今朝 夫と二人 どちらからともなく 「あの日も金曜日だったね」と 言いました。
宮城県出身の夫はもちろん わたしも決して忘れられない あの日のことが 次々と浮かんできました。
ここ数日 なんだかバタバタしていて ちょっとブログから遠ざかっていましたが
ふと 紋狗 悠之輔さんからいただいたコメントの中に 「そういえばあの日も金曜日だったんですねえ」の文字を見て
「あぁ こうして人の心の中に あの日は残っているのだ」と思い
何を書こうかも決まらないまま 新規投稿の画面に向かっています。
夫の生まれ育った町 野蒜は あの日大きな被害を受け 立ち並んでいた家々はなくなり もう誰も住んではいません。
でも 帰省すると 必ず立ち寄る場所。 確かにそこに人々の暮らしがあったことを確かめる場所。
野蒜には 広い砂浜があります。 奈良で育ったわたしは海を見ると 心が浮き立ち嬉しくなりますが
おだやかな海も ひとたび牙をむく恐ろしさを知ってからは この浜に立つと 祈る 気持ちになります。
その浜に 今回 こんなものがありました。
「ここは初日の出が拝めるからな~」と 夫は言いました。
帰ってから調べてみると 昨年 被災した杉を使って 地元の人たちやボランティアで作った 手作りの鳥居でした。
夫がいうように 震災後も初日の出を拝む人がたくさん訪れるため 鳥居を立てたとありました。
震災後 海水浴がまだできないでいるようですが
また みんなが安心して 海と向き合えるようになってほしい と 思います。
あの時間(午後2時46分頃) 、あたしゃぁ晝寝をして居り揺れで飛び起き、
慌てて佛壇が倒れん樣に抑えたんです。
『金曜日』だ、と云う亊、何故覺えてたか云うと、数日後39歳に為る自閉症
の長男が通う施設からの帰宅が午後11時を廻ってたからなんですよ。
施設の職員さんが大渋滞の中車で送って呉れたんです。
施設長からは忙しい中、度々連絡を呉れたんです。
その長男、きょうも元氣に施設に通っております。
震災でお亡くなりに為った方々のご冥福を祈ります。合掌。
金曜日でした。
お嫁ちゃんからの
元気ですメール
とっています。
3月11日。
合掌。黙祷。
元のところに帰りたい気持ちは有るようですが試案中と言っていました
特に60歳以上だと家の建て替えも資金面で難しいようですね
3.11 NHK他、各民放でも 毎日のように あの日の出来事を、そして現在の東北地方の現状を 放送していますが あれから5年経ちましたけど、かさ上げ工事が進んでいるようですが 予定より 1年から2年も遅れているようで・・・
ある地区では
かさ上げ工事ではなく 空地に目を付け そこに 住宅を建てるとういう 技法で 3年ぐらいで ほとんど 街づくりが出来ているという地区もあるようです。 やはり 住み慣れた 場所に一刻も戻れるように 政府も頑張ってほしいものですね。
そういういきさつがあったのですね
津波の被害があったところはもちろんですが
いろいろな場所で 忘れられない日となった3・11
折に触れ思い出して 忘れずにいることが
一番大切なのではと思います
そのメールどんなにかうれしかったことでしょう
わたしも 義父 義兄の無事を知ったとき
本当にうれしかったです
一刻も早く元の生活にと思いますが
いろいろ行く手を阻むものがあって思うようにいかないのが現実ですね
みなさんが幸せに暮らせるように祈らずにはいられません
家のローンが残っているのに新築しなくてはならない場合もあると聞きました
思いもかけない被害で 本当にどうすればよいのか思いあぐねている方々もたくさんおられるのだと思います
困難なことは山積みですが
少しずつでも解決していってほしいですね
ものすごい長い、横への揺れでした。
当時は、公園にいて、めまいがしてるかな、病院に行ったほうがいいだろうか、と思ったら地震でした。
家に帰ってから、さらにニュース報道にびっくりしました。^±^;
http://tekukame.blog135.fc2.com/blog-entry-2985.html
平成二十八年弥生十七日(第二木曜日・佛滅)ありますなぁ。
平成28年春の『彼岸』の入りであります。
「暑さ、寒さも彼岸まで」とやら。
本格的な春の到來いつの亊やら。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUH9YvBRNPM
http://www.youtube.com/watch?v=YzQz8LwV-M8
本格的な『春』が待ちどおしいですなぁ。
あたしゃぁ、明日山の神と墓參の豫定であります。
では、また。。。。