虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

スローターハウス5/カート・ヴォネガット・ジュニア

2007年09月03日 | 
伊藤 典夫訳
ハヤカワ文庫 SF

 作者が今年の4月に亡くなった為か、書店平積みになっていたのでまたしても購入。今読むと前にも増して苦味が強く感じられた。
 ドレスデン空襲にドイツの捕虜になったアメリカ兵として「空襲される側」を体験した作者がそこここに顔を見せながら語る時空の行ったりきたり。
 作中で繰り返される"So it goes."(訳中では「そういうものだ」)は、人間のあるべきでない現実を見てしまったものの呻きのように聞こえてくる。

 15年前に読んだ時に皮肉だと思った文章が全然皮肉ではなかったですね。それこそ「そういうものだ」というため息の様に感じる。
 例えばキルゴア・トラウトの著作の中の「宇宙人の福音書」のくだり‐キリスト教徒が見せる残虐性は福音書の構成による物だとする宇宙人の考え方。リンチにかけた人物(キリスト)が重要人物(神)にコネを持った人物だった。このことは裏返しに次のような意味を持つ…リンチにかけるならコネのない人物…
 これほど残酷を感じる本だったんだなあ…

 映画のほうは、実はテレビ放送の吹き替え版しか見ていない。画面小さいし、音も貧弱な環境でしか見ていない。それに映画だから当然だけど、主人公が本の描写よりもきれい過ぎだし、なんともいえぬ悲劇の最期を遂げるエドガーという人物のイメージがどうにも違う。
 とはいえ、空襲のシーンは原作の押しつぶされるような圧迫感を十分に伝えるものではないのだろうが、天上の楽のようなバッハのゴルトベルグ変奏曲が流れる画面からは、「人間は何でもしてしまうんだ」という事実の圧迫感が迫ってくる。

(ちなみに日本は大空襲の責任者に戦後に勲章授与してますが、こういうのは戦後レジームの脱却したらどう評価します?)


最新の画像もっと見る