8月6日(日)は、大和市にも大山街道の下鶴間宿があったので出掛けてみました。
国道246号線の「東名入口(横浜町田)」付近から大山街道を散策しながら小田急線「鶴間駅」まで歩いてみます。
<南町田>

「東名入口」へは、「中央林間駅」で東急田園都市線に乗り換えて「南町田駅」から歩くことにしました。
「南町田駅」で降りるのは初めてなので、取り敢えず、北口を撮ってみました。

北口の前は、現在、整備工事中で商業施設などはありませんでした。
取り敢えず、2019年度開業予定の「南町田拠点創出まちづくりプロジェクト」のポスターを撮ってみました。
<国道246号線>

「南町田駅」からは5分程で国道246号線に着きました。
ここからは、ご覧のような横断歩道橋を渡って「東名入口」に向います。

横断歩道橋から国道246号線の大和方面を撮ってみました。
尚、上の道路は国道246号線のバイパスで、奥に見える左右の高架道路は保土ヶ谷バイパス(国道16号線)です。
<東名入口>

ご覧のような「東名入口」交差点を渡って大山街道を目指します。
「東名入口」は国道の246号線と16号線が交差しているので、渡るのには時間がかかります。

大山街道は、「五貫目町」までは国道246号線と並行している道路なので車では通ったことがありますが、歩くのは初めてです。
道に迷っても仕方がないので、大山街道へは車と同じような行き方(国道16号線沿いを左折)にしました。
<大ヶ谷戸(おおがやと)庚申塔>

大山街道に入って7分程歩くと、バス停「大ヶ谷戸」の傍に「大ヶ谷戸庚申塔」があったので撮ってみました。
中央には、庚申塚(?)と刻まれた塚がありました。

「大ヶ谷戸庚申塔」を後に、ご覧のような閑静な街道を進みます。
<日枝神社>

街道を暫く下ると、左側に鳥居があって境内には消防自動車が停まっていました。


奥に、社殿があったので、お参りしてから扁額を撮ってみました。

左奥に、ご覧のような大六天社があったので撮ってみました。

どうやら日枝神社は、消防分団の後にあったようで、ご覧のような火の見櫓が見えたのでアップで撮ってみました。
<圓成寺(えんじょうじ)>

「日枝神社」を後に街道を暫く下ると、右側に「圓成寺」の山門があったので入ってみました。

本堂で、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

境内に、ご覧のような大きな桜(?)があったので撮ってみました。
周りにはベンチが設けられていたので、お花見には持ってこいですね!?

