申し遅れておりましたが、この「甲斐バンド『裏切りの街角』を語ろう」という記事には
「裏切りの街角」の歌詞はもちろん「46年の遍歴」という甲斐バンドの軌跡年表や
「HERO」のヒット当時によく見かけたオリジナル甲斐バンド4人のポスター
…甲斐さんと松藤さんが前列でバドワイザーの缶を手にされてるヤツ…の写真と
それより少し前のものと思われるステージ写真
…ロングスカーフを巻いて歌っておられる甲斐さんと
そのすぐお隣でベースを弾いておられる長岡さんのツーショット…が添えられていて
「このアングル懐かし~い!」と奥さん(笑)
これは、当時の奥さんが甲斐バンドの「お喋り2トップ(笑)」ばかり見ていたせいじゃないかと…?
それはともかく…米田さんが「『裏切りの街角』は
歌詞を読んだだけで『音』が聞こえて来そうな気がします
例えば『雨にけむる街並』では雨音が聞こえ
他にも『息をきらして』『吐息』『とぎれた電話』『発車のベル』…全部音だよね
最後の『叫び声』は特に印象的で、まるで映画を見ているかのよう」と話されると
「甲斐さんが書く曲はどれも叙情的なのに挑発性もあり、映像的だからねえ
映画もよく観てるけど、大事なシーンを見抜く勘が鋭い」と亀和田さん
甲斐さんご自身も「物語が見える歌」を「俯瞰で撮ったり、寄りで撮ったり
カメラを切り替えるように」お書きになっていると明かされてましたが
これまでボクは、甲斐さんの曲を聴いて、その情景を目に浮かべていた…といっても
それは、曲をBGMにしたイメージ映像というか
いわば、サイレント映画みたいな感じだったので
「音が聞こえて来そう」という米田さんの言葉に目ウロコでした(笑)
でも、その後に米田さんが「車やオートバイじゃなくて
汽車やバスが多いのも甲斐さんの詞の特徴かな
『安奈』にも夜汽車が出て来る」と分析なさるも
「ああ、それは甲斐さんが運転免許を持ってないからですよ(笑)」と松藤さん(笑)
まあ、アマチュア時代に「盗んだバイク」ならぬ(笑)
借り物のバイクに乗っていらしたことがおありらしいし?
「胸いっぱいの愛」は元より、甲斐バンド後期の「逃避行モノ」には車も登場するし
初期にも「狂った夜」みたいに、バイクの疾走感を表現した曲がありますよね?
そのためか?「持ってないの?」と驚かれる米田さんに
「うん、いつでもバーに行って飲めるようにということで持ってない」と説明なさると
亀和田さんも「大森さんが免許を取った時
彼の奥さんと、よくドライブに行ってたんだよね
それを見た甲斐さんが、クールな感じで言うわけ
『俺は博多を出る時、免許は取らないと決めた
その代わり格好いい車を買って、運転手をつけるよ』って…
そこが甲斐さんらしい(笑)」と話されてました
ただ、先日、甲斐さんはアマチュア時代に周りの方から
「『絶対、免許を取らない方がいい』と言われた」と笑っていらしたけど
その昔「向いてないと思うのは、助手席か後ろに乗って高速走った時にね
グーッとカーブすると、俺、壁側にだんだん近づきたくなるんだよ
『ギリギリのトコをギリギリの緊迫感持って廻りたい!』熱い、アブナイ気持ちが出て来ちゃうわけ
だけど、酔っ払って帰って朝方、風呂場で寝てるトコを娘に発見される(笑)
こういう人はやっぱり、運転免許取らない方が世のため人のため(笑)
娘にさんざん説教されました」とおっしゃってたし(笑)
また…「まだロックバンドの時代が来る前
飲み屋に行くのも、運転手付きの外車を待たせていた」ことについて
「誰もやってなかったからね」と甲斐さん
「でも、最近、そういうヤツを見かけたんだよね、役者で…
