ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.1)その3

2016-07-22 08:28:08 | 日記
亀和田武さんご自身が「甲斐よしひろに似てる」と思われる写真は
昔の「誘惑」の裏ジャケと甲斐バンド写真集の14ページに
掲載されているものだそうですが

前者は「そうかなあ?」で、後者は「そうだな」って感じです(笑)
奥さんは、36ページの「マイクスタンドを蹴り倒す時の甲斐さん」の方が
似てるんじゃないかと…?(笑)

ともあれ、この写真集「1982 BEATNIK」は
「発売直後から品切れの店が続出し
1回目の増刷分もアッという間に売り切れ」だったらしい

もちろん、奥さんは書店に予約して入手したみたいだけど
発行日は、増刷分の発売日に近い日付になってます(笑)
「初版」とも「第二版」とも書かれてないものの
地方のイチ書店には、なかなか廻って来なかったんでしょうか?(笑)

その「予約申込書」の冊子を見てみると…
「甲斐バンドは[不良]のバンドかと思う時がある
不良だといえば不良だ。逆に不良でないといえば不良でない
仮に[茶の間]の中に収まることが[真面目さ]だとしたら
甲斐バンドは明らかに[不良]バンドだ

しかし、自分で自分のすることに落とし前をつけるという
腹の決め方は不良ではない
自分の足とか自分の意志で生きようとしている点では
他にないくらいの[真面目]なバンドだ

もう、一つの答えで両者が区分け出来るなどとは誰も思わなくなっている
[感受性]という直観で、学校の中にも家庭の中にも
答えなんかありはしないことに気づいてしまった子供たち
彼らを[不良]と呼ぶことは容易い
彼らは、手探りで、体当りで自分の答えを探していくしかない

甲斐バンドは、そうやって生きて来たバンドだ
一歩先の答えを見つけるために身を乗り出してみる
見えたと思った答えに裏切られ続けて来た
それが甲斐バンドの歴史かも知れない

そうやって答えを出そうと傷ついて来た男たちが[不良]である訳がない
[甲斐バンド写真集1982 BEATNIK]ここに流れるビートこそ
見えない答えを探しにアスファルトの上で踊るキミたちのビートだ」

…と記されてますが、この頃から甲斐さんは「BEAT」という言葉に
かなりこだわっておられたんですね?

事務所の名前、この写真集の名前、機関紙の名前、甲斐バンドツアーの名前
今の甲斐報も「BEAT VISION」だし
ラジオ番組も「BEAT HARD WORK」だし(笑)
「打ちひしがれた」という意味で言うなら
「FOR LONELY HEROINES & BROKEN HEROS」もそうだし…

あっ!でもこの機関紙の名前は、当初「HIPSTER」だったらしく
「そのつもりで、3万枚のチラシやら各雑誌への告知やら準備万端
後は入稿を待つのみとなったある日突然、タイトル変更となった」ようで
奥さんがライブ会場で貰ったチラシにもそう書かれてます(笑)

まあ「HIPSTER」も「人と違う考え方やリベラルな思想
カウンター・カルチャー・アートやインディ文化を好み
創造性と知性に富む現代感覚に敏感な者」といった意味みたいなので
「BEATNIK」に近いと思われますが…

でも、この変更がなかったら、ミスチル桜井和寿さんの
アマチュア時代のバンド名は「HIPSTER」だったのかなあと…(笑)

それはさておき…「永遠の真面目な不良少年」と呼ばれた甲斐さんに
「心が不良だよね(笑)」と言われた松藤さん(笑)

高校の修学旅行は「不参加」なのに
イチローさんのお見送りには来られた(笑)とか
「照和」の階段で、学生服姿のまま
タバコをふかしながら(笑)ギターを弾いておられたとか
大学1年の時に「単位ゼロ(笑)」でいらしたとか
エピソードが色々おありですけど

イチローさんも高校の体育館に掲げられていた
「国旗のはためきが良くない!」と「学校行くのやめてた」そうです(笑)

