平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

イエスの行われたしるし

2016-06-22 23:36:20 | 祈り会メッセージ
2016年6月22日祈り会メッセージ
『イエスの行われたしるし』
【ヨハネ2:23】

ヨハネ2:23 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。

はじめに
 会堂の修繕作業は外壁塗装と屋根の囲いの取り付けが終わり、足場もバラされて、あとは玄関部分の修繕を残すのみとなりました。その玄関の修繕も、きょうの午前に木材で玄関の屋根の下地が作られましたから、あとはここに板金をかぶせて、屋根の下の左右の両側の壁の塗装をするだけになりました。

当初の予定に無かった外壁塗装
 ご覧いただいたように、今回の修繕では、外壁が塗装されたことで教会の見映えが格段に良くなりました。しかし実は、この外壁の塗装に関しては、業者さんに修繕を依頼した当初は全く予定に入れていませんでした。それが不思議な導きによって、今回、外壁の塗装も行なうことになりました。
 修繕の業者さんと最初にお会いした時にお願いしたことは、強風で破損した箇所の修繕と共に、穴が開いている屋根の軒天井の修繕と玄関ドアの交換、そして物置とバルコニーと十字架の撤去でした。そして業者さんは私からの要望を一度会社に持ち帰り、何日か後で業者さんが提案する修繕の見積書を持って来ました。その提案は屋根まわりに関しては、屋根の囲い(破風板・鼻隠し)と軒天井のすべてを新しいものに交換するというものでした。傷んだ箇所だけを新しくするのでは、古い箇所との違いが目立ってあまり見映えが良くならないであろうということでした。そして、屋根の囲い全体を交換するとなると、足場を建物の周囲の全体に組むことになります。それで業者さんからは、この際、外壁の塗装も自前でやってしまったらどうですかという提案がありました。私が屋根の塗装を全部自分でやり直したことを知っていて、せっかく足場が組まれるのであれば、この足場を利用して外壁の塗装を自前でやれば安く済みますよということでした。
 この時まで私は外壁の塗装のことなど全く考えていませんでしたから、すぐには答えられませんでした。屋根の塗装の場合は、周囲から出来栄えが見えませんから、あまり仕上がりが良くなくても構わないのですが、外壁の塗装となると出来の良し悪しがすぐに目に付いてしまいます。それに、その時点では2階の雨戸の撤去も考えていませんでしたから、外壁を塗り直しても、雨戸が汚いままでは大して良くならないだろうと思いました。それでどうすべきか少々悩みましたが、教会の負担が100万円以内であれば、この際に出来る限りのことをしても良いのではないかというご意見もありましたし、A兄も少しでも安価にできるように業者さんに頼んでみて下さるということでしたので、外壁の塗装をプロの塗装屋さんに頼むことにして、さらに2階の雨戸はすべて撤去して、暴風雨対策としては飛散防止フィルムを窓の内側から貼ることにしました。

主の御業が現された修繕
 そうして今回、外観が以前と比べて格段にきれいになりました。当初は屋根まわりの修繕と玄関ドアの交換、そして物置やバルコニーの撤去だけしか考えていなかったのに、不思議な導きで教会の外側の全体が素晴らしくきれいになりましたから、本当に感謝に思っています。これらは皆、イエスさまが行われた御業だと私は思っています。なぜなら、そもそもの今回の修繕のきっかけになった、4月17日の強風による屋根の囲いの脱落のタイミングがあまりに良すぎたからです。偶然と言うには、あまりにもタイミングが良すぎましたから、背後に神様の働きがあったのだと私は確信しています。そうして、なかなか腰が重くて出来ずにいた屋根周りの修繕や物置の撤去が一気に進み、しかも玄関のドアも交換されて外壁の塗装までもが為されました。本当に神様の背後の働きが無ければ、このようなことにはならなかっただろうと私は思いますし、皆さんもそのように思われるだろうと思います。
 さて、そうして私たちが考えなければならないのは、この主の御業が行われたことを、地域の方々への伝道にどう結び付けて行ったら良いだろうかということです。もちろん、これはすぐに良いアイデアが出るというものではないと思います。しかし、是非今回の修繕のことを良いきっかけにしたいと思いますから、考えて行かなければならないと思います。
 きょうの聖書箇所のヨハネ2:23には、「多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた」とあります。この多くの人々というのは、エルサレムの一般の市民です。そして、今、この地区の多くの通行人がきれいになった教会を見ながら、前を通って行きます。教会がきれいになったのは、イエスさまが行われた御業であることを私たちは感じています。しかし、一般の方々はこの背後に神様の働きがあるとは思っていないでしょう。ですから私は、この機会に是非とも、地域の方々に神様の働きに気付いていただくことができないだろうかと思っています。そのために教会として何かできるかについては、次の聖日の幹事会で少し話し合う時間が取れたらと思っています。

