徒然なか話

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立田山~泰勝寺跡~ガラシャ夫人の墓

2008-02-28 17:47:59 | その他
 今日は立田山にある家の墓にお参りしたついでに、久しぶりに立田自然公園の中にある泰勝寺跡を訪れてみた。ここは肥後藩主細川家の菩提寺があった所で、代々の墓がある。中でも有名なのは忠興公夫人のガラシャ夫人の墓だ。平日とあって観光客の姿はほとんどなく、庭園内はひっそりと静まり返っていた。実は、この泰勝寺の参道の脇道から歩いて1分のところにわが家のルーツとなった場所がある。亡き父や叔父が幼少の頃まで過ごした家があったところだ。なにしろ90年くらい前のことなので今は民家やアパートが建っていて正確な場所は判然としない。父の話では泰勝寺は子どもの頃の遊び場所だったそうだ。亡くなる2、3年前、しきりに立田山の泰勝寺周辺に行きたがっていたことを思い出す。

≪細川ガラシャ≫
 ガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉子という。織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは天正六年(1578)のことであったが、同十年本能寺の変で父光秀が主人の信長を殺したため、玉子は離別され味土野の山中に幽閉された。その後、豊臣秀吉の許しで復縁し、同十五年にキリスト教の信者となり、ガラシャの洗礼名を授けられた。
 慶長五年(1600)忠興が上杉征伐に従軍中、豊臣方では諸侯の婦人達を人質として大阪城内に入れようとした。玉子はその要求を拒み「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世を残して玉造邸に火を放たせ、三十八歳の生涯を終えた。(御廟の説明書より)
「ガラシャ夫人像」橋本明治画 大正12年 島根県立博物館蔵


古色蒼然とした庭園内


細川ガラシャ夫人の御廟

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4 コメント

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あら・・・ (桑原)
2008-02-29 11:41:48
私の、亡き父のお墓も立田ですよ!昔は、大江から自転車でお墓参りに行ったものです。(今では考えられませんが)
ちなみに、この度、兄夫婦が龍田陳内(立田の杜)に家を購入しました。新築なのに、○○○○設計に頼んでいないのがミソです。(笑)
モデルルームに行って、舞い上がって購入しちゃった☆てな感じです。
ここは (へいたらう)
2008-02-29 14:31:40
ここは昔、20年ほど前に三ヶ月間だけ熊本にいたときに行ったことがあります。
もう一カ所、こういうところがありますよね。
いいところだなーと思いましたよ。

福岡には、こういうのが無いんですよね。
Re:あら・・・ (FUSA)
2008-02-29 17:30:21
私の子どもの時は家族で京町から立田山まで歩いて墓参りに行くのがならわしでした。うちの墓のまわりには無縁墓が多くなって人の世のあわれを感じます。
お兄さんは陳内にお住まいでしたか。自分の家はあまり知り合いとかなんかを通さない方が良いみたいですよ。立田山周辺も開発が進みましたね。
Re:ここは (FUSA)
2008-02-29 17:37:40
立田自然公園の竹林の中に入ると、世の中の憂さから隔絶された気分になります。
もう一ヶ所はどこでしょうね?北岡神社のある花岡山の方でしょうか?

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