つになるための議決を行います。このヨハネ17章でイエスさまが「一つになる」ことを天の父に祈ったのは、もちろんもっと大きなことのためです。教会同士が一つになるということよりも、もっと大きな単位で私たちが一つになるということです。しかし、その大きなことの中には私たちの教会がA教会と一つになるということもまた、含まれています。
 十字架によって罪が赦された私たちは、イエスさまの下で一つになりたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

17:22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
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