金四郎 たのんまっせぇ~

夫、老柴犬金四郎と南房総に移住して16年を過ぎ、今や身も心もすっかり房総人。亡き愛犬との思い出と共に綴る日々の出来事

台風15号、生まれて初めてだ!こんな台風被害は!

2019-09-16 14:38:12 | 話題色々
先ず、このブログを訪れて下さる皆様に、ご心配や、お気遣い頂きましたこと、厚く御礼申し上げます

毎回ニュースで流れる被災地の真っただ中の南房総市ではありますが、我が家は、家屋も人間も特に損傷はなく、それなりに元気(?)に過ごしておりますこと、ご報告申し上げます。

我家の被害は、移住して以来、私にジャム作りを楽しませてくれた、この土地についてたダイダイの木、でも、昨年から枯れて寂しい思いをしたその木が根こそぎ倒れたことです。

倒れたのがお隣の駐車場でしたが、その日はたまたまお隣は留守で、車にも傷をつけず済みました。


しかし、経験したこともないような凄い暴風雨に少々、ビビりながらも8日の夜は11頃寝たのですが、何となく嫌な予感で起きだしたら、今までどんな雨風でも起きなかった雨漏りが、リビングの天井に渡してある、飾り柱を伝ってポトリポトリ・・・

慌てて、落ちてくる下に洗面器をおいたり、雑巾、タオルなどを敷き詰めて、ホッとした午前2時、フワッフワっと電気が点いたり消えたりして、突然真っ暗に!!!

それが始まりで、その停電は12日の夕方まで続きました!

その前日の11日の夜からは断水です。
その断水は一昨日14日の夜遅くに解消しました。

一両日、停電、断水でしたが、予め汲み置いたふろおけ(バスタブというらしい)や、入れられる容器、やかん、鍋、ペットボトル、で、当面の水はしのげました。

断水と停電の話はまた後日、アップします。

翌朝は、雨漏りから、どれほど瓦が飛ばされてるか、屋根があるのだろうかと、外を見るのも怖く、窓からのぞくと全部そっくりとあるので、その時の安心感は、言葉になりません。

それから風雨が去って外に出て周りを見て、驚き以外の何物でもありませんでした。

家屋で、何も被害が無いのは、我が家とお隣の比較的新しい住宅だけで、ほとんどの家の瓦や、アンテナ、板壁が吹き飛んだり、ぶち抜かれたりしているんです!!



こんなにきれいに穴が開いてる、、まるで戸口みたいでしょ?
これは、地元のお隣の納屋で、向こう側が入口で、昔は、馬屋だったそうで、扉の無い物置なんです、そこを突風が吹きぬけて、この板壁をぶち抜いたんですね。


畑に置いてある物置小屋、鉄骨造りでも、この通り吹き飛ばされ、この前は線路になってるのですが、ぎりぎり線路に掛からず済みました。我家のではありませんご近所さんのです。

まだまだ、沢山の被害は多く、こちらは太平洋に面してる外房なので、東京湾に面してる内房の被害は、目を覆うようです。
とても、よそ様の被害をカメラを持って、写すなんてできません。

それもブログアップの為なんて・・・

ですから、テレビに映る実態を、本当はもっともっとすごいこと、それに加えて、いまだに停電、断水が続いてる地域があることを理解いただければと思います。

停電復旧を阻んでる一つに、山の中を通してる電線に倒木がかかったり、電信柱が倒れたりが多数あることも、だんだんわかってきました。

電気が通らなければ断水は続きます。

ただ、こちらは、井戸水など自家水を持ってるお宅もかなりあって、電気さえ通ればポンプでくみ上げて使えますから、飲み水にはならなくても、生活用水、特にトイレなどの水にはなりますので、ご近所同士、皆さん助け合ってることもお知らせしておきます。

私の地域も我家の裏手3軒から、向こうは、まだ停電、断水が続いています。20軒以上あると思います。

我家のインフラが整ったと浮かれてはいられず、今日も、山の方の知り合いに、出来得る差し入れや氷、水なども運びました

水は、地域のコミュニティーセンターで朝から遅くまで給水はしてますが、そこまでも大変な方や、年配者の多い地域で車の運転もままならない方もありますので、まず、我が家が大丈夫になったので、出来得ることをしたいと思っています。

この実態が分からないで、そう長くなく色々と復旧するだろうと、タカをくくっていた11日夜遅く、息子夫婦がレンタカーを借りて、東京から来て、これから、彼らの家に連れて行く、というのです。

彼らの得た情報からは、まだ週末までは何も復旧しないことも、その時に初めて知ったほど、通信網もすべて途絶えていましたから。

もう夜遅いことと、それまではまだ少し水も出ていたことから、好意には深く感謝しながらもこちらに留まることを選択し、帰ってもらいました。

携帯も11日夕方、かなりの所まで復旧した隣町まで行けばアンテナが立つという情報を得て、翌日、その町のスーパーの駐車場で、携帯を開いたら山の様なメールが来ていたので、簡単ですが、そこから頂いた皆様には連絡を差し上げた次第です。
充電は、こちらの町のコミセン(コミュニティーセンター)で、自家発電装置から、させてもらいました。

道路の信号は電気が無い所は信号もことごとくついてないし、場所によってはどっちを向いてる!?というような信号も何基もあって、道の途中には屋根もすべて吹き飛ばされた家もありました。

昨日はかなり早めに復旧した館山に近い、行きつけのスーパーまで行って、買い物もした帰り道、自衛隊のカーキ色した大きな車や、「電力復旧作業援助車」と書いた、東北電力の車とすれ違った時は、涙が、出てきました。

被災者になるということはこういうことなんだ!

・・と、改めて思い知り、私たちはその中でも何て幸運だったのかと、感謝しました。

息子たちの行動

電話が通じてからの娘家族からの毎日の電話

出来ることはお互いに助け合う、

小さな出来事ではありますが、大きな優しさに恵まれていること、そして、家も住めなくなった人たちでも、すでに前向きに生活を始めてることなども知ることで、被災者の立場になって多くの事を学んだ、と、知り合いが言っていましたが、まさにその通りだと思っています。

まだ全面復旧にもならず、大したことはしてないのですが、ここへきて少し疲れも出てきましたので、コメントはしばらくお休みします。

初めにも書きましたが、本当に多くの皆様のお優しい心に触れることが出来て支えられてると、心強く思っています。
お一人おひとりにお礼を申し上げることはできませんが、このブログから、kinshiroの感謝の思いをお汲み取り頂ければと思っています。

本当に色々とありがとうございました。










コメント
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