平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

魂の本来の居場所(2015.10.18 召天者記念礼拝)

2015-10-19 07:38:55 | 礼拝メッセージ
2015年10月18日召天者記念礼拝メッセージ
『魂の本来の居場所』
【ルカ15:11~24】

はじめに
 インマヌエル沼津教会の召天者記念礼拝に、ようこそいらして下さいました。
 私がこの教会に着任してから、私にとっては3回目の召天者記念礼拝です。おととし、初めて召天者記念礼拝に臨んだ時は、着任してからまだ半年後のことで、ご遺族にお会いするのも初めてでしたし、この教会の主だった行事、例えばクリスマスの諸行事や元旦礼拝、教会総会などもこれからという時期でしたから、正直言って、まだこの教会のことを、ほとんどわかっていない状態でした。そういう中でご遺族をお迎えして、この講壇からどのような話をしたら良いのか、よくわからないままで、この召天者記念礼拝に臨んだというのが、正直なところでした。しかし、あれから2年が経ち、この教会で私も様々なことを経験し、教会の皆さんとの一体感を感じるようになって来ました。きょうは先ず、その一体感ということから話を始めます。
 私は、最近、教会員同士の一体感というものを、ものすごく大切に考えるようになって来ました。一体感とはキリスト教の言葉で言うと、「御霊による一致」、すなわち神の霊によって一つになっていることを感じることです。そして、ご遺族との交わりは、この教会員同士の一体感が先ず核としてあって、その核を母体として為されるものです。教会員同士の一体感とは、現役の教会員同士だけではなく、先に亡くなられて天に召された信仰の先輩方との一体感もあります。その教会員の一体感が母体となってご遺族の皆さんと交わることになります。既に亡くなられて天に召された信仰の先輩方、それは週報の3ページ目にお名前を記した方々です。そのような既に亡くなられた方々と一体感を感じることができるのだろうかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それはできます。なぜなら、これは「御霊による一致」だからです。肉の体の肉的な一致ではなく霊的な一致ですから、できるんですね。このことは、後でまた話します。

近況の報告
 さて、おととしの召天者記念礼拝の時の私はまだ、この教会のクリスマスも経験していませんでしたから、現役の教会員の皆さんとの一体感もまだまだという段階でした。ですから、先に天に召された先輩の方々との一体感を感じることは、もっと難しいことでした。しかし、あれから2年が経ち、私もこの教会でいろいろなことを経験させていただいて、現役の教会員の皆さんだけでなく、先に天に召された先輩方との一体感も感じるようになって来ています。
 私が現役の教会員の皆さんと先に天に召された先輩方との一体感を感じるようになったのは、この2年間でこの教会の会堂の問題が大きく進展したことによります。もっと細かく言うと、会堂問題が大きく進展したのは、この1年あまりのことで、さらに言えば今年の3月以降に劇的に進展しました。そうしてご遺族の皆様には今回の礼拝の案内状の中でお知らせした通り、先月の9月6日に私たちの教会は、新たに土地を購入する計画を教会総会で承認し、翌々日の9月8日には教団による承認も得ることができました。その土地の地主さんとは近々、仮契約を結ぶ予定であり、年内にその土地のアパートの従人が退去して、その後にアパートが取り壊され、更地になった後で正式に売買契約を行うことになっています。そして設計に一年ぐらいを掛けて2017年に着工できたらと願っています。2017年はこの教会の設立50周年の年ですから、この年に献堂式を執り行うことができるなら、最高に感謝であると考えています。