又、立派な鐘楼があったので撮って、「圓成寺」を後にしました。
<五貫目町>


「五貫目町」に着いたので、「目黒」の交差点までは国道246号線沿いを大和方面に向って歩きます。
<目黒の交差点>

「目黒」の交差点で、陸橋下を通って八王子街道の反対側に出ます。

近くにあった鶴間橋から、これから渡る境川に架かる鶴瀬橋を撮ってみました。

鶴瀬橋から境川の上流方面を撮ってみました。
尚、境川は武蔵国と相模国の国境に流れていたので、ここからは大和市になります。
<観音寺(かんのんじ)>

鶴瀬橋を渡ると右側に、ご覧のような「観音寺」がありました。

境内に入ると、右側に金亀坊稲荷があったので行ってみました。

由緒などは分かりませんが、失礼して内部を撮らせていただきました。

又、左奥に弁天堂があったのでこちらも撮ってみました。

正面に戻って、ご覧のような山門を通って本堂に向います。


参道の左側に、大慈大悲観世音菩薩が立っていたのでアップで撮ってみました。

右側にあった手水舎で、身を清めてから本堂に向います。


本堂でお参りしてから山号(鶴間山)を撮ってみました。

参道を戻ると、右手にご覧のような太子堂があったので撮ってみました。

山門をサルスベリ越しに撮って、「観音寺」を後にしました。

観音寺前の横断歩道を渡って、ご覧のようなバスが通る大山街道を進みます。
<大山阿夫利神社御分霊社>

街道を暫く進むと、右側に「大山阿夫利神社御分霊社」があったので行ってみました。

取り敢えず、赤い鳥居をアップで撮ってみました。

右奥に、「金運・長命 大国主大神 出世 太閤豊臣秀吉公霊」の立札のある祠がありましたが、御利益と御霊の関係が良く分かりません。

社殿の手前に、ご覧のような可愛らしい手水があったので撮ってみました。

取り敢えず、社殿でお参りをしましたが、由緒書がないので詳しいことは分かりません。

境内の奥に行くと、ご覧のような「新田義貞公之像」があったので撮ってみました。

又、入口の左に「新田軍の鎌倉進撃路」の地図が掲げてありました。

大山街道に戻ると、「新田義貞公鎌倉進撃路」と「相州鶴間村宿」の碑があったので、新田軍はここで泊まったかも知れませんね!?
<下鶴間ふるさと館>

街道を暫く歩くと、交差点の先に、ご覧のような住宅(旧小倉家)が建っていました。

住宅の外に、「高札場」があったので行ってみました。

3種類の太政官の高札が掲げられていたので撮ってみました。
「高札場」を撮ってから、後の「下鶴間ふるさと館」に行ってみました。

入口の右側に、明治4年頃の下鶴間宿の写真があったので撮ってみました。

入口でパンフレットを貰って中に入ると、ご覧のような土蔵と母屋が建っていました。

取り敢えず、母屋を撮って中に入ってみました。
尚、母屋には土間と4つの和室があります。

土間に、ご覧のような下鶴間宿のジオラマがあったので撮ってみました。


奥の和室に、箪笥や長持が置いてあったので撮ってみました。

8畳の奥座敷を撮ってみました。

奥座敷の縁側から、ご覧のような桶が見えたので撮ってみましたが、何に使った物ですかね!?

奥座敷の手前には、囲炉裏のあるご覧のような床板の座敷がありました。

ご覧のような神棚(?)もあったので撮ってみました。


母屋と土蔵の外側を撮って、「下鶴間ふるさと館」を後にしました。

大山街道に戻って、ご覧のような坂道を上っていると、騒々しいアナウンスがするので左の方に行ってみました。
(有)さがみ水産の脇を通って道なりに5分程歩くと、コミセン下鶴間会館に着きました。
コミセンの上の方からアナウンスが聞こたので裏の階段を昇ると、何と「下鶴間諏訪神社」の境内の外れに着きました。
⇒ 「下鶴間諏訪神社」へのこの行き方は、私の好きな裏道かも知れませんね!?
<下鶴間諏訪神社>

赤い鳥居が見えたので、正面まで行って鳥居を撮ってみました。

境内の右手に、ご覧のようなテントがあって騒々しいアナウンスがするので行ってみました。


「下鶴間こども相撲大会」を遣っていて、勝負一番づつの実況中継をしていました。

騒々しいアナウンスの正体が分かったので、境内を散策することにしました。
奥に見えるのが拝殿です。




参道の右側に、ご覧のような境内社があったので撮ってみました。

又、左側には、ご覧のような御神木の椎の木がありました。

手水舎で身を清めて拝殿に行ってみました。

拝殿でここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りしてから「諏訪大明神」と刻まれた扁額を撮ってみました。


ついでに、扉や向拝の立派な彫り物もアップで撮ってみました。

拝殿の左側に、ご覧のような元宮があったので撮ってみました。

「下鶴間諏訪神社」を後に、裏道を通って大山街道に戻りました。
<下鶴間不動尊>

街道に戻ると、向かい側に「下鶴間不動尊」の急こう配の階段がありました。

階段を昇り切ると、ご覧のような本堂があったので撮ってみました。

失礼して、不動尊が祀られている内部を撮らせていただきました。

隣りに、天神様と蚕神様が祀られている祠があったので撮ってみました。

急こう配の階段を降りて、街道に戻ると「下鶴間宿説明板」があったので撮ってみました。
<鶴林寺(かくりんじ)>

説明板の隣りに、「鶴林寺」の参道があったので上ってみました。

本堂は、想像に反して鉄筋コンクリート造りだったので少し拍子抜けしました。
尚、「鶴林寺」は隣の「下鶴間不動尊」からも来れたみたいです。

取り敢えず、三つ葉葵のある香炉を撮ってみました。


境内を散策していると、ご覧のような鐘楼と六地蔵尊があったので撮ってみました。

参道から下の大山街道を撮ってみましたが、外塀が何となく古風な感じがしますね!?
<鶴間駅に向かう>

「鶴林寺」を後に街道を暫く歩くと、右側に「子育て地蔵尊」があったので撮ってみました。

向かい側に、「渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家)」の解説板がありました。
近くに土屋家がないか探してみたのですが見当たりませんでした。

「子育て地蔵尊」から暫く歩くと、今度は「厄除け地蔵尊」があったので撮ってみました。
鶴間駅に向かって歩いていると、北西の方角にイオンの赤い看板が見えたので行ってみました。
イオンに着いたのですが、鶴間駅の近くにある「イオンモール大和」ではなく、「イオンつきみ野店」でした(ガックリ!)。
仕方がないので、県道50号線を通って「中央林間駅」に行くことにしました。
今回の「大山街道:下鶴間宿(大和市)」は、「厄除け地蔵尊」迄はそれなりに順調だったのですが、最後にずっこけてしまって残念です。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので18,000歩近くになっていました。
国道246号線の「東名入口(横浜町田)」付近から大山街道を散策しながら小田急線「鶴間駅」まで歩いてみます。
<南町田>