ナンだか、ものすごくムゴくてカッコ悪い(笑)だんだんそうなって来たんだろうね」
…と、ご家庭をお持ちになってから、考え方が変わられたことが窺えますね?(笑)
ちなみに…奥さんは、大森さんが乗っていらしたお車のことを
甲斐さんが「ホンダ・アコードにしか見えない(笑)」と言われたことだけ覚えていて
実際にはどんな車種だったのか?ナゼそう思われたのか?は思い出せず
「ああ~!モヤモヤする~!」と申しておりました(笑)
ともあれ…亀和田さんが「戦闘的でアナーキーな曲を歌う甲斐さんだけど
お笑いが大好きという一面もある」と話されると
米田さんが「『THE MANZAI』が流行っていた頃
レコーディングに甲斐さんが、ビデオテープ何本も持って来て
『今日はレコーディングに立ち会わなくていいから
これを全部ダビングしてくれ』って言われてね(笑)」と返され
「オリジナルのお笑いベスト盤を作れってヤツでしょ?」と松藤さん(笑)
米田さんは「そう。当時のビデオは再生しながらでないとダビング出来ないから
一晩中、延々とダビングさせられてね、ホント、いい迷惑だった
私も楽しんでましたけどね(笑)」と明かされてますが(笑)
甲斐さんは、そのお笑いベスト盤をスタジオやツアー先にお持ちになって
メンバーやスタッフの方にお見せになっていたそうだし(笑)
ビデオデッキがなくなる際に「『タケちゃんマンベスト』をデジタル化して貰った(笑)」
と、おっしゃっていたのも米田さんにお願いなさったのかなあと…?(笑)
亀和田さんが「ダジャレも大好きで、普段からダジャレをよく言ってる(笑)
ファンにはそういうお茶目なところもまた魅力的に映っているんだけどね」と話されると
松藤さんが「いやあ、僕は甲斐さんより年下だから
ステージでも言うダジャレが時々スベってるなんて、口が裂けても言えないなあ(笑)」
…って、最後は「裏切りの街角」はいずこへ?状態(笑)
それでも、甲斐さんがいらっしゃらないからこそ聴けたお話(笑)いとをかしでした(笑)
余談ですが…この曲がヒットして、受賞やら取材やらテレビ出演やらで身辺慌ただしくなる中
「甲斐バンドの在り方」や「今後の方向性」をお考えになり
「ライブバンド」としての道を選ばれた甲斐さん
「それは『裏切りの街角』がヒットしてからさ
時代の掴み方っていうのか、ニオイの嗅ぎ分け方っていうのか、何かそういう直感がね
俺は間違ってないんだっていう自負が出てもいたんだよね
もちろんそれは、自分が世の中すべてをコントロール出来るんだっていう自信じゃなくて
てめえ自身の在り方が今までよりは少し判ったってくらいのものだけどさ
甲斐よしひろっていう1人の男の、肉体と感情のバランスの取り方、操縦法が見えて来たっていう訳さ
『ああでもない、こうでもない』っていうんで
二十数年研究して来た『甲斐よしひろ操縦法』の研究の成果がですな
『裏切りの街角』ヒットで実証できた!と、こう単純に思ったんだな
しかし…この山師っぽい思い込みが、今思うと残念だねぇ(笑)
この気負いが、次のシングル『かりそめのスウィング』になだれ込んでコケさせたという(笑)
この頃の俺は、俗に言う『若気のいたり』というもんに取り憑かれてたんでしょうなあ(笑)
血気盛んな若者でありました(笑)」と振り返っておられるけど
弱冠22歳で、ご自分の目指す方向を違えたり、妥協なさったりすることなく生み出された曲…
それも「お偉いさん」から「売れない」と言われてしまった曲(汗)…が
狙い通りにヒットしたんですから、多少の「思い込み」は致し方ないんじゃないかと…?(笑)