ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

亀和田武さん3

2017-02-05 19:20:00 | 日記
「甲斐バンド THE BIG GIG AGAIN」の再々放送が延期になったらしく
「オイオイ…」と奥さん(苦笑)

イヤ、生中継された映像は観たし
前番組の「徹底解剖」の拡大版も録画して貰ったんですけど

再放送のライブ映像が、編集されたものとは思わずスルーしたため
今度こそは…と待ってたみたいです
まあ、それは来月のお楽しみってことで

今回は、その「AGAIN」の時の「松藤さんTシャツIN事件(笑)」で
再度浮上した「つま恋ライブ」の件

当時も甲斐さんは、セイヤングやライブのMCで
「ぬるい!」とおっしゃって、新聞にも取り上げられてましたが

亀和田さんとの対談でも「[つま恋]観てひっくり返った」話が出ていて
「もうねえ[フォークの未来]があれだとしたら
俺はフォークに行かなくて良かったとホントに思ったもんね

ナンであんなにぬるいの?
演じ手も客も、ものすごいぬるかった
がっくり来たもんね、フォーク好きとしては」と甲斐さん

亀和田さんは「なんだか最初からみんなもう、ハナから感動を求めて
あそこにやって来たみたいな感じがした」と話され

「多分、あの人たち、会社に行ったらヒリヒリしてると思いますよ
それがナンで、あれだけぬるい現場になるかな?」との甲斐さんの言葉には

「あれは逆に、会社や家庭がヒリヒリしてるから
余計に束の間のファンタジーでもいいから、あんな一日が欲しかったっていう
その切実さの反映じゃないかな」と答えておられます

奥さんも「束の間のファンタジー」を求めてはいるんだろうけど(笑)
甲斐さんの前で「ぬるい」態度はムリでしょうね(笑)

ちなみに…当日、現場にいらっしゃったスタッフの方が
中島みゆきさんが登場なさった時に
「唯一ヒリヒリしたところがあったんですよ」と話されると

亀和田さんは「へえー、やっぱり
ある種の異物が入って行ったっていう感じで?」とお訊ねになり

「もう、亀裂がピピピピピって」とのお答えに
甲斐さんも「へえー、いいねえ!」とおっしゃってます

それは、みゆきさんがコンスタントにライブを続けておられる
「現役」感のオーラみたいなもののためなのかなあと…?

それはさておき…「フォーク」「ロック」などの「ジャンル分け」については
以前にも何度か触れておりますが

「フォークロック」や「ニューミュージック」という風に括られるたびに
甲斐さんは「フォークかロックしかないと思う」とか

「そんな曖昧で訳の判らないような言葉はいらない」とか
「ロックバンド、ロックシンガーと言われた方が嬉しいね」と話されてます

ただ、甲斐さんご自身が「これがロックだ」と語られている記事はあっても
「フォークの定義」は、資料の中にも見当たりません(汗)

でも「古くて新しけりゃフォークソングだ」というセリフにシビレられ
ビルボード・ツアーで展開された「フォーク」が
甲斐さん流の「フォーク」だとすれば

確かに「ニューミュージック」全盛期のフォークとは
全く違うジャンルのものに思えますね(笑)

甲斐バンドのデビュー当時は、ようやくフォークが根づいたばかりで
「大人たち」からは、長い髪の若いヤツが
ギター持ってブンチャカやってる…くらいの認識だったでしょうし
ロックは、エレキのバカでかい音だけで敬遠されたんじゃないかと…(苦笑)

当時の甲斐さんへのインタビューによると…
「メンバーはみんないい奴ですよ。でも、いい子じゃない
ひとりひとり、生身の人間だから
それぞれ異なる毒性らしきものを持ってる

それが甲斐バンドとしてまとまった時、ワイルドな面が出て来るんです
僕たちの曲は、ロックでもないし、フォークでもない
甲斐バンドの音だとしか説明のしようがない」と話されたり

「日本のフォークは、すでに言葉の鋭さを失った
ロックはちっとも言葉が豊富じゃない」と
「日本語で歌うロック」を目指されたり…

また、1985年の記事では「特にここ2年くらい
フォークってほとんど死語になってしまったじゃない?
それは、拓郎とか陽水から始まって

フォークという形態が定着しちゃったところで
アグラをかいちゃったからだよね
いいメロディ作って、それらしい言葉を乗せて、あのスタイルでやれば
すごく長く安定して生きられるという幻想の上にさ

