知財判決 徒然日誌

論理構成がわかりやすく踏み込んだ判決が続く知財高裁の判決を中心に、感想などをつづった備忘録。

誤記の訂正の可否についての判断事例

2007-12-02 22:15:04 | Weblog
事件番号 平成18(行ケ)10268
事件名 審決取消請求事件
裁判年月日 平成19年11月28日
裁判所名 知的財産高等裁判所
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
裁判長裁判官 塚原朋一

第2 事案の概要
本件は,原告が,特許請求の範囲の記載が不統一で不明確であるとする拒絶理由通知を受け,これに対する手続補正を行った際,特許請求の範囲の他の箇所の記載において,誤って従前の記載を一部削除してしまい,特許査定後にこれに気付いて,削除前の記載に戻す旨の訂正審判を請求したところ,特許庁が特許法126条4項にいう実質上特許請求の範囲を変更するものに当たるとして,審判請求を不成立とする審決をしたため,原告がその審決の取消しを求めた事案である。』

『第4 当裁判所の判断
・・・
原告の上記手続補正書によれば,拒絶理由通知書に指摘された請求項1の「自動食器洗浄器用粉末洗浄剤」については,これを「自動食機洗浄機用粉末洗浄剤」に改めたが,その際,水酸化カリウムの含有量について,「以上5重量%」の部分が記載されず,単に「0.5重量%以下」とする記載とされた。
イ 上記「以上5重量%」の部分が記載されなかったのは,弁論の全趣旨によれば,原告が意図したものではなく,原告の過誤(表示上の錯誤)によるものと認められる。』

(3) 担当審査官の措置
 担当調査官(ブログ筆者注:「担当審査官」の誤記であるに違いない。)は,出願人である原告のした本件補正に対し,「器」を「機」と訂正したことを是認したものと考えられるが,「0.5重量%以下」の誤記については,拒絶理由の通知の対象事項でもなく,補正に係る箇所に生じたものでもなかったため,これに気付かず,したがって,当然のことながら,審査することもなく,従前の記載のままであると考えて,爾余の特許査定の手続を履践したものと推認される(弁論の全趣旨。なお,第3回口頭弁論調書の「弁論の要領等」及び被告の平成19年9月5日付け準備書面(第2回)の3頁以下の「第2」を参照)。』

3 本件訂正の適法性
(1) 「0.5重量%以下の水酸化カリウム」との記載の明確性
ア 本件特許の訂正後の特許請求の範囲請求項1には,「・・・」と記載されており, 「0.5重量%以下」との記載は,確かに,被告が主張するように,その記載自体を独立したものとして見る限り,数値及びその範囲として明確であり,疑問が生じることはない

イ しかしながら,特許請求の範囲の意味内容を確定する場合には,当該記載の前後の単語・文章,文脈,当該請求項の全体の意味内容との関係で検討すべきであり,被告が主張するように,問題となった記載を前後から切り離して取り上げて意味内容を把握し,その単純な総和として,確定すべきものではない

 そこで,「0.5重量%以下の水酸化カリウム」という記載をその前後の単語・文章,文脈,当該請求項の全体の意味内容との関係で検討すると,次のとおりである(・・・)。
・・・
ウ 以上のように,請求項1を概観すると,その記載に接した当業者は,A’の含有量が0の場合も発明に含まれるのか,含まれるとすれば,AもA’も共に含有量が0になる場合も発明に含まれるのではないか,と容易に疑問を抱くことになり,その疑問を解決するために,請求項1の記載だけでは解決するに足りず,発明の詳細な説明を参酌確認する契機をもつものいわざるを得ない。』

(2) 本件訂正前の請求項1の記載と発明の詳細な説明との対応について ここで,本件訂正前の請求項1の記載と発明の詳細な説明との対応を検討することとする。
ア まず,「0.5重量%以上5重量%以下の水酸化ナトリウム又は/及び0.5重量%以下の水酸化カリウム」が含まれるとする場合における「0.5重量%以下の水酸化カリウム」の意味について,検討する。
 本件明細書によれば,・・・,実施例9は・・・であり,実施例10は・・・であるから,これらは「0.5重量%以上5重量%以下の水酸化ナトリウム又は/及び0.5重量%以下の水酸化カリウム」に対応していない(本件補正前の請求項1ないしこれと同一記載の訂正後の請求項1には対応している。)。

