今日は9月朔日というわけで藤崎八旛宮へお参りに行く。今月も参拝客は少ない。回廊にはこれから虫干しをするのか、随兵の具足を入れた木箱が置いてあった。今年は使われないまま再び木箱にしまうのだろう。なんだかせつない気持になる。
ところで今日は二百十日(立春の日から210日目)である。つい夏目漱石の「二百十日」に出て来る次のくだりを思い出す。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ」と下女は肥後訛の返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
「ねえ」
この珍妙なやりとりは、夏目漱石が五高教師時代に、友人で同僚の山川信次郎とともに阿蘇登山した体験をもとに書いた「二百十日」の中の一節。泊まった内牧の温泉宿における女中とのやりとりである。女中の「ねえ」という返事は、今日ではほとんど使われないが、下男や下女が主人に対して「はい」の意味で「ねい」と答えていたという。「ねい」と同じ意味で「へん」という返事もあったが、こちらの方は僕が子供の頃、物売りのおばさんが使っていた覚えがある。明治後期の高等女学校では「卑俗なる言葉」として矯正教育が行われたと聞く。
ところで今日は二百十日(立春の日から210日目)である。つい夏目漱石の「二百十日」に出て来る次のくだりを思い出す。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ」と下女は肥後訛の返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
「ねえ」
この珍妙なやりとりは、夏目漱石が五高教師時代に、友人で同僚の山川信次郎とともに阿蘇登山した体験をもとに書いた「二百十日」の中の一節。泊まった内牧の温泉宿における女中とのやりとりである。女中の「ねえ」という返事は、今日ではほとんど使われないが、下男や下女が主人に対して「はい」の意味で「ねい」と答えていたという。「ねい」と同じ意味で「へん」という返事もあったが、こちらの方は僕が子供の頃、物売りのおばさんが使っていた覚えがある。明治後期の高等女学校では「卑俗なる言葉」として矯正教育が行われたと聞く。
