のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

逆輸入

2013年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 ベルギーの片田舎を舞台にした「フランダースの犬」、テレビでアニメ化されたこともあって、その美しく悲しい物語はほとんどの日本人が知っていることと思います。

 原作はA Dog of Frandersと英語で、英国の女性作家ウィーダ(1839~1908)によって書かれた英国文学です。ウィーダは旅行好きで紀行小説をいくつも書いており、その中の一つがベルギーを舞台にした「フランダースの犬」です。

 16世紀から17世紀にかけて活躍したペーター・ポール・ルーベンス(1577~1640)の拠点だったアントーワープの近くの村に住む貧しい少年ネルロは、両親を早くに亡くし祖父によって育てられ、年老いた犬パトラッシュと共に貧しい生活ながらも誠実な少年。

 ネルロは画家になりたい夢を持ち、アントワープの大聖堂にあるルーベンスの絵を見たいと言う夢を持っています。大聖堂には3枚のルーベンスの絵があり、「聖母昇天」の絵はいつでも見られたが、「キリスト昇架」「キリスト降架」は拝観料を払わなければ見ることができず、その拝観料もない貧しい生活をしています。

 貧しさゆえに泥棒の汚名を着せられ、最後は大聖堂に行き、夢だったルーベンスの絵を見ながら愛犬パトラッシュと共に死んでしまう悲劇です。

 日本にこの「フランダースの犬」が紹介されたのは明治42年のことです。日露戦争勝利のイケイケムードの中、小川未明などロマンチックでセンチメンタルな児童文学の潮流が始まる頃です。貧しいけれど画家になる夢を持っているネルロが、最後には貧しさゆえに認められないままに死んでしまうはかなさが日本人の琴線に触れたようです。

 「フランダースの犬」は英国でもあまり知られていないどころか、舞台となったベルギーでもまったく知られていない物語でした。時代は20世紀末。生活の向上した日本人が海外に出るようになります。テレビで見たフランダースの犬の故郷を見ようと人々がベルギーに押しかけるようになります。

 アントワープ界隈も「そんな物語があったのか?」と寝耳に水で、押し寄せる日本人観光客が「フランダースの犬の舞台はどこですか?」と訪ねまくるものですから、「こりゃどこかにフランダースの犬の舞台を作らなければならない」と腰を上げます。

 アントワープから数キロはなれたホーボーケンと言う村がネルロのふるさとに名乗りを上げました。ここを訪れるのは日本人だけだそうで、私の弟もパリに短期留学していたときに出向いています。その頃はまだネルロとパトラッシュの銅像はなかったそうですが、後に銅像ができます。ところが、このパトラッシュが小説とは似ても似つかない小型犬で、ネルロと一緒に荷車を引く大型犬ではありません。原作にも労働に耐えた大型犬とあるのですが、彫刻家は小説を読んでいなかったのでしょう。

 元々はイギリス発なのでしょうが、フランダースの犬は日本からの逆輸入と言う形でベルギーに押し寄せました。

 ロシアにも思わぬ日本からの逆輸入があります。♪日曜日に市場に行って♪”一週間”の歌がそうです。元々はウクライナの一部地域で歌われていた村歌で、ほとんど忘れられたような歌だったそうです。

 日本でロシア民謡やソビエト歌謡が一般に親しまれるのは戦後のことで、シベリア抑留者などが抑留中にロシア兵が唄う歌をおぼえて持ち帰ったものなどが多かったようです。こうした抑留者からの帰還者には共産主義者になったものも多く、労働運動や、背後に共産主義者が関わる歌声運動などにロシア民謡やソビエト歌謡が用いられるようになります。

 ロシア民族の好む旋律が日本人に受け入れやすいメロディーだったこともあったり、コーラスを考慮して作られたソビエト歌謡は学校の音楽教育やコーラス愛好家に好まれました。

 ソビエト時代、日本の有名なコーラスグループのダークダックスがソビエトに招待されました。モスクワ公演に向けて今まで唄っていない新しいレパートリーを探したところ、ウクライナの村歌”一週間”の譜面が見つかり、これをレパートリーに加えてモスクワ公演で披露しました。

 ”一週間”は観客のほとんどが始めて知る歌だったようで、日本から逆輸入と言う形でロシア人達の耳に入ることになりました。

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