 他方,実施例1ないし7は・・・「0.5重量%以上5重量%以下の水酸化ナトリウム又は0.5重量%以下の水酸化カリウム」の場合,すなわち,水酸化ナトリウムが全く含まれない場合には対応していないことになる(本件補正前の請求項1ないしこれと同一記載の訂正後の請求項1には対応している。)。

 以上に対し,実施例8は・・・「0.5重量%以上5重量%以下の水酸化ナトリウム又は/及び0.5重量%以下の水酸化カリウム」のうち「水酸化ナトリウムが0で,水酸化カリウムが0.5重量%」の場合についてだけではあるが,対応しているということになる。

イ 被告は,この問題については,出願人である原告が,本件補正の際に,明細書に記載された発明の一部を特許請求の範囲から除外したにすぎないということができると主張する

 確かに,発明の詳細な説明に記載した発明のすべてを特許請求の範囲に記載して権利化しなければならないわけではないものの,発明の詳細な説明に登場するいくつかの実施例のうち,請求項1の「0.5重量%以下の水酸化カリウム」に対応するのは,実施例8のみであり,出願人は,本件補正によって大部分の権利範囲を失うことになる。しかも,特許出願に係る発明が境界域である「0.5重量%の水酸化カリウム」の場合に限定されることになるというだけではなく,特許請求の範囲に提示された「0.5重量%未満」の範囲は特許法36条4項の定める要件を欠如することになりかねない仮に,出願人が真意に基づきそのような補正をしたというのであれば,権利化の際に通常選択する合理的な経済行為からは,大きく乖離するものであったといわざるを得ない。』


イ 弁論再開後の被告の主張について
 ・・・
 しかしながら,被告の主張は,「0.5重量%以下の水酸化カリウム」という記載が数式上「0重量%」を含むということと,「『水酸化ナトリウム又は/及び水酸化カリウム』は必須成分である」ということとが,文理上矛盾が生ずることを容認した上,この矛盾を解決すべく特定の論理操作を行うべきことを前提とするものである
 しかしながら,特許請求の範囲は,本来,その記載自体から容易に理解し得べきものであって,文言を通常の意味に解した場合に相互に矛盾する文言が存在し,その矛盾を解決しなければならない論理操作を要しないようにすべきものである
 しかも,その矛盾を解決するために,その一方又は双方の文言を限定解釈するなどの必要があり,そして,そのいずれの文言を限定すべきであるのか,かつ,その限定の程度をどのようにすべきであるのかについて一義的に確定し得ないときは,特段の事情がない限り,特許請求の範囲の当該記載は不明確なものというべきである

・・・

 そうであれば,弁論再開後の被告の主張によっても,本件特許の訂正前の請求項1の「0.5重量%以下の水酸化カリウム」は,特許請求の範囲の記載からだけでは不明確であり,発明の詳細な説明の記載を参酌しなければその意味を確定することができず,発明の詳細な説明を参酌すれば,「0.5重量%以下の水酸化カリウム」の記載は,「0.5重量%以上5重量%以下の水酸化カリウム」の誤記であることが容易に看取されることが明らかである

 したがって,本件特許の訂正前の請求項1の「0.5重量%以下の水酸化カリウム」の記載は,特許法126条1項本文及び同2号にいう「特許請求の範囲」の「誤記」に該当するものということができる。

