juntarouじいじの日々是好日

保谷障害者福祉センターの卒業記念に「じいじにも出来るよ」と言われて始めたブログ、早いもので、もう19年目に入りました。

こだいらチャリティーコンサート

2019年03月11日 | 健康・病気


今日は「3.11」、あの大震災から丸8年が経ちました。各地で鎮魂と復興支援の沢山の催しが行われているようですね。私には何も出来ませんが、せめて忘れないようにはしようと思います。

昨日の午後、小平市の中央公民館で行われた「第9回こだいらチャリティーコンサート」に出かけて来ました。昨年、ばあばのお友達のTさんに誘われ出かけて、今回が2回目です。
1時半開場、2時開演となっていましたが駐車場が心配なので早めに家を出て、12時半頃に着きました。家から30分ですね。12時45分ごろ会場の2階に上がっていくと、もう20~30名の人が並んでいました。最後尾に並ぼうと思っていたらTさんのご主人がやって来られて、「車いす席を確保しているのでこちらへどうぞ」と言われ、12時50分ごろには早々と会場内へ。お陰で、一部ですがリハーサルの場面も見れて面白かったです。

1時半開場。今年も超満員でしたね。
最初に発起人の下村雅人さんの挨拶に続いて全員で黙とう。それから下村さんと奥様の軽妙な司会でプログラムが始まりました。この日は女声合唱団2組と男声合唱団1組、オペラ歌手の方が、ざっと数えて見たら23名、それにトロンボーンやフルート、下村さんの息子さんのビブラフォンの演奏もありました。

歌手の人は主に二期会や藤原歌劇団に所属され活躍されている方々です。歌われたのはオペラのアリアが中心でしたが、日本の歌、カンツォーネにシャンソンや松島音頭などもありました。みなさん、素晴らしい声で、こんなに沢山の歌手の方の歌が一度に聴けるなんて、ほんと、お得の気分でした。

みなさんそれぞれの出番が終わって、最後の全員での〆の舞台。4人だったかな、カルメンがハバネラ(恋は野の鳥)を歌い、2人のエスカミーリョが闘牛士の歌を歌って会場を沸かせました。上の写真は、カルメンがメゾソプラノの池田香織さん、エスカミーリョがバリトンの吉田敦さん、二人が向き合っている所です。池田さんも表情豊かですし、吉田さんは「すうぱあバリトン」と言われる多彩な人なので、会場は笑いと拍手喝采で大盛り上がりでした。






上はTさんが所属する女声合唱団コーロ・ソルジェンテのみなさん、1曲は荒城の月でしたが、ソプラノのTさん、きれいな声が良く聞こえました。

下はご主人が所属されている男声合唱団K・K・メンネルコール、30数名のオジサン達の面々。今回は黒人霊歌と最上川舟歌を披露してくれました。「最上川舟歌」は私も学生時代グリークラブで歌いました。懐かしいですね。第1テナーの一人が独唱で「エンヤーエンヤ」と歌い始めるのですが、昨日のメンネルコールの方、なかなか美声で声量豊か、大したものですね。合唱もとても力強い歌声でした。



発起人の下村雅人さんは国立音大出身で二期会所属のテノール歌手。ご自身が歌われる以外に色々な活動をされているようで、K・K・メンネルコールの指導と指揮もやっておれれるんだそうです。このチャリティーコンサートは大震災発生直後の4月に第1回を始めて以来毎年開催されて来られたとの事。大変なことだと思います。
写真は「グラナダ」を熱唱されている所。ピアノを弾かれているのが奥様で、左手前の若者は息子さん。下村和葉さんと言ってパーカッション奏者だそうです。正に音楽一家ですね。今秋には親子3人でのコンサートをおやりになるんだそうです。



艶のある美声、良く声が出るなあと感嘆してしまいます。ほぼ私と同年( ◠‿◠ ) テノールの小島常弘さん。出演者の中では最年長でしょう。

途中20分ほどの休憩が有って、終わったのが5時半過ぎでした。長丁場で少しは疲れましたが十分に楽しませてもらいました。ばあばと二人、少しばかりの志を募金箱に入れて帰って来ました。

そうそう、開演前に、「昨年のコンサートの後、じいじさんのブログを見ました」と仰って、下村さんが私の所にわざわざ来てくれたんですよ。恐縮してしまいますね。Tさんから「下村さんがそんなことを言っていた」と、ちょっと聞いてはいたんですが。

