徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石先生はいったい何と・・・?

2013-04-20 17:22:44 | 文芸
 「夏目漱石内坪井旧居」内部の展示がリニューアルされ、今日、記念イベントが行われるというので覗いてみた。レイアウトもだいぶすっきりと整理され、漱石の人物像がよりわかりやすくなったような気がする。そんな展示物の中で僕が一番興味深かったのが1枚の新聞記事だ。漱石は明治33年(1900)7月、英国留学のため4年3ヶ月を過ごした熊本を去るが、その8年後の明治41年(1908)2月、九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)のインタビューに答えて熊本の印象を語っている。その中でも熊本に到着した時のくだりは、わが家の周辺の風景であり、漱石の時代と現在、あるいは終戦直後の僕が子供だった頃の風景と比較しながら読んだ。もし漱石先生が今日の風景を眺めたらいったい何と表現されるだろうか。

▲初めて熊本に行った時の所感
 それならお話いたしましょう。私は7、8年前松山の中学から熊本の五高に転任する際に汽車で上熊本の停車場に着いて下りて見ると、まず第一に驚いたのは停車場前の道幅の広いことでした。そうしてあの広い坂を腕車(人力車)で登り尽くして京町を突き抜けて坪井に下りようという新坂にさしかかると、豁然として眼下に展開する一面の市街を見下ろしてまた驚いた。そしていい所に来たと思った。あれから眺めると、家ばかりな市街の尽くるあたりから、眼を射る白川の一筋が、限りなき春の色を漲らした田圃を不規則に貫いて、遥か向うの蒼暗き中に封じ込まれている。それに薄紫色の山が遠く見えて、その山々を阿蘇の煙が遠慮なく這い回っているという絶景、実に美観だと思った。それから阿蘇街道(豊後街道)の黒髪村の友人の宅に着いて、そこでしばらく厄介になって熊本を見物した。
※原文を現代文に変えています


夏目漱石内坪井旧居パンフレットより


今日も県外からの観光客が多いようだ


そぼ降る春雨に濡れる庭の若葉が美しい


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