金四郎 たのんまっせぇ~

夫、老柴犬金四郎と南房総に移住して16年を過ぎ、今や身も心もすっかり房総人。亡き愛犬との思い出と共に綴る日々の出来事

金四郎のその後と母

2016-09-17 14:50:56 | 健康のこと 人間、犬
3日間ほど留守にしました。

高校時代の同期会ゴルフをかねて、一か月ぶりに母に会って来ました。

金四郎の膀胱炎のひどさに、一度は断ろうと思っていたのですが、おかげさまで急激にと言っていいほど症状は改善され、ほとんど夜、ロクに寝ていなかった体には良いストレス解消になると・・・夫も当たり前のように留守を引き受けてくれたので、かなり心身の休養は取れたカモ・・・。


金四郎は14日、膀胱炎の診断後の診察で、桿菌の種類は大腸菌だ、ということでした。

それならば、今、頂いてる抗生物質で十分、効果があるので、再発防止を含めてあと2週間の服用となりました。普段から、抗生剤などを飲んでいなかった金四郎の場合は、大体の抗生剤でこの類の菌には勝てるそうなので、助かりました。

以前、皮膚炎のひどかった時はステロイドと抗生剤はタイアップして出されていましたが、春前に夫のステロイド拒否で、やめ、それ以上炎症も見られなかったので抗生剤も飲ませなかったのが功を奏したようです。

14日の午後に出かけた時は、少し緩めのうんpで、外でさせて帰ってきた夫も ちょっと困った顔していましたが、昨日午後帰宅した時は、その日の明け方(午前2時ころだったらしいのですが明け方?・・まぁ言葉尻はとらずね・・)にはコロッとしたよいウンpをオムツの外に転がしてたから、ちゃんとおしりを拭いて、オムツをした・・・と。

最近の夫は、金四郎には花丸であります♪

そして母・・・

ホームについたのは5時前で、もう食堂のテーブルについていました。
私の顔を見るなり、あぁという声を出して嬉しそうでしたが・・・今回は名前もちゃんと出ました。 夫の名前も、娘と息子の名前もね・・・でも・・お正月の時に言っていた、息子が私の息子だったとは・・・を繰り返してね^^;

食事も、一人ではできますが、両手が震えて、箸やスプーンを持つとやはり力が入るの、極端に震えて、なかなか口元もでゆかず、口を出して食べに行くさまは、見ていて少し悲しい物が有りました。

お向かいの上品なご婦人方も、私に気の毒そうに「見ているとイライラするでしょ?」なんて・・・皆さん、この時の事しか覚えていらっしゃらない感じの方ばかりですが、それでも感じる物はあるのですね。

口も上手く回らず、しっかりと動かさないでしゃべるし、言葉も途切れるので、意味が通じないことが多くて・・・お向かいさんもそれを思うらしいのです。
だから・・

「本当にお世話になります。 耳も遠いので、意思の疎通がうまくいかないと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします・・・」と頭を下げたら

「いえいえ・・お母様は、このお年にしたら、ちゃんと召し上がるし、ご立派ですよ。」なんて・・・ホっ・・デあります。

「つい4年前までは、この町に70年住んでて婦人部の文化部の部長までしていたのですけど、通うのが大変になってやめたら、とたんに下り坂になりまして・・・」とちょっと母の名誉の為に言いました。

お向かいお二人
「あらぁ~~!!まぁ・・素晴らしい!! 私もこの町にずっと住んでるけどほんの40年、かないませんわね・・」 って、まぁ年配のご婦人たちのお話は・・・ですね♪

実は、その前にこのうちのおひとりが、近くの方に、オヤツの時にこぼしたまま席を立ってるから、片づけて・・とか 何となく口うるさく注意してるのを見たのです。
言われた方は、無表情で、うんうんとうなずいてるだけでしたが、その方が食事を終えて立ち上がってもその場を、向かい側から伸び上ってみてて・・・・
だから・・こんな食べ方をする母の後はかなり汚れもあるでしょうから・・・イヤミなど言われるとかわいそうな気分も手伝って、娘はつい余計なことを・・・

でもね・・その方
「いいわねぇ・・娘さんは・・娘でなければ、こんなところ来ませんよ・・・」とか もう一人の方も

「私は息子しかいないけど、本当に滅多に顔も見せないの・・・お宅は本当にお子さんがいらして、娘さんは行き届いて・・・年は取りたくないわね・・成れの果てですよ!」と、半分、寂しげにまた、うらやましげに言うのです。

「いえいえ、私たちも、これから行く道です。 それにこちらのお世話になれるだけ、お子様も奥様方もお幸せですよ」と私
「でもねぇ・・娘はいませんからね・・お母様の思いはできないわ・・」と・・・たまにしか来られないご家族がほとんどだと思います。
我家は、兄たちが近いので、時間が有れば来てるから・・・確かに母は・・ね。

母を車いすに乗せて動くときに、恨めし気にそう話す方々に

「何も役に立ちませんが娘代わりのことは致しますよ」
と申し上げたら、

「あらぁ~~♪、なんて嬉しい言葉でしょう! あらぁ・・なんだか本当に嬉しくなるわ♪」って・・・

みんな、みんな、寂しいんですよね・・・手厚く、行き届いたケアをされてても・・・背中にその声を聴きながら、涙が出そうになりました。

翌日朝、兄が実家の方に来て、色々と話しましたが、彼も母を自分の手で最後まで看てあげられないことを少し後ろめたくおもうのか

「前はあんなじゃなかったのに、たった3か月であれだから・・・と・・」

「あのね・・お兄さん、生きてるって、お母さんがここまで生きてこられたことだけどもすごいことだし、お兄さんのこの決断が無かったら、みんな倒れてるわよ・・私たちだってそんなに若くないし・・お兄さん花丸だとおもう」って私

「僕が!?」「そんなことは無いと思うけど・・・」と言いながら、目の奥に薄く涙をためてホッとしたような兄の顔。

他の兄弟たちの手前もあって、兄嫁とのこともあって、長兄は本当に大変だったと思うのです。

結婚当初から、義父母と、ただでさえ面倒くさい義母と26年の月日を過ごしての私の経験から言える言葉だと思います。

その日(昨日)午前中、母の所に行ったら、車いすで同じ階のホールの皆さんといて、テレビが付いていましたがコックリコックリとしてるのです。
髪の毛も短くカットされて、その後ろ姿には胸が締め付けられそうになりました。

でも、起こしたら、嬉しそうにして、自力で自室まで行かせて、ちょっと持って行ったお菓子を食べてから、母のなんだかよくわからない、どうも食事の内容と自分の食べ方が、始末の仕方の事らしいのですが・・・聴いてね・・。

・・で、母に
「お母さんドイツ語で歌える歌が有ったでしょ?」といった途端

振り絞ったような地声でローレライを 全部、ドイツ語で歌ったのです♪

すごいすごいと 母を誉め、体中をさすりながら、こんな歌は?こんな歌は?と、「ふるさと」「赤とんぼ」「われは海の子」「海」と次々、私が口を大きくあけながら小さな声で歌うと一緒に歌うのです♪

手が震えるので施設でさせて下さるお習字や、折り紙など、上手く出来なと嘆いていましたが、歌は歌えるので、好きなことはまだまだできる・・・心から嬉しく思った時でした。

また、金四郎の様子を見ながら、母にも会いに行かなくちゃ…娘なんだもんねぇ~~^0^


今日は写真も有りませんし、コメントをお返しする気力も足りませんので、お休みしますね。



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