忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

第3回 のんきのメンタルクリニック(*´∀`*)

2010-10-22 23:59:08 | こころの問題
さて。前回は、「対象」の側面から見る「腹を立てない方法」を考えてみました。

今自分が直面している問題は、「自分の問題」なのか、「相手の問題」なのか。
「相手の問題」を、「自分の問題」だと錯覚して、「相手の問題」を「自分」が解決しようとしていないか。

では、自分が直面している問題の、どこまでが「相手の問題」で、どこからが「自分の問題」なのか。

「対象」とする問題が、「相手の問題」であったとき、必要なのは、「腹を立てること」ではなく、「相手の問題」を「分析すること」である。

これが、「対象」の側面から見る「腹を立てない方法」の鉄則です。
腹を立てずに分析する。必死に分析することで、「自分」がとりうるべき「手段」もおのずと見えてくるようになるのです。そして、「怒り」は必ずしも物事を解決すべき手段とはなりえないことも。

では、次に。「対象」が「相手(もしくは自分以外の何か)」ではなく、「自分」にあった場合はどのように考えるべきなのでしょうか。

前回の記事の中で、示した「腹を立てる」プロセスとして示した事例の中で、一連の流れの中には、「相手の問題」と「自分の問題」があることをお示ししました。

おさらいしてみましょう。


些細なことで、つい切れてしまって、思わず感情をぶつけてしまう。

未熟な方ですと、「些細なこと切れている」ということにすら気づいていない人もいます。

ですが、ある程度精神的に成熟してきますと、「つい腹を立てて感情相手ぶつけてしまった」ことを「後悔」するようになります。

そして、後悔することが解っているのに、同じようなシチュエーション出くわすと、我慢できずに、また同じように相手感情ぶつけてしまう・・・。

そういった方の多くは、「自分」が腹を立てることを後悔しているはずなのに、なぜか自分腹を立てる対象となっている「相手」のことを悪く言おうとする

たとえば、その方にそのことを問いかけると、きっとこう答えるでしょう。

「だって相手が悪いんだから」と。

赤字が「相手(もしくは自分以外の何か)の問題」であり、青色が「自分の問題」です。では、赤字と青字の「明確な違い」とは、一体なんでしょう。もちろん、「相手の問題」だとか「自分の問題」だとかいう項目は抜き
にしてですよ。

ではでは。ちょっと考えてみましょう。


































はい。わかりましたか? 

赤字と、青字を、ちょっとピックアップして見てみましょう。


赤字・・・「些細なこと」「人(相手)」「同じようなシチュエーション」「対象」「相手が悪い」
青字・・・「自分」「(つい)切れる」「感情」「気づく(気づいていない)」「感情をぶつける」「後悔」「腹を立てる」「悪く言う」

わかったでしょうか。赤字は「客観的・具体的に説明することが可能」である。青地は、(「自分」という言葉以外)「抽象的で、具体的に説明することが難しい」ということ。
唯一、例外的に、赤字の中に「相手が悪い」という言葉が含まれていますが、基本的に「相手が悪い」と考えているのは「自分」なので、これは自分自身の問題である、ということもできます。

そう。つまり、「相手(もしくは自分以外の何か)の問題」とは、「事柄」に相当するものであり、「自分の問題」とは、内面的な問題。つまり、「感情の問題」であるということができるのです。

それでは、「感情」の側面から見る「腹を立てない方法」を考えて見ましょう。

では、そもそも「感情」って何でしょう。いろんな表現があります。「怒り」「喜び」「悲しみ」。
よく、こんな表現をしますね。「感情を持つ生き物は人間だけだ」と。しかし、本当にそうでしょうか。

よくよく考えてみてください。例えば、犬が食べようとしている食べ物を取り上げたとき、犬はどんな風になりますか?
例えば、牙をむいてほえて怒ったり、悲しそうに鳴いてみたり・・・。

では、取り上げたえさを、再び犬に与えるとどうでしょう。尻尾を振って大喜びです。とてもうれしそうにえさを食べます。

さあ。どうでしょう。こうしてみると、犬や猫にも「感情」があることがわかります。

実は、「感情」って、人間の根源から沸き起こる、意識的にとめることができない、無意識の感覚のことを言うのです。(※参照:阿頼耶識

つまり、人間が「腹を立てる」という感覚を持つことをとめることは、すなわち「不可能」だということになります。だって仕方がないです。「無意識」のうちに沸き起こって、「意識的」にとめることができないのです
から。

だけど、それでも「感情」の側面から見て、「腹を立てない」ことは可能なのです。

どんな方法でしょう。
まあ、ヒントはかなり記してるんですけどね。

人間の感情は、「無意識」に起こって、「意識的」にとめることはできません。であれば、感情が、「無意識」のうちに沸き起こらないようにすればよいのです。「無意識」を「意識」の支配下に置くのです。

よく「氷山の一角」っていう表現をしますよね。
人間の意識(顕在意識」の割合は一割程度で、残る9割は「無意識」である、と。

腹を立てないための第一の方法は、「無意識」に行っている行為を、「意識的」に行うことなのです。
人間が一日に行っている行為って、考えてみると、随分たくさんあります。朝目を覚まして、身体を起こして、あくびをして、右手を上げて、左手の指を動かして、立ち上がって、着替えて、ドアを開いて、階段を下りて、
ご飯を食べて・・・。

では、人間のこういった行為のうち、どの行為が「無意識」に行われ、どの行為が「意識的」に行われているでしょう。
皆さんは把握されていますか?

さて。では、「無意識」に行っている行為を、「意識的」に行うとはどういうことでしょう。
「無意識」に行っていること。これは、言い換えれば「癖」や「習慣」のことなのです。

つまり、「無意識」を「意識的」に行うことととは、自分自身の「癖」や「習慣」を知ることに他ならないのです。
気づかされるものです。ああ、自分はこの行為をするときに、こんな癖があったのか、と。これは、「自分自身」を「客観的」に見るということでもあります。

「怒り」も感情である以上、「無意識」に腹を立てていることになります。「無意識」に腹を立てている状態を、「意識的に行う」とどのような状態を指すのか。

それは、つまり「自分自身」が、一体どのような時に腹を立てているのか、ということに「気づく」ことを意味しています。

自分自身が腹を立てるケースを把握する、ということはつまり、事前に腹を立てそうなケースが生じることを察知し、腹を立てる「準備」を行うことができます。
また、場合によっては腹が立ちそうなケースが生じることを察知して、その状態を「避ける」。もしくは「逃げる」ことも可能になります。

瞬間湯沸かし器のように腹を立てる人を見ていると、その人は、わざわざ自分が腹を立てそうなケースに自ら突っ込んでいって、案の定腹を立てているような、そんな状態をよく目にします。
「わざわざそんなところに行かなきゃいいのに・・・」と。


さて。ご理解いただけましたでしょうか。
「感情」の側面からみた「腹を立てない方法」。その答えは、「腹を立てている自分に気づくこと」なのです。

もちろん、すでに腹を立てているわけですから、厳密にいえば「腹を立てない方法」と言えないかもしれません。ですが、腹を立てていることに気づいていることで、腹を立てている自分を
コントロールし、やがては腹を立てる前に腹を立てることをやめたり、また避けたり、逃げたりすることが可能になるのです。


いかがだったでしょう。
「感情」の側面からみた「腹を立てない方法」。「無意識」を「意識的」に行う習慣。ぜひ、身につけてみてくださいね。


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