沼津教会の48年の歩み
 今話した通り、沼津教会は再来年の2017年に設立50周年を迎えます。ここで、これまでの48年間の教会と教会の会堂の歩みを簡単に振り返っておきたいと思います。週報に「沼津教会の足跡」という半ページの紙を挟み込んでおきましたので、そちらをご覧になって下さい。この歴代牧師と会堂の足跡の表は、私がこちらに着任したばかりの頃にいただいたものです。
 1967年より前には静岡教会の松村導男先生が静岡からバイクに乗ってM兄のお宅まで来て下さっていたのだそうですね。そして1967年に専任の牧師として小田先生が教団から派遣されて沼津教会が正式に発足しました。そして、ご覧のとおりの先生方が、この沼津教会の代々の牧師を務めて来ました。教会の会堂はM兄のお宅から始まって、その後、4つの借家時代を経て、1983年にこの今沢の物件を取得して移って来ました。当初、この建物と土地の所有権は銀行から融資を受けていた関係で前任の牧師の廣瀬先生にありましたが、ローンを完済し、2013年には廣瀬先生が転任になりましたので、私のほうで所有権移転の手続きをさせていただいて、今現在のこの教会の土地と建物の所有権は、宗教法人としての沼津基督教会にあります。
 きょういらして下さっているご遺族の関係では、KM姉が召されたのが昭和46年の11月ということですから、ちょうど真砂町の借家から東間門の借家に移った頃のことでしょうか。また、翌年に召されたお父様のKI兄は病床で洗礼を受けられたと伺っています。この病床での洗礼を授けたのは、昨年天に召された高島俊夫牧師です。この高島牧師の時代に東間門から五月町に移り、さらにまた高沢町に移っています。
 W兄のお父様のWK兄が教会に来ておられたのは真砂町の借家の時代だそうですね。恐らくM兄のお宅にも通っておられたのでしょうね。お父様のK兄は今年の2月に天に召されたということですが、W兄はご両親と共に教会に通っていたそうで、先週、40年以上ぶりで教会を訪れて下さり、本当に感謝なことでした。記録によればW兄はN姉と同じ日に洗礼を受けているのですね。お二人とも昭和45年に洗礼を受けておられます。
 KS兄が天に召されたのは昭和61年、1986年ということですから、この今沢の会堂に移ってから3年後ということになります。そしてM兄とM姉が召されたのがそれぞれ平成7年と12年ということですから、この今沢の会堂に移ってからそれぞれ12年後と15年後ということになります。K兄、M兄姉もこの会堂におられたことを思うと感慨深いものがあります。
 今年天に召された方には、WK兄の他に、WS姉がおられます。WS姉は十和田教会員として天に召されましたから、沼津教会員として召されたわけではありませんが、2年半前まではこの教会の教会員でしたから、召天者のリストに入れさせていただきました。そこの壁にW姉のお写真があり、この沼津教会の50周年記念事業のために、お祈り下さっていましたから、本当に感謝に思います。

霊的に一つにされるとは
 さて、32年前にこの会堂に移った時、この会堂は築5年の物件でしたから、今年で築37年になり、特に屋根の老朽化が進んでいます。今年の7月から私は屋根の雨漏り対策の修繕の作業を根本的にやり直しています。前任の廣瀬先生が独自のやり方で屋根の修繕を全面に亘って施して下さっていましたが、もはやそれでは雨漏りを防げなくなってしまいましたので、全部やり直しています。少しずつ丁寧にやらないと、やり直した場所でまた雨漏りがするために、一日の作業ではそんなに多くの面積はできません。そんなわけで、今年の7月からこの10月に掛けて、私はもう数え切れないくらいの日数、屋根に上がっています。一昨日の金曜日と、その前の日の木曜日も屋根に上がっていました。まだまだこれからも、年内いっぱいは何度も屋根に上がります。それほど私は、この会堂の屋根の修繕に手間ひまを掛けていますから、今や私はすっかり、この会堂に愛着を感じています。それで、この会堂の取得に尽力され、またこの会堂で教会の活動をして来られた教会の皆さん、それは既に天に召された方々と現役の皆さんとの両方ですが、両方の皆さんとの一体感を以前に増して感じるようになっています。それに連れて、借家時代やM兄姉のご家庭で礼拝を捧げていた時代のことにも、同じ沼津教会の者として親しみを感じるようになっています。私は借家時代のことやM兄姉のお宅のことは直接には経験していませんが、御霊がその頃のことをも私にも感じさせて下さいますから、御霊にあって一つとされていることを感じます。
 キリスト教の教会では、霊的に一つであるということを非常に大切にします。肉的には離れていても、霊的には一つです。例えば私はこの今沢の教会に住んでいますが、皆さんは、この教会からは離れた所に住んでいますね。ですから、私たちは肉的には離れています。しかし、霊的には一つとされています。十和田の廣瀬邦男先生・善子先生方や下関の廣瀬いずみ先生、そしてそれぞれの教会の皆さんとも、教会は異なりますが、キリストにあって霊的に一つとされています。