その松藤さんと亀和田さんの公開対談が、Vol.1のメインページになっていて
お二人の共通の趣味「少女マンガ」と「SF」について語っておられます♪

一番お好きな少女マンガ家は「お涼様!山岸涼子先生」と松藤さん(笑)
「アラベスク」は「一人の女の子のことだけじゃなくて
一人の人間が自立して行く様みたいなものを
著していたような気がする」とおっしゃると
亀和田さんも「当時としてみれば凄いショッキングなマンガだよね」と…

ただ、お二人とも「山岸涼子だと好きだと言えるのに
立原あゆみを好きだとは、ちょっと恥ずかしくて言えない」んだとか…(笑)

立原さんは「マンガ家のお部屋」というタイトルで
「レースのカーテンなんか描いてる」けど「クマのような男の人(笑)」で

先生と待ち合わせをしたファンの少女は
「ステキなお姉様(笑)」を想像していたらしく
2時間経って、近くにいた「クマのような人」に恐る恐る声をかけたら
「ハイ、立原です」(笑)

このエピソードは、立原さんご自身もマンガに描かれたそうで
奥さんはそれを見たことがあるという(笑)

松藤さんも「最初は女の人だと思いましたね
でも、どうも違うんですよね、男のこと知ってるんです
登場人物が男から見た人なんで、おかしいなあって思ってて…」と話されてます(笑)

「SFとのファースト・コンタクトはいつ頃?」との質問に
「小学校5〜6年だったと思う」と松藤さん

「まだ博多の駅前が田んぼだった頃
僕、物拾いたがり少年で(笑)菓子箱みたいなものを拾ったら
花札のセットが10セットくらいと
レンズマン・シリーズが入ってたんですよ

その花札を調べると[あやめ]だけが入ってない
親父に言わせると、ヤクザがイカサマをする為に抜いて捨てたんじゃないかって
でも(昭和40年頃に)SFを解するヤクザがいたんですね」と…(笑)

亀和田さんが「イカガワシイっていうのじゃないけど
僕らが考えてた文化とか教養と違ったイメージがあったよね」とおっしゃって
松藤さんいわく…こんな本読んじゃいけない
SFの話しちゃいけない、みたいなのありましたね(笑)

そんな「禁断の書(笑)」を何回も読み直しておられたのに
「今、本を読み返すことってないね、どんなに面白くても」という話から

亀和田さんいわく…中学の頃、レコードを買う時には勇気がいるわけ
この1ヶ月はお小遣い無いな…みたいに
だから、欲しい中から徹底的に吟味して
さんざん悩んだ末に1枚のレコードを買うでしょ

家に帰って聴くと、往々にして気にいらないことがあって呆然とするんだけど
しばらくして気を取り直して
「今日は体調が悪いから、つまらなく聴こえただけなんだ(笑)
実際は素晴らしい曲に違いない」って何回も聴く訳ね(笑)

これは、以前に甲斐さんと萩原健太さんもおっしゃってましたが
なかなか思うようにレコードが買えない時代を過ごされた方は
皆さん、1枚のレコードを「好きになるまで(笑)」
擦りきれるほど聴いたんですよね(笑)

そのおかげで、甲斐さんは「大人買い」が出来るようになられてから
レコード・マニアへの道を歩まれることに…(笑)

でも、松藤さんも「暇があると古レコード屋に行って」
渚ゆう子さんの古いジャケットの【京都の恋】を見つけられたそうで
亀和田さんが悔しがっておられました(笑)

「昔のシングルのジャケットって、1枚のペラペラじゃなくて
A面とB面のジャケットが違ってたんですよ
今は、ああいうのが出したくても出せないんです」と松藤さん

亀和田さんは「昔は、A面で有名な歌手が歌っていて
B面に全然知らない人の歌が入ってたりして
信じられないようなことが平気で行われていた(笑)」と話されてるんだけど
フツーにありましたね(笑)

そうそう!写真違いのジャケットといえば
同じ歌手やグループの「ミニ・ベスト盤」みたいな
4曲入りのシングルなら見たことがある(笑)と奥さん

甲斐バンドはどうだったか覚えてないみたいですが
「グレープ」はあったらしいです(笑)
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