チューインガム一つ 3年 村井 安子
せんせい おこらんとって せんせい おこらんとってね わたし ものすごくわるいことした
わたし おみせやさんの チューインガムとってん
一年生の子とふたりで チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた きっと かみさん(神様)が
おばさんにしらせたんや わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに カタカタふるえるねん
わたしが一年生の子に 「とり」いうてん
一年生の子が 「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから いややいうた 一年生の子がとった
でも わたしがわるい その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい わるい わるい わたしがわるい
おかあちゃんに みつからへんとおもったのに やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお 見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」 おかあちゃんはなきながら そないいうねん
わたしひとりで出ていってん いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても どこへもいくとこあらへん なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて なんにも かんがえられへん おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん けどおかあちゃんは
わたしのかおを見て ないてばかりいる わたしは どうして あんなわるいことしてんやろ
もう二日もたっているのに おかあちゃんは まだ さみしそうにないている せんせい どないしょう
(「灰谷健次郎 子どもに教わったこと」角川文庫より)
今日 お昼何気なくテレビを見ていたら 万引きの話が出ていて
最近 万引きが増えているとのこと
まあ それだけなら最近はそうかも・・・と思うだけだったと思うのですが・・・
気になったのは 万引きをした子どもの保護者が 逆に店や訴えた人に
「盗りやすいところに 置いてあるからだ」
「お代金は払いますから もういいですね」
「万引きぐらいで 訴えないで」
「万引きを訴えられたせいで 子どもの気持ちに傷がついた」などと言う場合があるらしい
親としては 子を守っているのか・・・
すぐに 思い出したのが この詩
学生時代 子どもに関わった勉強をしていたので 当時この詩には衝撃を受けました
高石ともやさんが 曲をつけて 歌っておられたそうです
確かに この詩を書いた子は傷ついている
でも 傷つかなければわからないこともある
子どもをかばうのと 子どもを時には傷つけてでもわからせることと
どちらが その子を 本当に守っていると言えるのでしょう
せんせい おこらんとって せんせい おこらんとってね わたし ものすごくわるいことした
わたし おみせやさんの チューインガムとってん
一年生の子とふたりで チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた きっと かみさん(神様)が
おばさんにしらせたんや わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに カタカタふるえるねん
わたしが一年生の子に 「とり」いうてん
一年生の子が 「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから いややいうた 一年生の子がとった
でも わたしがわるい その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい わるい わるい わたしがわるい
おかあちゃんに みつからへんとおもったのに やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお 見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」 おかあちゃんはなきながら そないいうねん
わたしひとりで出ていってん いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても どこへもいくとこあらへん なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて なんにも かんがえられへん おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん けどおかあちゃんは
わたしのかおを見て ないてばかりいる わたしは どうして あんなわるいことしてんやろ
もう二日もたっているのに おかあちゃんは まだ さみしそうにないている せんせい どないしょう
(「灰谷健次郎 子どもに教わったこと」角川文庫より)
今日 お昼何気なくテレビを見ていたら 万引きの話が出ていて
最近 万引きが増えているとのこと
まあ それだけなら最近はそうかも・・・と思うだけだったと思うのですが・・・
気になったのは 万引きをした子どもの保護者が 逆に店や訴えた人に
「盗りやすいところに 置いてあるからだ」
「お代金は払いますから もういいですね」
「万引きぐらいで 訴えないで」
「万引きを訴えられたせいで 子どもの気持ちに傷がついた」などと言う場合があるらしい
親としては 子を守っているのか・・・
すぐに 思い出したのが この詩
学生時代 子どもに関わった勉強をしていたので 当時この詩には衝撃を受けました
高石ともやさんが 曲をつけて 歌っておられたそうです
確かに この詩を書いた子は傷ついている
でも 傷つかなければわからないこともある
子どもをかばうのと 子どもを時には傷つけてでもわからせることと
どちらが その子を 本当に守っていると言えるのでしょう
高石友也さん、よくライブに行きました。
岡林信康さんの「チューリップのアップリケ」の歌も思い出しました。
もっと、家族のあり方とか、まじめだったあの頃を思い出します。
罪を犯したのですから 傷つくのは当たり前で
傷つくからこそ 次の罪を犯さずにすむのだと思います
結局 裁くのは自分自身ですから
自分自身がしっかり罪と向き合えるように
まわりが支えて行かなくてはと 思います
そうですね
人としての生き方や 家族のあり方を真面目に語れる時代がありました
今 それを語ろうとすると
そんなの関係ない それぞれ人の勝手じゃん
と言う声が聞こえて来そうです
さびしいなと 思います
少年刑務所のお話を伺いに行った時、
所の方のお話で
子供の頃から、ついてしまった万引き癖や
窃盗癖は、成人してからの更生は難しいと
言っておられました。
親や社会全体で、子供たちに物事の
善悪や、思いやりの心など…学校での
教育では教えきれない、きめ細かい所を
丁寧に教えて、見守り、道を外れそうに
なれば、叱り戒める…事が当然だと思って
きました。
自分の子供が傷つくから…と言うのは
相手の人は、傷ついていないのか?という
のを、全く無視した、自己中発言ですよね。
大人になりきっていない、大人が
多いのですね。変わらなければいけませんね。
親は本当に子供の為だと理解して行動しているのでしょうか?。家庭、地域、社会におけるコミュニティが崩壊しており、自己中心的な考え方が蔓延しています。
今の子供達は、叱られ方を知らず、指針を示しても、注意しても怒られたと思う様です。一部の大人や子供達はすぐに「誰が悪い」「自分が悪くない」「怒られた」と過剰に反応してしまい、免疫が無い様に思われます。日本が豊かになった分の代償かもしれません
きょうはこんな親に怒りを込めてこの唄です。
あたくし奴(め)が餓鬼の頃見掛けた風景で茣蓙
居ます。唄の背景は・・・・
最初の人が元祖です。
次の人の歌声も心にひびいてきます。
聴き比べてください。
http://www.youtube.com/watch?v=N5qqju0TrXc
http://www.youtube.com/watch?v=V_lKVI7LoN8&feature=related
こんな時代もあったんですよ。
番組のなかでも コメンテイターの方が
万引きのような小さなことを見逃すと
必ず将来大きな罪を犯すことになると言っていました
これは やはり大人の責任ですね
確かに 何か言われただけで 怒られたと思い
聞く耳を持っていないようですね
叱られた経験が少ないのでしょう
私の知っている教師の方も 叱っても叱られたとわかる子が少ないと言っていました
丸山明宏(美輪明宏)さんのヨイトマケの唄は前に聴いてとても感動致しました
泉谷さんのヨイトマケの唄は初めて聴きました
また違った味があり よかったです
この記事にこの唄を紹介してくださって
なんだかピタッと来るものを感じました
ありがとうございます