ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ボニーとクライド

2022-05-06 19:43:37 | テレビ番組

昨夜、TV番組「ダークサイドミステリー」で、1930年代の有名な犯罪者、ボニーとクライドの特集を観る。とても、興味深かった。

今から、もう90年も前に生きていた彼らだけれど、私がその存在を知っていたのは、一重に映画「俺たちに明日はない」のおかげ。ウォーレン・ビューティーとフェイ・ダナウェイが主演したこの映画は、二十歳の頃、一度観たきりで、その後まったく観ていない(機会があれば、またもう一度見てみたいと思っているのだけれど)。しかし、その時の印象は、今も鮮烈。

何といっても、逃避行を繰り返し、追い詰められてゆくボニーとクライドの二人の姿と、彼らをとうとう見つけた警察が、彼らの車を物陰から待ち構え、無数の銃弾を浴びせるところが、恐ろしく衝撃的だった。 

蜂の巣のようになった車を、そこから転げ落ちる二人の姿――こうして最期を迎えた時、クライドは二十四歳、ボニーは二十三歳と若さの盛りにいた。

しかし、彼らがなぜ強盗・殺人などの犯罪に手を染めるようになったか、その成育歴など、詳しいことはまったく知らなかった。だから、このTVで、二人がテキサス州のスラム育ちであることや、ボニー(彼女は、上の写真で見てもわかるよう、フォトジェニックな容姿をしていた)が当時、一世を風靡したフラッパーや女優になることを夢見ていたこと、その実しがないカフェのウェイトレスでくすんだ日々を過ごしていた時、りゅうとした好青年クライドに出会ったことなどを、初めて知った――なるほど、そうだったのか。

やがて、二人は仲間を加えて、世間の耳目をそばだてることとなるのだが、彼らが夢見たのは、貧しさからの脱出・ひいては自由だったのか?

時は1920年代。アメリカは繁栄の一途をたどりながら、反面下層の人々の不満が高まったいた時代でもあった。そうした庶民の目には、警察という権力をあざわらうかのように、方々に出没して、鮮やかな強盗を繰り返すクライドたちの姿は痛快に写ったに違いない(たとえ、その一方で残酷な殺人を繰り返していたとしても、庶民はそれを直視しようとはしなかった)。

やがて、その残虐さから庶民からも敵視されるようになったボニーとクライドは、車ごとハチの巣のように射抜かれるという最期を迎えるのだが、その後に起こった出来事に、思わず目を疑ってしまった。

彼ら二人の遺体を乗せたままの車が、NYに入った時、人々がわっと車に群がり、クライドたちの洋服の切れ端を切り取ったり、その指を切断しようとしたというのである。

そんな凄惨な現場――見るのも、恐ろしいはずなのでは? しかし、番組中で、犯罪心理学者の女性が、「これはファン心理に近いものだ」と分析していた。良くも悪くも、ボニーたちは、1930年代前半を駆け抜けた、時代のイコン・象徴となっていたのである。

90年もたった今も、伝説として残るボニーとクライド。なぜか? それは、人々の心の内奥には、無法者へのシンパシーが揺らめくせいかもしれない。


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