日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「普遍的価値」、「普遍主義」を改めて考えるとき

2019-05-08 | 社会 政治
「普遍的価値」、「普遍主義」を改めて考えるとき

点字ブロックを白杖の先で感じながら歩を進めていた時、突然そこから先は何もない道が続く。私はどうしてなの、と辛くなる。今まで私にやさしくしてくれていたはずのこの道が、急に冷たくなったから。

私はそのわけを道に問う。どうしてすべての道が点字ブロックで覆われないのか、と。同時にすぐまた問うのだ。何故、音響信号機はすべての横断する道には設けられないのか、と。

すぐさま答えが返ってくる。お金だよ。お金がないからね、と。本当なのか。勿論、それは違う。お金はあるが、私や私たちのような視覚障碍者に使う金がない、ということだ。

一言で済ませれば、それまでだが、そんな答えにどうして満足できようか。何か他のもっともらしい答えを探したくなる。あなたやあなた方に問いたい。その理由を教えてほしい。どうしてなのか、と。

この問いかけは、少し前に神奈川県のある私立高校で120名の非常勤講師の先生が5年間の雇止めを前にして大量解雇された話とどこか重なる話ではあるまいか。すなわち、ある地点までは生活できていたのが、突然その地点で生活する道が途絶えてしまったとき、彼らは問うのではあるまいか。なぜこれまでと同様に引き続いて私たちは働けないのか、と。それに対する答えが、「お金がないから」、とで終わってしまう。こんな答えで済まされるはずはないのだが、私たちはいつもこんな風に、やられてしまうばかりではあるまいか。

私の横にある「普遍的価値」やその価値を世界中に拡大すると宣う「普遍主義」はまったく何の役にも立たない。それなのに、多くの者はいつまでたっても、安倍晋三首相と同じように、普遍的価値は大事だとの声を何ら疑わないから、もっと不思議に私はならざるを得ない。

少し話(の角度)を変えて論じよう。ミャンマーのスーチー女史は、軍事政権に対して、彼女たちの自由を認めて、彼らもミャンマー社会の政治運営に参加させろと国内、国際世論に訴えていたが、ところがなのだ。彼女はノーベル平和賞を受賞した。その彼女が、かつての彼女と同じように、自分たちもミャンマー社会の中で対等に扱ってほしいと懇願する少数民族のロヒンギャに対して、彼女を冷淡に扱っていた軍事政権の在り様がスーチー女史にまるで乗り移ったかのように、ロヒンギャを冷遇するとは。

この問いに対して、はたしてどれほどの者がまともな解答を提示できるのだろうか。読者のあなたはどう考えるだろうか。

ロヒンギャと同様に、世界の少数民族や少数派に置かれた者たちは、ある時は社会の仲間に入れてくれと懇願しても許されないのに、逆に別の時には、嫌がる彼らを無理やり社会の中に入れて、いわゆる「強制的同質化」の状態に追いやる。

19世紀中葉の清朝中国、徳川幕藩体制下の日本は、当時の欧米先進国であった欧米列強によって、国際社会の仲間入りを強制された。両国はそこに入りたくはなかったのに、である。これに対して、第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議において、会議を主導した先の、当時の文明国に仲間として入れてほしいと訴えた植民地や従属状態に置かれた地域とそこに暮らす人々の願いは、逆に無視されてしまった。

1991年春、兵庫県尼崎市において、一人の車いすの中学3年生が彼が死亡する高校に入ることを拒否された。入試の成績や小学校、中学校時代の生活環境を鑑みても、入学拒否の「正当な理由」は見当たらないはずだが、その年には断和れてしまったのだ。

「正当な理由」と思わず書いてしまったが、そもそもそんな理由などあるのだろうか。おかしな話ではあるまいか。ここにもまた、これまで述べてきたように、お金が関係しているのだろうか。

いわゆるかつての西欧列強は、そのお金のために、世界中で侵略行為を繰り返しながら、自らを強大にしていった。その際の彼らの決まり文句は、「文明化の使命」云々であった。ところが、侵略された地域とそこに暮らす者たちは、その文明の光を浴びることを許されないままに置かれたのだ。

文明の支配下に無理やり入れられたものの、その恩恵に欲することは拒絶されたのだ。どうしてこうなるのだろうか。文明の、すなわち彼らが吹聴してやまない普遍主義の世界の中で、侵略された者たちは生きているはずなのに、その普遍主義が標榜する普遍的価値を当たり前のこととして享受できないのはなぜなのか。

この問いかけはいみじくも、「ハイド氏の裁判」で竹山道雄が敗戦後間もない「日本」と「日本人」に対して問いかけた問題と酷似しているではないか。

はたして私たちは、戦後の昭和から平成、そして令和の幕開けを見たこの瞬間に至るまで、こうした問いかけに背を向けないで真面目に考えてきたのだろうか。とてもじゃないが、「はい、そうです」なんてことはない、ないだろう。悔しいことだが、まともと一見みられてきた最高学府の大学の中でも、まともに問い続けてきたものはそれこそ少数派ではなかったろうか。

どうしてなのか。それこそトマ・ピケティがフランス革命以来、少しの期間を除いて、ほとんど格差は改善されてこなかったと、彼の著作である『21世紀の資本』で論及していたように、私たちの教育もまた、そうした差別や排除の社会を当然のこととしてきた教育ではなかったのではあるまいか。ノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララさんは、教育の重要性をことあるごとに説いているが、彼女がいま享受している教育は、こうした差別や排除を許さない教育とその内容となっているのだろうか。私には決してそうは思われない、誠に残念なことだが。

私もそうした教育を受けてきたからこそ、わかるのである。残念なことだが。そして分かった時には、時すでに遅しの感が強い。もっとも、それでも生きている限り、その「感」を、誰かに伝えられたらと思うのだ。詮無いことだが、それしか後残された時間を有効に使うことができない。

沖縄の米軍基地問題も上述した話とほとんど重なる。在沖米軍基地があるために、平穏に暮らすことのできない人々が、基地のない、基地から遠い所で平穏に暮らしている人たちに対して、私たちもあなた方と同じ「空間」の中に入れてほしいと訴えているにもかかわらず、基地から遠くに住む人々はその訴えに耳を貸そうとはしない。化したとしても、その先に関してはどうにもならないままで、結果的には放置してしまっている。

文明国に入れてほしいという訴えに対して、ある時期の間それを拒否してきた西欧文明諸国の半開や野蛮に対する向き合い方と何ら異なるところがない。それはまた、スーチー女が、ロヒンギャに対する対応と見事に重なるのではあるまいか。そう見るとき、スーチーが手にしたノーベル平和賞の「平和」の意味するものが理解できるのではあるまいか。同時にそこからその平和と結びついた自由、民主主義、人権といった普遍的価値や普遍主義が何を物語っているかを理解できるのではあるまいか。

(追記)
この4月からまた盲学校であんま師の国家試験合格を目指して勉強しています。ばだ帯状疱疹で悩まされていますが、それでも去年とはまったく違い、何とか耐えられていますよ。皆さんは、どうですか。無理しないでなるべく自分らしく、お互い、生きていきましょう。なお、文章内容は相変わらず同じもので申し訳ありませんが、時間のある時にご一読していただければ幸いです。
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