荘子と聖書
~天上で安らぐ大鵬とイエスの弟子たち~
~天上で安らぐ大鵬とイエスの弟子たち~
『荘子』は紀元前300年頃に中国の思想家の荘子とその弟子たちによって書かれた書です。紀元前300年頃と言えば、聖書の「中間時代」の只中にあります。中間時代とは、旧約聖書の最後の書であるマラキ書が書かれてからイエス・キリストの誕生までの約400年間を指します。この時代は「空白の四百年」とも呼ばれていて、「神が沈黙していた」という言われ方もされている期間です。
最近になって私は、聖書の中間時代に『荘子』が書かれたことに何か深い意味があるのではないかと感じるようになりました。別の言い方をすれば、『荘子』には旧約聖書と新約聖書の二つの書をつないで一書とするための重要な役割が与えられているのではないか、そんな気がしているのです。聖書の重要な舞台である西アジアからは遠く離れた東アジアの中国で神は秘かに荘子に語り掛けて、地上に居ても天上で安らぐことができることを教えたのではないか、だとしたら、こんなに面白いストーリーはありません。荘子はもちろん聖書を知りませんから、『荘子』は聖書とはまったく異なる書物です。しかし、二つの書には深い領域で共通する事柄も多くあります。この共通する事柄を明らかにして行くことが私に与えられた最後の使命ではないか、最近になって急速にそのような気持ちになっています。
本ブログを通して私は何とかしてヨハネの福音書の主役は「天上のイエス」であることを伝えて、イエスと共に天上で安らぐことで心の深い平安が得られることを分かち合いたいと願っています。そうして、世界が平和に向かって行くことを心の底から望んでいます。しかし「天上のイエス」のことは、なかなか伝わりません。本ブログで何度も繰り返し書いているように、ヨハネ4章のイエスは明らかに天上にいます。
ヨハネ4:1 パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、
2 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──
2 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──
バプテスマを授けていたのは地上にいる弟子たちで、イエスは天上にいることがハッキリと読み取れるのに、それが伝わりません。どうして伝わらないのでしょうか?その理由を考え続ける中で思い至ったのが、学生時代の私の愛読書が『荘子』であったことです。このことは以前から薄々感じていたことで、沼津にいた頃に『荘子』について語っていた時期もありましたが、牧師という立場ではあまり声高に『荘子』の素晴らしさを語るわけにはいきませんでした。しかし、今は牧師職からは離れています。神様は今のような牧師職から離れた立場に私を置くことで、『荘子』が旧約聖書と新約聖書のつなぎ役になっていることを世に示すように働き掛けているのではないか、そうして「平和への道」を整えることが私に与えられた使命ではないか、そのように強く感じています。(つづく)