飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

三渓園から山下公園へ(前編)

2019年12月01日 | Weblog
 11月30日(土)は、久しぶりに山行グループ(男性4人、女性2人)で三渓園から山下公園まで歩いてみました。
 集合場所と時間は、遠方から来る人もいるのでJR根岸駅10時30分になりました。

<相鉄線大和駅>

 JR根岸駅へは、大和駅から相鉄線に乗って横浜駅経由で行きます。
 今日(30日)から、西谷駅~羽沢横浜国大駅間の開通により相鉄線とJR東日本が相互直通運転になったので、相鉄線乗り場のホーム階段で路線図を撮っている人がいました。


 折角なので、私も路線図を撮ってみました。
 緑色の路線図の起終点駅は、西谷(にしや)と川越になっていました。


 いつでに、ホームの行先案内板も撮ってみましたが、新宿と横浜の行先が出ていると少し違和感があります。

<JR根岸駅>

 JR根岸駅に着いたので改札口(1ヶ所)を撮ってみました。


 駅前に、ご覧のような記念碑があったので撮ってみました。
 漁業協同組合、昭和34年、根岸湾百十万坪埋立などが読み取れたので、埋立反対の記念碑だったのかも知れませんね!?


 傍に、「磯子区の海岸線の変化|根岸湾の埋立進行図」もあったので撮ってみました。
 左上の明治15年(1882)から、根岸湾が埋立てられていく様子が分ります。
 又、図には、横浜市電(1972年全線廃止)、京急線、国鉄の各路線も記されていました。


 三渓園は、市営バスに乗ってバス停「本牧市民公園前」で下車します。
 バス停「根岸駅前」からJR根岸駅とバスターミナルを撮ってみました。
 尚、駅の後に見える道路は首都高湾岸線です。

<本牧市民公園前>

 バスは10分程で、ご覧のような崖がある本牧市民公園に着きました。


 取り敢えず、地層が見える崖をアップで撮ってみました。




 崖の上の木に鳥が留まっていたのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、崖の下の池を撮ってみました。


 