私たちは未来の教会員とも一つ
 霊的なことにおいては、いま話したように場所的に離れていても私たちは一つにされていますし、時間的にも私たちは一つにされています。時間的に私たちは過去にこの教会に通っていて既に天に召された方とも一つにされています。そして私たちは未来の教会員とも一つにされています。
 ここで私が初めて教会を訪れた頃のお証をさせていただきます。私は川崎市の高津教会の出身で、この高津教会を初めて訪れたのは14年前の2001年のことでした。先週、私は東京で関東聖化大会という大きな集会が開かれていましたのから、月曜日と火曜日に一泊二日で東京に行って来ました。それで月曜の晩は、高津教会の近くのホテルに泊まりました。その高津教会の近くの地域は、以前私が住んでいた場所ですから、今でも愛着を感じています。それで私は東京方面で一泊以上の用事がある時は、高津教会の近くのホテルによく泊まります。先日の月曜日の夜に聖化大会の会場から高津のホテルに向かう時には、高津教会の牧師の藤本先生とも偶然に一緒になりましたから話をすることができて感謝でした。
 そしてその晩、私はホテルに入ってから高津教会を初めて訪れた時のことを思い返していました。私が初めて高津教会を訪れた時、そこにとても落ち着くものを感じて、また来ようと思いました。そして何回か高津教会に通ううちに、私はこここそが私が探し求めていた自分の本来の居場所だったのだ、ということに気付きました。そして私は、ここに導かれるために高津の地に住み始めたのだと思いました。私が高津教会の近くのアパートに住み始めたのは、本当に偶然でした。それは私が初めて高津教会を訪れた2001年より6年前の1995年のことでしたが、私は東京で働くことが決まってアパート探しをしました。その東京の職場に通勤できる距離の場所なら、どこに住んでも良く、結局決めたのが高津駅の近くのアパートでした。そのアパートに決めた時は近くに教会があるとは全然知りませんでしたし、キリスト教にも全く関心がありませんでした。しかし、不思議な導きで6年後の2001年に高津教会を初めて訪れ、そして間もなくして、こここそが自分の本来の居場所だったのだということに気付きました。
 すると私は、肉的には2001年に初めて教会を訪れたわけですが、霊的には既に1995年に高津教会の皆さんと一つになっていたと言ってよく、もっと遡るなら、私が生まれた時から一つにされていたのかもしれません。私は2001年よりも前から、未来の高津教会員として高津教会の皆さんと既に一つにされていたのですね。いまの私は沼津教会員ですから高津教会員ではありませんが、同じイエス・キリストを主と仰ぐキリスト教会の教会員として、高津の皆さんとも変わらずに一つとされています。

もともと私たちは一つ
 このように私たちの魂は、時間によらず過去や未来の区別なく霊的に一つにされます。きょうの聖書の箇所にも、そのことが書いてあります。ルカの福音書15章の11節以降に、有名な「放蕩息子の帰郷」の記事があります。これは霊的な魂の話であると読むべきでしょう。私たちの魂はもともと父親の家にいます。その父親の家から私たちの魂は離れてしまい、遠い外国に行ってしまいますが、再びまた戻って来ます。これは魂の話です。ただし、いきなり魂の話をすると難しいので、その前に魂ではない、羊と銀貨の話をイエスさまはして下さっているのだと読み取りたいと思います。
 まず、きょうの礼拝の最初の聖書交読で読んだ、羊と銀貨の話を簡単に見ておきましょう。時間がありませんから飛ばし飛ばしで読みます。4節を見て下さい。お読みします。

