先日、「信さん 炭鉱町のセレナーデ」を観ながら、ふと「わが谷は緑なりき」を思い出していた。なんと言っても炭鉱映画の元祖みたいなものだから。この作品がアカデミー作品賞、監督賞を受賞した1941年は、今やアメリカ映画のオールタイムベストワンに位置づけられる「市民ケーン」も作られている。オーソン・ウェルズはジョン・フォード作品に学んで、あの傑作「市民ケーン」を作ったと言われているが、インタビューで「尊敬する監督は?」と問われて「ジョン・フォード、ジョン・フォード&ジョン・フォード」と答えたという有名なエピソードは、「市民ケーン」をもってしてもジョン・フォードに勝てなかった複雑な想いも込められているのかもしれない。ジョン・フォードの不朽の名作となった、この「わが谷は緑なりき」も、当初は「ベン・ハー」や「ローマの休日」などで有名なウィリアム・ワイラーが監督する予定だったことはあまり知られていない。スケジュールが合わず、ジョン・フォードが後を引き継ぐ形となったが、出来上がった作品を見てワイラーはどんな想いだったろうか。
この映画が日本公開されたのは戦後になってからで、僕が初めて見たのは大学生の時だから、作られてからすでに20年以上経っていた。だから成人したロディ・マクドウォールを何本も見ており、初めて見る少年時代の彼は、顔が大人に見えて不思議な感じがした。とにかく、登場人物たちはみな粉塵ですすけているが、心が洗われるような映画だ。
この映画が日本公開されたのは戦後になってからで、僕が初めて見たのは大学生の時だから、作られてからすでに20年以上経っていた。だから成人したロディ・マクドウォールを何本も見ており、初めて見る少年時代の彼は、顔が大人に見えて不思議な感じがした。とにかく、登場人物たちはみな粉塵ですすけているが、心が洗われるような映画だ。