 池に、水鳥(マガモ?)がいたので撮っていると、動き出したのでアップで撮ってみました。




 池の水面に映る紅葉があったのでアップで撮ってみました。


 三渓園南門に向って歩いていると、ご覧のような門のある玉蘭庁がありました。


 又、奥には六角形の二重屋根の湖心亭があったのでアップで撮ってみました。


 ついでに、玉蘭庁もアップで撮ってみました。
 どうやら、この辺りは上海横浜友好の庭園になっているようでした。


 崖をバックに玉蘭庁を撮ってみました。


 ついでに、玉蘭庁をアップで撮ってみました。


 池に架かる橋を渡ると三渓園南門があります。
 橋を渡りながら、右側に見えた湖心亭と玉蘭庁を撮ってみました。




 ついでに、橋の上から池の両側を撮ってみました。

<三渓園南門>

 橋を渡ると、三渓園と書かれた門がありました。
 尚、2015年6月の「三渓園(外苑)をぶらり」で来た時は、南門ではなく正門から入りました。


 振り返って、渡って来た橋を撮ってみました。


 三渓園南門の前には、ご覧のような行列が出来ていました。


 通路脇に、ご覧のような菊(磯菊?)が咲いていたので撮ってみました。
 

 あまり見かけない磯菊なのでアップで撮ってみました。


 三渓園南門で入園料(700円)を払って園内に入ると、湖心亭が見えたので撮ってみました。


 ついでに、玉蘭庁も見えたので湖心亭と一緒にアップで撮ってみました。


 ご覧のような散策路を通って松風閣(展望台)の分岐に向かいました。


 散策路の左側には、ご覧のようなツワブキが咲いていました。


 ツワブキの後に椿(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。

<分岐:松風閣(展望台)・三重塔>



 分岐<松風閣(展望台)・三重塔>に着いたので道標を撮ってみました。


 分岐にもツワブキが咲いていたのでアップで撮ってみました。




 ご覧のような急な散策路を上って松風閣(展望台)に向かいました。


 途中、ショートカットして行ける急な山道もあったのですが、左側のなだらかな散策路を進みました。

<松風閣(展望台)>

 ご覧のような散策路を上って展望台に向かいました。


 左側にあったレンガの瓦礫は、ご覧のように昔のままでした。


 取り敢えず、建物(松風閣)を撮って階段を上って展望台に行ってみました。


 展望台の右側には人が集まっていて、ご覧のような富士山が見えました。




 取り敢えず、富士山をアップで撮ってみました。


 更に、アップで撮ってみましたが塔が邪魔していて気に入ったように撮れません。




 首都高速湾岸線の奥にあるコンビナート群を撮ってみました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。




 富士山が真正面に見える場所に戻って来ました。


 塔に邪魔されない位置で富士山を撮ってみました。


 更に、倍率を上げて撮ってみました。

<三重塔に向かう>

 展望台を下りて散策路に戻ると、左側にショートカットの山道がありました。
 上から見ると、かなり急な山道だったので登らなくて正解でした。


 ご覧のような散策路を通って三重塔に向かいました。




 途中に、ご覧のような出世観音があったので撮ってみました。

<旧燈明寺三重塔>

 散策路を5分程歩くと、ご覧のような三重塔が見えて来ました。




 旧燈明寺三重塔(重要文化財)の前に着いたのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、真下からも撮ってみました。






 折角なので、軒下の木組みをアップで撮ってみました。
 

 ついでに、風鐸(ふうたく)も撮ってみると、瓦の刻印は東明寺になっていました。
 これは、江戸時代に宗派が変わった際に東明寺から燈明寺に改名されたようです。


 三重塔から見えた、大池の正門方面を撮ってみました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。


 三重塔からは、ご覧のような急勾配の石段を下ります。




 石段を下りていると、横笛庵の近くに素晴らしい紅葉が見えたのでアップで撮ってみました。


 石段の下には、ご覧のようなツワブキが咲いていました。


 取り敢えず、素晴らしいツワブキをアップで撮ってみました。

<梅林(臥竜梅)>

 散策路の先に行くと、梅は咲いていませんが臥竜梅がありました。


 臥竜梅(がりゅうばい)の説明案内板があったので撮ってみました。


 梅林の外れに遣って来ると、色違い(ピンク色、赤色)の椿(?)が咲いていました。




 手前のピンク色の椿をアップで撮ってみました。


 折角なので、奥にあった赤色の椿も撮ってみました。




 左手の奥の方を見ると、滝が流れていたのでアップで撮ってみました。

<旧東慶寺仏殿>

 ご覧のような石橋を渡って旧東慶寺仏殿に行ってみました。


 石橋を渡っていると、滝から流れている沢が見えたので撮ってみました。
 

 又、左側に、横笛庵と沢に架かる寒霞橋が見えたので撮ってみました。


 重要文化財の旧東慶寺仏殿に着きました。
 この建物は、室町時代の永正6年(1509)直後に再建された鎌倉東慶寺の仏殿です。
 尚、北鎌倉にある東慶寺は何回か訪れていますが、直近では2018年11月の「山行:鎌倉葛原岡・大仏ハイキング」で行っています。

