ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.1)その2

2016-07-21 10:35:06 | 日記
甲斐さんが「すべては[破れたハート…]から始まった」とおっしゃったくらい
この曲は甲斐バンドにとって重要な存在になって行く訳ですが

この機関紙の発行当時は「生きることを素晴らしいと思いたい」という歌詞
…甲斐さんご自身も「この歌詞の前と後は
前菜と後菜でしかない(笑)」と話されてますけど…が、大きく取り上げられていて

一面(表紙)の新聞ならコラム的文章には
「時代がハングリーではなくなってきた
個人の価値観が曖昧になり、全体的価値観に押し流されようとしている

人々は順応することで生きるためのパスポートを手にし
それと引き換えに諦めることと黙り込むことを強いられる

[生きることを素晴らしいと思いたい]と願うことが
子供じみていようと、世間知らずと思われようと気にすることはない

このストレートすぎるメッセージを
言葉のままに受けとめる[青くささ]こそが、僕らの生の証しと信じたい

人間らしく魂を持つことが苦しみであったり罪であったりしていいはずがない
傷つき打ちのめされることになるとしても諦めずに生きていたい」と記され

「RECORD」欄では、田家秀樹さんが
「もし、さだまさしがこんな詩を歌っていたら
白々しさと憤りで数日間は不機嫌が直らないだろうと思う
彼の曲作りはいつだって[手口]だった

甲斐よしひろの、そして甲斐バンドの場合は、それとは対極にある
[計算]でも[読み]でも[フィクション]でもない
リアリティが歌になっている、と言っていい

甲斐バンドの曲の中で【三つ数えろ】や【漂泊者】が
希望を求めながら絶望の淵に追いやられて行く歌だとしたら
【翼あるもの】や【破れたハート…】は
絶望に抗いながら希望を見ようとする歌だ

【安奈】や【天使】は、その潮流の途中で
ささやかな夢を見ようとしている歌で
【ダイナマイトが150屯】は、希望と絶望の両方の淵に向かって
苛立ちの爆竹を放っている歌ということになるのだろう

甲斐よしひろの[希望]と[絶望]の揺れ動きが素直に出ている歌が好きだ
[生きることを素晴らしいと思いたい]と本気で思えると
世界が違って見えるに違いない

ポーズでスネたり、フリをしたりしているだけでは見えて来ない何かが…」
…と、かなり入れ込んでおられます(笑)

甲斐さんがサンストで「別れの言葉辞典」を取り上げられた時に
さださんの【フェリー埠頭】の歌詞
…私、フェリーにしたの。だって飛行機も汽車も涙乾かすには短すぎるでしょ…
を読まれて「なーにが、さだまさしっ!(笑)
やっこさんはいつだってコレです(笑)」とおっしゃったり

五業昌晶(佐藤剛)さんのインタビューで…
「日本のフォークはすでに言葉の鋭さを失った
ロックはちっとも言葉が豊富じゃない
結局、僕たちはさだまさしほど裕福じゃないんだ

あんな、花を見ては女を想って、お寺を見ては女を想って…
僕は違う。打ちひしがれた一瞬に[女]を想う…そこを歌いたい
それには、好いた惚れただけでは言い尽くせない
言葉が豊富でなければダメなんだ」と話されたりと

ある意味、ご自身の音楽について語られる際の「フォーク代表」「仮想敵」として
さださんのお名前や作品を挙げられていたんじゃないかと…?

それはさておき…「Think alound」欄には
「コラム」に呼応するかのような亀和田武さんの文章が載っていて

「このところ、年齢の問題がしきりに頭をかすめる
来年の1月で33歳になる
若いと言えば若いと言えるし、年を喰ってると言われりゃ、そうかなとも思う
ちょっとヤッカイな年齢に差し掛かっている訳だ

年齢が気になり出した最大の理由は体力の低下
明らかにピークを過ぎたことが
日常生活の色々な局面で明らかになっていく
ツライのは、体力が落ちると気力も萎えてくることで、これにはマイる

もう一つ、いわば社会的な次元の理由というものがあって
33歳っていやあ、役所や会社に入ってりゃ
そろそろ係長になったりする訳だよ

ところが、コチラはいまだに髪の毛を長く伸ばして、ジーパンにスニーカー
甲斐よしひろに似てると言われて喜んでたりする(笑)
18歳の時から、着ているものもヘアスタイルも変わってないんだな

変わってないのは外見だけではなくて
幸か不幸か精神世界も基本的には何一つ変わってない
[年相応]って言葉があるけど、全くそれの逆で
シワの数が増えたことくらいしか変わっちゃいないんだ

そして、周りを見渡すと結構いるんだよ、俺たちの世代にはそういう奴が
あんまり世代論ってのは信用してないし
俺たちの世代が全部こうって訳じゃない

ジジイの話す戦争体験みたいに聞こえるかも知れないけど
世の中に色んなことが起きた、一種の文化的、社会的大混乱の時代が
精神的形成期とぶつかった連中
当時、10代半ばから20代前半の奴らは

それまで社会的に信じられていた[価値]ってものに
自分をピッタリ重ね合わすことが難しくなっちゃったんだ

だから、昔は、ロックは若者の音楽だって言われたけど
たぶん俺たちの世代は、死ぬまでロックを聴き続けると思う

【ジャンキーズ・ロックンロール】の中の
[年老いた寂しがり屋の、この少年の気持ちがわからないのか]ってフレーズ
あれが今の俺の気持ちにピッタシ」と書かれてます

確かに、ボクの数年上の先輩たちの時代から
ロン毛やジーパン姿でいること自体が「主張」になって来たと思うし
ボクもご多分に漏れず、茶髪のロン毛にオーバーオールでした(笑)

だから、その「主張」である「髪を切って」就職することは
「もう若くないさ」と言い訳することだという【いちご白書をもう一度】は
身につまされる曲だったなあ…(汗)

でも、その詞を書かれたユーミンさんと「俺たちは年齢に関係なく
音楽をやり続ける最初の世代になる」と甲斐さん
そのお言葉通り、今も歌い続けておられますが

そんな覚悟…というか、確固たる意志を持ってた訳じゃない(笑)奥さんも
いつの間にか死ぬまで聴き続ける世代になってるんだなあと…(笑)
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