「東名入口」へは、「中央林間駅」で東急田園都市線に乗り換えて「南町田駅」から歩くことにしました。
「南町田駅」で降りるのは初めてなので、取り敢えず、北口を撮ってみました。

北口の前は、現在、整備工事中で商業施設などはありませんでした。
取り敢えず、2019年度開業予定の「南町田拠点創出まちづくりプロジェクト」のポスターを撮ってみました。
<国道246号線>

「南町田駅」からは5分程で国道246号線に着きました。
ここからは、ご覧のような横断歩道橋を渡って「東名入口」に向います。

横断歩道橋から国道246号線の大和方面を撮ってみました。
尚、上の道路は国道246号線のバイパスで、奥に見える左右の高架道路は保土ヶ谷バイパス(国道16号線)です。
<東名入口>

ご覧のような「東名入口」交差点を渡って大山街道を目指します。
「東名入口」は国道の246号線と16号線が交差しているので、渡るのには時間がかかります。

大山街道は、「五貫目町」までは国道246号線と並行している道路なので車では通ったことがありますが、歩くのは初めてです。
道に迷っても仕方がないので、大山街道へは車と同じような行き方(国道16号線沿いを左折)にしました。
<大ヶ谷戸(おおがやと)庚申塔>

大山街道に入って7分程歩くと、バス停「大ヶ谷戸」の傍に「大ヶ谷戸庚申塔」があったので撮ってみました。
中央には、庚申塚(?)と刻まれた塚がありました。

「大ヶ谷戸庚申塔」を後に、ご覧のような閑静な街道を進みます。
<日枝神社>

街道を暫く下ると、左側に鳥居があって境内には消防自動車が停まっていました。


奥に、社殿があったので、お参りしてから扁額を撮ってみました。

左奥に、ご覧のような大六天社があったので撮ってみました。

どうやら日枝神社は、消防分団の後にあったようで、ご覧のような火の見櫓が見えたのでアップで撮ってみました。
<圓成寺(えんじょうじ)>

「日枝神社」を後に街道を暫く下ると、右側に「圓成寺」の山門があったので入ってみました。

本堂で、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

境内に、ご覧のような大きな桜(?)があったので撮ってみました。
周りにはベンチが設けられていたので、お花見には持ってこいですね!?