良き証しの機会
 さて、きょうの残りの時間では、私個人としては、どのように動いているか、或いはまたこれからどう動こうかと考えていることについて、少し述べてみたいと思います。
 先週の水曜日のことですが、私は出身教会の高津教会の祈祷会に出席しました。先週の水曜日の祈祷会は修繕作業の関係で、急遽お休みにすることに決めました。それで私は、水曜日に休めることは滅多にありませんから、この貴重な水曜日の休日をどう過ごそうかと考えて、高津教会の祈祷会に出席することにしました。私が高津教会の祈祷会に出席したのは8年ぶりでした。高津教会の「礼拝」には、おととしの交換講壇や神学院を卒業した時など、BTCに入学した以降も何度か出席していました。しかし、「祈祷会」のほうは本当に久し振りでした。この祈祷会出席は個人的に出席したくなったので参加しましたから、そこで沼津の会堂問題のために祈っていただくことは考えていませんでした。けれども藤本先生から沼津の祈祷課題を二つ挙げて下さいと言われましたので、今の修繕が無事に終わることと、隣の土地に最善の礼拝堂が与えられることの二つを挙げて、お祈りしていただくことができました。このことは、とても大きなことだったと思います。
 それから、来月の7月の第二土曜日には、またFM放送の「潮風の中で」の私の担当の順番が回って来ますので、今回はこの、4月17日の強風から始まった教会の会堂の修繕の話をしようと思っています。この背後に神様の働きがあることを、どういう形でお伝えしたら良いか、まだ考えはまとまっていませんが、是非、この機会を利用したいと思います。
 この「潮風の中で」の原稿の締め切りが7月1日の金曜日で、収録が8日の金曜日、放送が9日の土曜日というスケジュールになっています。ちなみに翌日の10日には聖餐式礼拝があります。そして、原稿提出と収録の合間の5日の火曜日には静岡教区の聖会準備会があります。この教区の会議の前にはいつも15分間、ショート・ディボーションの時が持たれます。今回のショート・ディボーションの当務は私が務めることになっています。ちょうど良いので、教区の先生方に修繕についての報告をすると共に、地域のFM放送でこのことを語ることをお伝えして(放送原稿の半分ぐらいを使おうかと思います)、教区の先生方に、是非このFM放送が用いられるようにお祈りをお願いしようかと思います。
 それから7月22日の金曜日には沼津伝道者会が予定されていて、今回の会場は、この教会になります。前回、この教会が会場になったのは一昨年の11月で、その頃は、隣の土地の一部を買って県道に看板とゲートを建てるアイデアがあることを私は先生方に説明しました。ですから、その時は先生方の車も海側に止めていただきました。今回は隣の駐車場を使っていただけますし、きれいになった会堂の外観も見ていただけます。また隣の土地に建設予定の模型も見ていただくことができます。そうして先生方に、この教会のためにお祈りしていただきたいと願っています。
 そんなことを考えていて私は、来月の26日と27日に焼津で行われるファミリー・キャンプのメッセージでも、私たちの教会の会堂問題では神様が共にいて下さり、いろいろと不思議なことが起きていることを、子供にもわかる証しの形にして話そうかなと思い始めています。そうして静岡教会と韮山教会の皆さんとも、神様の不思議な働きについて分かち合うことができれば幸いであろうと思い始めています。そうして、いろいろな機会を用いて証しをして行くことで、多くの方々と神様の恵みを分かち合うことができたらと願っています。

おわりに
 今回の修繕で外壁がとてもきれいになって感謝であることを、たくさんの方々と分かち合いたいと私が思うようになったのは、修繕用の足場が撤去され、全体の覆いが取れて外観の全貌が見えるようになった、つい昨日からです。修繕を依頼している段階では、ここまできれいになるとは思っていませんでしたから、証しとして話すことはほとんど考えていませんでした。本当に神様は、私たちが思っていなかったような不思議なことをして下さるお方だなあと、つくづく思っています。
 私たちは、これからも神様の御業に期待しつつ、ここに神様の働きがあることを地域の方々に知っていただくために、どのように伝道に取り組んだら良いか、祈りつつ考えて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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