<旧矢箆原家(きゅうやのはらけ)住宅>

 旧東慶寺仏殿の隣りには、ご覧のような旧矢箆原家住宅があります。
 この建物は、江戸時代後期に岐阜県白川郷に建てられたものが移築されたものです。


 取り敢えず、合掌造りの民家を撮ってみました。


 庭に、素晴らしい菊が咲いていたのでアップで撮ってみました。






 時代を感じさせる籾摺臼、臼や杵、鞍があったので撮ってみました。


 軒下には、ご覧のような干し柿が吊るされていました。


 又、ご覧のような木船もあったので撮ってみました。


 茅葺き屋根に、ご覧のような「明り取り(?)」があったので撮ってみました。




 住宅の北側に行くと、屋根には「明り取り」もあって、上の方には火灯窓も付いていました。


 庭に、ご覧のような茶筅塚があったので撮って、旧矢箆原家住宅を後にしました。

<旧燈明寺本堂に向かう>

 散策路に出て横笛庵の裏側を通って、旧燈明寺本堂の方に行ってみました。


 横笛庵を過ぎると、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。
 ⇒ 若しかしたら、三重塔の下の急な石段から見えた紅葉かも知れませね!?




 素晴らしい紅葉だったのでアップで撮ってみました。




 折角なので、別角度からも撮ってみました。


 散策路の先に行くと、ご覧のような大漁地蔵があったので撮ってみました。


 待春軒の手前に遣って来ると、そこら中にツワブキが咲いていました。




 取り敢えず、ツワブキを撮ってみました。


 近くに、珍しい白色のサザンカ(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 中央広場に通じている橋を眺めながら散策路の先に行ってみました。




 中央広場に行ける別の橋もあったので、大池の畔に行って撮ってみました。

<旧燈明寺本堂>

 旧燈明寺本堂の前に着いたので、本堂に行ってお参りすることにしました。
 この建物は、室町時代の康正3年(1457)に建築されたもので重要文化財に指定されています。




 扉が開いていたので、観音様(?)を撮ってお参りをしました。




 旧燈明寺本堂を後に先に行くと、大池を眺めながら昼食が食べられそうな場所がありました。


 石のベンチでは冷たそうなので、後の散策路にあった木のベンチに移動して昼食を食べました。


 昼食を食べてから、旧燈明寺本堂の前を通って、本堂前の橋を渡って中央広場(大池)に向かいました。

<横笛庵(よこぶえあん)>

 時間があったので、橋を渡ってから寒霞橋の先にある横笛庵に行ってみました。




 横笛庵の名前は、高倉天皇の中宮建礼門院に仕えて、平重盛の家臣滝口入道(斎藤時頼)と悲恋に終った横笛に由来しています。
 横笛庵を後に、中央広場(大池)の方に行ってみました。

<大池の畔>

 大池の畔に着いたので、対岸の昼食を取った方面を撮ってみました。


 近くに、高浜虚子の句碑「鴨の嘴 よりたらたらと 春の泥」があったので撮ってみました。


 大池の畔では、池を眺めながら楽しんでいる人達がいました。




 広場の奥に、原三渓翁の碑があるので撮りに行ってみました。


 大池の畔に、素晴らしい松があったので撮ってみました。


 木の間から、観心橋を渡って行ける涵花亭が見えました。


 折角なので、涵花亭をアップで撮ってみました。


 ついでに、ご覧のような藤棚があったので撮ってみました。




 左側の睡蓮池を見ながら正門に向かいました。


 睡蓮池の脇、ご覧のようなドウダンツツジがあったので撮ってみました。


 松の木越しに、横浜市指定有形文化財の鶴翔閣が見えたので撮ってみました。


 睡蓮池の次は、ご覧のような蓮池がありました。


 折角なので、枯れた蓮をアップで撮ってみました。


 大池の畔に、鶴翔閣で挙式を挙げた新郎新婦がいたので撮ってみました(おめでとう御座います)。


 大池の奥の方に、三重塔が見えたので撮ってみました。


 折角なので、三重塔をアップで撮ってみました。


 ついでに、浮舟も撮ってみました。

<正門>

 正門の近くに遣って来ると、三溪園案内図があったので撮ってみました。


 取り敢えず、正門を撮って三溪園を後にしました。


 正門の近くに「みなと横浜回遊マップ」があったので、「港の見える丘公園・山下公園」への行き方を確認しました。

 「三渓園から山下公園へ(後編)」に続く。

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