のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

連合赤軍

2011年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 旧白沢村の山中で興味深い杭を発見しました。手入れに行った杉林の中に「群馬 赤軍 No6」と書かれた杭があり、もしかして連合赤軍のリンチ殺人で死体を生めた場所ではなかろうか?と気がつきました。

110111  1971年から1972年2月半ば頃にかけて連合赤軍の山岳ベース事件というのがあり、榛名山中で8名、沼田市の迦葉山で3名、妙義山で1名、連合赤軍の内部抗争のリンチで殺されました。

 白沢村山中の2箇所で発見された3名は、1972年の1月30日と2月4日に迦葉山で殺された人たちで、1月30日に山本順一、大槻節子、2月4日に金子みちよが殺されています。

 私は当時小学生でしたが、この事件のことは学校でも話題になりました。人も近寄らない山奥の杉林の中に埋められてたと聞いていますが、今はその近くに望郷ラインと呼ばれる観光道路が走り、山の上のゴルフ場に向かう道路が交差する場所に、植林して20年程度の杉林があり、その林の隅に杭を発見しました。たぶん事件後に林の伐採があったのでしょうが、事件の時にはすでにあったと思われる、4-50年物のカラマツの林が杉林を分断しており、新しく開いた道路に挟まれていることもあって、青の事件があったときのような鬱蒼とした暗い林とはイメージが多少異なります。

 一連のリンチ殺人事件は永田洋子、森恒夫の二人が中心になっておきた事件ですが、森恒夫は獄中自殺。永田洋子は死刑判決を受けながらも東京拘置所でまだ生きているはずです。権力を持つべき資質のない人間に権力を持たせると起きる事件の典型のようなもので、この山に埋められた2名の女性など永田洋子の嫉妬で殺されたといっても過言ではないでしょう。

 とは言え、被害者のように語られがちですが、はたしてこの山に埋められた連中が生きていたら?ろくな者になっていないでしょうね。

 連合赤軍ほどラジカルではないものの、似たような流れを汲む人たちが政権の中心に居座っているですから、時代が変わったというのか、あきれるというのか。外的と戦う度胸はないくせに仲間内で権力闘争していることに変わりはありません。

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