だって、いまだにいわゆるエイトビートのオモテで歌っていけば
時代に追いつけるだなんて、勘違いしてる奴がいるんだから(笑)

もう、迷うだけ迷ってるよね、フォークは
誰もフォークの中から新しい形態を作ろうとしてなかったからね
ここ10年、何も勉強してないツケが全部回って来てる」と甲斐さん

だからなのか?上記のインタビュー前後のサンストで
「イーグルスの【サッド・カフェ】という曲があってね。好きなんだ

ジャクソン・ブラウン、グレン・フライ、あの辺の一派がまだ売れない頃…
ジャクソン・ブラウンが、ベルベット・アンダーグラウンドにいた
ニコという女性にフラれて、ロスに帰って来た頃
サッド・カフェというバーにたまってた時のことを書いた曲なんだ

その詩はね、サッド・カフェには
青春の思い入れが刻み込まれてるってことを、懐古主義という調子ではなく
[そういう店があった]という事実だけを
自分に言い聞かせるように書いたものなんだよね

俺、ネオフォーク聴いてて思うんだけど
これは過去の受け継がれなきゃいけないものを、ちゃんと受け継いでいながら
今の自分たちのエイジのスピリットを
ビッと出してる感じがして、胸打たれるんだ

こういうやり方、映画ではいっぱいあるんだけど
音楽では、なかなかやろうとしても状況が出来なかったりしてさ
弱肉強食くぐり抜け抜けて、ちゃんとやってるのはスゴイと思う」と話されてます

ともあれ、亀和田さんとの対談に戻りますと
「僕、すごく思うのは、やっぱり時間とか時代の流れで
錆び付いていくものって、最初は[言葉]なんですね

で、一番最後まで残るのは、やっぱり声なんですよ
ビリー・ホリデイのあの声
それと、サウンドがついているメロディは錆びない

例えば、フォーク、60年代の関西フォークとか、ホントに好きだった
今でもたまに聴きたくなるんだけど
1回聴いただけで、ああ、ちょっと満足ってなっちゃって(笑)

高田渡や加川良はまだいいけど
それ以外になると何回も聴く感じにならないんです
それは、やっぱりサウンドがないから

それが、はっぴいえんどが同じ時代なのに今も聴けて
ミカバンドはずっと聴けて、っていうことの差なんですよ」と甲斐さん

亀和田さんも「特に70年代のある時期から
フォークがもう完全に沈没しちゃったのは
やっぱり、言葉に頼り過ぎていた部分が多くて
メロディもリズムもほとんどないからでしょ」とおっしゃってるんだけど

ご自身の著者の中で【漂泊者】を取り上げられ
「歌詞の言葉たちが持っている固有のリズム感に対して
極めてデリケートな曲になっている

そして、このリズム感の重視が
曲にスピード感と緊迫したテンポを生んでいる
ごくごく単純化して言うなら
メロディは主役の座を降り、代わってリズムが前面に踊り出ている

初期の曲は、カッチリとしたメロディラインを持っている分、口ずさみやすいが
【漂泊者】以降の曲になると
メロディだけ歌ったところで、カッコがつかない
演奏とヴォーカルのリズムのノリが主体になっているからだ

リズム主体となったこの【漂泊者】のあたりで
甲斐バンドは、はっきりフォークから切れたと見ていいだろう」と記されてます

「明確なメロディラインを持つ曲は、聴き手にとっては馴染み易いが
曲の世界は固定化され、いわゆる歌謡曲的な
あるいは、フォークっぽいニュアンスを帯びることになる

もちろん、メロディも印象的で、リズムのノリも強力というのが
理想には違いないのだが、その両立はなかなか難しい

極端に言えば、メロディか?リズムか?という二者択一になる訳で
この選択が、我が国におけるフォークないしニューミュージック派と
ロック派のミュージシャンを分かつ分水嶺となったのではないか?」
…という亀和田さんの見解は

「いや、ホントね、言葉が錆び付くのはあっという間なんですよね
だからやっぱり、僕がロックに向かったのは、たぶん必然だと思うんですよ」
…という甲斐さんの言葉で立証されてますよね?

もっとも「【漂泊者】を境として、フォーク臭が急速に失せ
名実ともにロックバンドの表情が備わるようになる」との評には
甲斐さんからクレームが入るかも知れませんが…(笑)
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