今年二度目の風邪も治まって来たので今日は京町台を歩いた。今日の趣向は「お地蔵さん巡り」。
最初はわが家に最も近い中坂の登り口にあるこのお地蔵さん。かつてはこの地に民謡「ポンポコニャ」にも唄われた金剛寺(現在は新屋敷1丁目)があった。この石仏、いつ誰がここに安置したのか誰も知らない。金剛寺といえば中将姫を祀った寺として知られる。僕はこのお地蔵さんは、かつてこの地に祀られていた中将姫の身代わりではないかと思って手を合わせている。

次は中坂中腹の浄土宗専念寺の山門脇に鎮座するお地蔵さん。専念寺は、江戸前期の細川綱利公時代の「京町之絵図」に見えるので相当古いお寺であることは間違いない。お地蔵さんの台座に「天保」の文字が見えており江戸後期に彫られたものか。ただ、京町の古手の住民で、昔は中坂頂上辺りにお地蔵さんがあったという方がおられるので、ひょっとしたらここへ移って来られたのかもしれない。

今日の最後は、宇土小路が京陵中学校前を通る県道に突き当たる角に鎮座する二尊のお地蔵さん。それぞれ、弘化と天明の文字が彫られており、50年ほどの時差があるようだ。かつて宇土小路の中間にあり、民家建設のため撤去を余儀なくされた二尊がここへ移されたものかもしれない。今度、近くの住民の方に確認しておこう。

お地蔵さんが登場する歌といえば、美空ひばりさんの「花笠道中」がまず頭に浮かぶ。
最初はわが家に最も近い中坂の登り口にあるこのお地蔵さん。かつてはこの地に民謡「ポンポコニャ」にも唄われた金剛寺(現在は新屋敷1丁目)があった。この石仏、いつ誰がここに安置したのか誰も知らない。金剛寺といえば中将姫を祀った寺として知られる。僕はこのお地蔵さんは、かつてこの地に祀られていた中将姫の身代わりではないかと思って手を合わせている。

次は中坂中腹の浄土宗専念寺の山門脇に鎮座するお地蔵さん。専念寺は、江戸前期の細川綱利公時代の「京町之絵図」に見えるので相当古いお寺であることは間違いない。お地蔵さんの台座に「天保」の文字が見えており江戸後期に彫られたものか。ただ、京町の古手の住民で、昔は中坂頂上辺りにお地蔵さんがあったという方がおられるので、ひょっとしたらここへ移って来られたのかもしれない。

今日の最後は、宇土小路が京陵中学校前を通る県道に突き当たる角に鎮座する二尊のお地蔵さん。それぞれ、弘化と天明の文字が彫られており、50年ほどの時差があるようだ。かつて宇土小路の中間にあり、民家建設のため撤去を余儀なくされた二尊がここへ移されたものかもしれない。今度、近くの住民の方に確認しておこう。

お地蔵さんが登場する歌といえば、美空ひばりさんの「花笠道中」がまず頭に浮かぶ。