4 なお,特許法126条4項は,「第1項の明細書,特許請求の範囲又は図面の訂正は,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものであってはならない。」と定めており,上記誤記の訂正が実質上特許請求の範囲を拡張又は変更するものに該当するのではないかという問題があるので,検討する
 ・・・請求項1の「0.5重量%以下の水酸化カリウム」とある記載は,上述のとおり,特許請求の範囲の記載からだけでは不明確であり,そこで,発明の詳細な説明を参酌すると,「0.5重量%以下の水酸化カリウム」は,「0.5重量%以上5重量%以下の水酸化カリウム」の誤記であることが明らかであるというのであるから,その実質を捉えて考察すると,特許請求の範囲の拡張や変更はされていないということができ,同法126条4項違反の問題は生じないものというべきである。』

(所感)
 この判決を読んで次のことを感じた。内容に自信があるわけではないが、強く感銘を受けたので記録しておきたい。
            ---
 通常であれば誤記は、出願人のケアレスミスであり重過失であろうから、直ちに正しい記載が想起できない本件のような誤記は出願人が不利益を被っても当然とされるところである。ところが、本判決では誤記の訂正を認めた。限界事例の一つではないかと思う。

 本判決では、誤記を出願人の表示上の錯誤ととらえた。本件では、誤記を含む補正を審査した審査官も錯誤に陥り(「(3) 担当審査官の措置」参照。)特許査定をしているから、出願人と審査官との共通錯誤の面もある事例である。

 この面に注目すると、共通錯誤に陥った当事者の効果意志は一致するのであるから(両者とも記載は変わっていないと思っている。)、出願人と審査官を問題とする限りは正しく書きなおせ(訂正すれ)ばよいということも言える。

 しかし、特許請求の範囲は第3者に特許権の射程を表示するものでもある。第3者に不測の不利益を与えるようでは正しく書き直すことは認められないだろう。第3者にすれば共通錯誤に陥ったのは当事者の責任であり、そのような場合に書き直しが許されては“取引の安全“が害される。そして、共通錯誤の場合は、当事者に守るべき法益はなく民法95条ただし書きは適用されないとされるところである。

 ところが、本件特許クレームの誤記部分は不明確と言い得るものであり、しかも、明細書を参酌することにより当事者の効果意志のとおりに“正しく”理解できると言い得るものであった。

 そうであれば、第3者に不測の不利益を与えることもないから、一致した効果意志のとおりに訂正することに問題はない。

 紋切り型ではない、「大岡裁き」であると思う。

 表示上の錯誤と審査官の錯誤を指摘されて、特許請求の範囲は意思表示の一種であることを明確に認識した。特許請求の範囲の訂正が問題となった際には、意志主義と表示主義が働くことを忘れてはならないと思った。(もちろん、ケアレスミスしないことが第一であるが。)
 
 追記(H19.12.21):この判決は大きな問題をはらんでいる可能性があると思うに至った。
1.判決は、請求項1の「誤り」は明確性の欠如につながっており、そのために発明の詳細な説明を参酌すると、原告が「誤記の訂正」をしようとする意味に解釈できるから訂正は認められるとする。
2.しかし、特許請求の範囲が不明確であり発明の詳細な説明を参酌する場合に、当該不明確な記載の意味がどのような範囲で線引きされるかは当事者同士が訴訟(当事者系の訴訟)を起こさなければ定まらない。
 その際にどのような範囲で確定するかは、当事者の主張立証や裁判官の心証の形成のされ方によって異なるであろうし、それは当該当事者を拘束するにすぎないものである。
 複数訴訟が提起された場合には確定される範囲も必ずしも同じにはならず、また、誤記の訂正が可能となる意味に認定されるとは限らない。
3.そして、特許請求の範囲は(善意の)第3者に対して権利範囲を表示する役割を果たすのであるから、誤った補正部分について出願人による錯誤による無効の主張を審査官(特許庁)の重過失を理由に認めることもできない。
 第3者への表示機能は重要視されるべきで軽視できない。たとえば新規事項の追加がある特許クレームは通常は何らかの不明確性をはらんでいることが多いと思料されるが、その場合にも発明の詳細な説明を参照することで訂正が許されてしまうかもしれない。権利を不安定化し予測可能性が失われ混乱が生じるものと思料される。
4.上記の点も今後、検証されるべきであると思うに至った。 

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