甲斐さんが初めて出したソロアルバムです。
甲斐さんが好きだった曲や歌いたい曲…100曲以上の中から選曲して
アレンジ・仕上げ・構成・ミックスまで、全てひとりで手掛けたそうだ。
佐藤剛さんが、甲斐バンドのマネージャーになって初めて、
『自分のやるべきこと』を見出したプロジェクトでもあったらしい。
甲斐さんが作っていく曲を客観的にキッチリ聞いて、
意見を言い、全体のバランスに気を配る作業…
佐藤さんもひとりで、制作から宣伝までを引き受けたそうだ。
このアルバムを作るきっかけは、
甲斐バンドをひとまわり大きくするために
まず甲斐さん自身が新しいことに挑戦して、
その経験を還元することが必要だと思ったからだという。
当時、日本のスタジオ・ミュージシャンは、十数人しかおらず、
どのアーティストの曲も同じようなサウンドになりがちだったらしい。
それを嫌ってナッシュビルに行き、ミュージシャン捜しから始めたようだ。
バンドはバンド、ソロはソロと区別をしたかった甲斐さん。
オリジナル曲でソロアルバムを作っても
甲斐バンドのソングライターとして曲作りをしている以上、
どうしてもバンドのイメージが付き纏ってしまうので、
いっそヴォーカリストに徹してみようと、カバーアルバムにしたそうだ。
最初はレコード会社も決めず、自主制作という形でスタートした。
東芝EMIを説得して、最終的にポリドールから発売されたけど、
当時はバンドとソロで、レコード会社を変えるなんて異例中の異例だったようで、
マスコミが騒ぎ出し、まことしやかに解散説を持ち出す記事まで出たらしい。
ちなみに…
帰って来た翼あるもの(2)をリリースされた頃には、
レコード会社をアチラコチラ(笑)縦横無尽に変えていらっしゃいました(爆)
さらに、ちなみに…
収録はされなかったけど、セイヤングで流れた『青いりんご』は、
是非もう一度聴きたい!
サンストのカラオケ大会で歌われた『甘い生活』も捨て難い…(笑)
以前、甲斐さんは人間ドックの先生から『声帯の形が良い』と言われたそうだ。
野口五郎さんもよく似た声帯だとおっしゃっていたらしい(笑)
話を戻しましょう…
外国人ミュージシャンと作業する際、通訳を通さず、
甲斐バンドのレコーディングのやり方通り
実際に音を出して、その場でアレンジを決めて行ったそうだ。
それと真逆の話…
松藤さんが、財津和夫さんに頼まれて
『wake up』のレコーディングでドラムを叩くことになった。
スタジオに入ると、譜面を渡され
『じゃあ、それぞれ音を作ってやってみようか』と
いきなりレコーディングが始まったらしい(笑)
甲斐バンドのやり方に慣れていた松藤さん
心の中で『出来る訳ない』と戸惑っていらしたそうだ。
甲斐さんが好きだった曲や歌いたい曲…100曲以上の中から選曲して
アレンジ・仕上げ・構成・ミックスまで、全てひとりで手掛けたそうだ。
佐藤剛さんが、甲斐バンドのマネージャーになって初めて、
『自分のやるべきこと』を見出したプロジェクトでもあったらしい。
甲斐さんが作っていく曲を客観的にキッチリ聞いて、
意見を言い、全体のバランスに気を配る作業…
佐藤さんもひとりで、制作から宣伝までを引き受けたそうだ。
このアルバムを作るきっかけは、
甲斐バンドをひとまわり大きくするために
まず甲斐さん自身が新しいことに挑戦して、
その経験を還元することが必要だと思ったからだという。
当時、日本のスタジオ・ミュージシャンは、十数人しかおらず、
どのアーティストの曲も同じようなサウンドになりがちだったらしい。
それを嫌ってナッシュビルに行き、ミュージシャン捜しから始めたようだ。
バンドはバンド、ソロはソロと区別をしたかった甲斐さん。
オリジナル曲でソロアルバムを作っても
甲斐バンドのソングライターとして曲作りをしている以上、
どうしてもバンドのイメージが付き纏ってしまうので、
いっそヴォーカリストに徹してみようと、カバーアルバムにしたそうだ。
最初はレコード会社も決めず、自主制作という形でスタートした。
東芝EMIを説得して、最終的にポリドールから発売されたけど、
当時はバンドとソロで、レコード会社を変えるなんて異例中の異例だったようで、
マスコミが騒ぎ出し、まことしやかに解散説を持ち出す記事まで出たらしい。
ちなみに…
帰って来た翼あるもの(2)をリリースされた頃には、
レコード会社をアチラコチラ(笑)縦横無尽に変えていらっしゃいました(爆)
さらに、ちなみに…
収録はされなかったけど、セイヤングで流れた『青いりんご』は、
是非もう一度聴きたい!
サンストのカラオケ大会で歌われた『甘い生活』も捨て難い…(笑)
以前、甲斐さんは人間ドックの先生から『声帯の形が良い』と言われたそうだ。
野口五郎さんもよく似た声帯だとおっしゃっていたらしい(笑)
話を戻しましょう…
外国人ミュージシャンと作業する際、通訳を通さず、
甲斐バンドのレコーディングのやり方通り
実際に音を出して、その場でアレンジを決めて行ったそうだ。
それと真逆の話…
松藤さんが、財津和夫さんに頼まれて
『wake up』のレコーディングでドラムを叩くことになった。
スタジオに入ると、譜面を渡され
『じゃあ、それぞれ音を作ってやってみようか』と
いきなりレコーディングが始まったらしい(笑)
甲斐バンドのやり方に慣れていた松藤さん
心の中で『出来る訳ない』と戸惑っていらしたそうだ。