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2 コメント

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小平ってじいじ様の隣町だったのですね、知らなかった (きゅりー婦人)
2019-03-12 09:11:04
今回は復興支援のチャリティ―コンサートの9回目だったのですね。知らないところで、まだまだ支援されている方が沢山おられるのですね。感心させられるとともに、何もしていない私をチコちゃんが知ったら「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られそうです。

失礼ながら、写真の男女の合唱団の中に結構お年を召され方が多いので元気づけられます。また人数も男性の方が女性より多いのでちょっとビックリです。実は、私の「死ぬまでにやっておきたいこと」の中にも「第九を歌う(習う)」も入っています。

じいじ様はアルハンブラ宮殿へ行かれたことがあるので、「グラナダ」の歌は格別だったでしょうね。でも、この曲を作ったアグスティン・ララ(作詞・作曲)はメキシコ人でグラナダへは行ったことがなかったのですって。私は「グラナダ」の歌も好きですが「アマポーラ」も好きです。

一昨日、テレビでウィーンフィルのシェーンブルン宮殿(じいじ様はここへも行っておられますね、ウイーン歌劇場へも)の演奏会を見ました。そこでトスカの「歌に生き恋に生き」とジャンニ・スキッキの「私のお父さん」の歌詞を初めて知ってビックリしました。前者は「神よ、どうして私にこのような仕打ちをするの」との恨みの歌、後者は「お父様、私の恋を認めてくれないと川に飛び込むわよ」との脅迫の歌だったこと。こんなことも知らないで素敵な歌だなぁと聴いていました。
Unknown (ごようつつじ)
2019-03-13 21:12:42
下村さまご夫妻をはじめ「こだいらチャリティーコンサート」のみなさまの活動には、頭が下がります。

8年たっても、2500人超の人たちがまだ行方不明だったり、大勢の人たちが避難生活を余儀なくされているなど、つらいくらしが続いている方たちがたくさんおられることに、胸が痛みます。

先月高知に行ってきましたが、予想どうりに南海トラフトかくれば県全体がなくなってしまう高知。
東京とはまったく違った緊迫感の中でくらしていました。
定期的な避難訓練はもちろん、夜間の避難訓練などもやっていて、世話役をしている義姉はそのたいへんさを話していました。

とにかく今つらいくらしをされている方々が、すこしでも楽になれることを願わずにはいられません。

昨日は、自由学園のリビングアカデミーのフィールドワークで、多摩森林科学園に行ってきました。
昨年同様に、午前中は講義、午後はサクラ保存林を見学しました。

講義は、昨年はクマノザクラ発見者の勝木先生でしたが、今年は超ご多忙ということで、岩本先生が「多摩森林科学園のサクラの種類と管理」と題したお話をしてくださいました。
たいへんわかりやすくて、充実した時間でした。

午後の見学は、今年はガイドさんがついてくださつたので、たいへん勉強になりました。

サクラ保存林への登り口に、「はるか」というザクラがあります。
2013年、大河ドラマ「八重の桜」に関連して、福島県復興のシンボルとして、新種の八重咲きの桜を世に出そうというプランができて、勝木先生が2011年から栽培していた新種の八重桜が用いられることになり、綾瀬はるかにより「はるか」と命名され、以後、復興感謝の気持ちとして、全国に贈呈、植樹するというプロジェクトが、すすめられていて、そこにあるのが原木と表示されています。
花は白色に近い淡紅色で、開花は4月中旬ごろということで、写真でしか見られないのが残念でした。

「はるか」を見ながら昼食。
「はるかって、やっぱり綾瀬はるかと関係があるんでしょうか」なんて話していたら、自由学園の男先生が「綾瀬はるかって、何者ですか」と言われ、「ええっ、先生、ご存知ないんですか」と一笑いの後、さらに男先生いわく、「ぼくにとって、はるかは柑橘類です」と。これにはみんな大笑いでした。
「帰って、家内に、綾瀬はるかを知っているか聞いてみます」と言われていましたか、奥さまは何と答えられたでしょうか。

園内には、クマノザクラの苗木が8本植えられていました。
来年花が見られるかどうかというところ、とガイドさんは言われていました。
玄関前に鉢植えのクマノザクラがおかれていて、花をつけていました。
これからは、クマノザクラ目当てに行かれる人が多くなるかもしれませんね、

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