15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

 ここで大事なことは、いなくなった羊はもともと一つにされていた百匹の中の一匹であるということです。もともと一つでしたが一匹が迷い出てしまいました。そして、その迷い出た羊を見つけたら、大喜びでその羊をかついで帰って来て、友だちや近所の人たちと一緒に喜び合います。
 次に8節をお読みします。

15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

 ここでも、なくなった銀貨が、もともと十枚で一つにされていたことが書かれています。その十枚の中からなくなってしまったので、女の人は一生懸命に探します。そして、9節にあるように、見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、いっしょに喜びます。

 この羊と銀貨の話の場合は霊的にではなくて肉的な話です。そして、三つ目の放蕩息子の話は霊的な話です。羊と銀貨の話は、人間の私たちの肉的な目で見た肉的な話です。例えば銀貨の場合、床に落ちるとコロコロと転がり、とんでもない所に入り込みます。ですから見つけた時には、どうしてそんな所に入ってしまったの?と思います。その転がる過程を私たちは知りません。羊も同様です。どうしてそんな所に迷い込んでしまったの?という場所から見つかります。私たちは羊がどのような過程を経てそこに迷い込んだは一切わかりません。聖書のこの記事にも途中のことは一切書かれておらず、ただ見つかったことだけが書かれています。

もともとの本来の居場所に気付く
 しかし、放蕩息子の場合は、神様の霊的な目で見た霊的な話です。ですから放蕩息子が父親の家を出てから、どこで何をしていたのかが、全部書いてあります。神様の目には、人がどこで何をしているかが、全部見えているのですね。肉的な私たちの目には途中経過はわからなくても神様の目には見えています。
 そうして、もう一つ放蕩息子が羊や銀貨の場合と違うのは、羊の場合は探している人が5節にあるように、かついで連れ戻しているということです。或いはまた銀貨の場合は8節にあるようにあかりを付け、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜すということです。しかし放蕩息子の場合、父親は放蕩息子の居場所を知っているにも関わらず、その場所には行かないということです。しかし、実は霊的にはそばにいて、常に声を掛け続けていると言って良いでしょう。だからこそ、放蕩息子は我に返ったのだと思います。17節に「我に返った」とありますね。そして我に返った放蕩息子は、もともとの自分の居場所である父親の家に戻ることにしました。そして20節、

15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

 羊の場合と違って、父親は息子を捜しに外国まで行ってかついで帰って来ることはしませんでした。父親は家でずっと待っていました。でも心配でしたから、遠くの方をいつも見ていたのですね。では、そんなに心配なら、どうして外国まで行って、かついで帰って来なかったのでしょうか。それは、そんな風に強制的に連れ戻しても、放蕩息子は結局はまた出て行ってしまうからでしょうね。大切なことは、我に返って自分で気付くことです。父親の家こそが本来の自分の居場所なのだと気付くなら、再び出て行くことはありません。しかし、自分で気付かずに強制的に連れ戻されたのなら、きっとまた出て行ってしまうことでしょう。
 私自身の話をもう一度するなら、2001年に高津教会を初めて訪れた私は、こここそが私の本来の居場所だと自分で気付きましたから、その時に我に返ったのだと言えるでしょう。しかし、それ以前から私は既に高津教会の一員とされていたのでした。私は本来の私の居場所に戻っただけなのでした。

おわりに
 教会とは、そういう不思議な所です。過去・現在・未来の教会員が霊的に一つになっている不思議な場所です。そんな風に時間の区別が無いのでキリスト教会は2千年もの間、受け継がれて来ることができたのでしょう。この沼津教会も48年の時を刻み、まもなく50周年を迎えようとしているこの時に、神様の不思議な働きによって、隣の土地に新しい会堂を建てる準備が整えられています。そうして沼津教会もまた受け継がれて行きます。本当に感謝なことです。
 きょう私たちがここで一つとされて召天者記念礼拝を捧げることができたことを、心から感謝したいと思います。
 お祈りいたしましょう。

「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
(ルカ15:20)
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