又、立派な鐘楼があったので撮って、「圓成寺」を後にしました。
<五貫目町>


「五貫目町」に着いたので、「目黒」の交差点までは国道246号線沿いを大和方面に向って歩きます。
<目黒の交差点>

「目黒」の交差点で、陸橋下を通って八王子街道の反対側に出ます。

近くにあった鶴間橋から、これから渡る境川に架かる鶴瀬橋を撮ってみました。

鶴瀬橋から境川の上流方面を撮ってみました。
尚、境川は武蔵国と相模国の国境に流れていたので、ここからは大和市になります。
<観音寺(かんのんじ)>

鶴瀬橋を渡ると右側に、ご覧のような「観音寺」がありました。

境内に入ると、右側に金亀坊稲荷があったので行ってみました。

由緒などは分かりませんが、失礼して内部を撮らせていただきました。

又、左奥に弁天堂があったのでこちらも撮ってみました。

正面に戻って、ご覧のような山門を通って本堂に向います。


参道の左側に、大慈大悲観世音菩薩が立っていたのでアップで撮ってみました。

右側にあった手水舎で、身を清めてから本堂に向います。


本堂でお参りしてから山号(鶴間山)を撮ってみました。

参道を戻ると、右手にご覧のような太子堂があったので撮ってみました。

山門をサルスベリ越しに撮って、「観音寺」を後にしました。

観音寺前の横断歩道を渡って、ご覧のようなバスが通る大山街道を進みます。
<大山阿夫利神社御分霊社>

街道を暫く進むと、右側に「大山阿夫利神社御分霊社」があったので行ってみました。

取り敢えず、赤い鳥居をアップで撮ってみました。

右奥に、「金運・長命 大国主大神 出世 太閤豊臣秀吉公霊」の立札のある祠がありましたが、御利益と御霊の関係が良く分かりません。

社殿の手前に、ご覧のような可愛らしい手水があったので撮ってみました。

取り敢えず、社殿でお参りをしましたが、由緒書がないので詳しいことは分かりません。

境内の奥に行くと、ご覧のような「新田義貞公之像」があったので撮ってみました。

又、入口の左に「新田軍の鎌倉進撃路」の地図が掲げてありました。

大山街道に戻ると、「新田義貞公鎌倉進撃路」と「相州鶴間村宿」の碑があったので、新田軍はここで泊まったかも知れませんね!?
<下鶴間ふるさと館>

街道を暫く歩くと、交差点の先に、ご覧のような住宅(旧小倉家)が建っていました。

住宅の外に、「高札場」があったので行ってみました。

3種類の太政官の高札が掲げられていたので撮ってみました。
「高札場」を撮ってから、後の「下鶴間ふるさと館」に行ってみました。

入口の右側に、明治4年頃の下鶴間宿の写真があったので撮ってみました。

入口でパンフレットを貰って中に入ると、ご覧のような土蔵と母屋が建っていました。

取り敢えず、母屋を撮って中に入ってみました。
尚、母屋には土間と4つの和室があります。

土間に、ご覧のような下鶴間宿のジオラマがあったので撮ってみました。


奥の和室に、箪笥や長持が置いてあったので撮ってみました。

8畳の奥座敷を撮ってみました。

奥座敷の縁側から、ご覧のような桶が見えたので撮ってみましたが、何に使った物ですかね!?

奥座敷の手前には、囲炉裏のあるご覧のような床板の座敷がありました。

ご覧のような神棚(?)もあったので撮ってみました。


母屋と土蔵の外側を撮って、「下鶴間ふるさと館」を後にしました。

大山街道に戻って、ご覧のような坂道を上っていると、騒々しいアナウンスがするので左の方に行ってみました。
(有)さがみ水産の脇を通って道なりに5分程歩くと、コミセン下鶴間会館に着きました。
コミセンの上の方からアナウンスが聞こたので裏の階段を昇ると、何と「下鶴間諏訪神社」の境内の外れに着きました。
⇒ 「下鶴間諏訪神社」へのこの行き方は、私の好きな裏道かも知れませんね!?
<下鶴間諏訪神社>

赤い鳥居が見えたので、正面まで行って鳥居を撮ってみました。

境内の右手に、ご覧のようなテントがあって騒々しいアナウンスがするので行ってみました。


「下鶴間こども相撲大会」を遣っていて、勝負一番づつの実況中継をしていました。

騒々しいアナウンスの正体が分かったので、境内を散策することにしました。
奥に見えるのが拝殿です。




参道の右側に、ご覧のような境内社があったので撮ってみました。

又、左側には、ご覧のような御神木の椎の木がありました。

手水舎で身を清めて拝殿に行ってみました。

拝殿でここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りしてから「諏訪大明神」と刻まれた扁額を撮ってみました。


ついでに、扉や向拝の立派な彫り物もアップで撮ってみました。

拝殿の左側に、ご覧のような元宮があったので撮ってみました。

「下鶴間諏訪神社」を後に、裏道を通って大山街道に戻りました。
<下鶴間不動尊>

街道に戻ると、向かい側に「下鶴間不動尊」の急こう配の階段がありました。

階段を昇り切ると、ご覧のような本堂があったので撮ってみました。

失礼して、不動尊が祀られている内部を撮らせていただきました。

隣りに、天神様と蚕神様が祀られている祠があったので撮ってみました。

急こう配の階段を降りて、街道に戻ると「下鶴間宿説明板」があったので撮ってみました。
<鶴林寺(かくりんじ)>

説明板の隣りに、「鶴林寺」の参道があったので上ってみました。

本堂は、想像に反して鉄筋コンクリート造りだったので少し拍子抜けしました。
尚、「鶴林寺」は隣の「下鶴間不動尊」からも来れたみたいです。

取り敢えず、三つ葉葵のある香炉を撮ってみました。


境内を散策していると、ご覧のような鐘楼と六地蔵尊があったので撮ってみました。

参道から下の大山街道を撮ってみましたが、外塀が何となく古風な感じがしますね!?
<鶴間駅に向かう>

「鶴林寺」を後に街道を暫く歩くと、右側に「子育て地蔵尊」があったので撮ってみました。

向かい側に、「渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家)」の解説板がありました。
近くに土屋家がないか探してみたのですが見当たりませんでした。

「子育て地蔵尊」から暫く歩くと、今度は「厄除け地蔵尊」があったので撮ってみました。
鶴間駅に向かって歩いていると、北西の方角にイオンの赤い看板が見えたので行ってみました。
イオンに着いたのですが、鶴間駅の近くにある「イオンモール大和」ではなく、「イオンつきみ野店」でした(ガックリ!)。
仕方がないので、県道50号線を通って「中央林間駅」に行くことにしました。
今回の「大山街道:下鶴間宿(大和市)」は、「厄除け地蔵尊」迄はそれなりに順調だったのですが、最後にずっこけてしまって残念です。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので18,000歩近くになっていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます