虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

屍鬼二十五話 -インド伝奇集-/ソーマデーヴァ

2005年10月16日 | 
上村勝彦訳
平凡社

 10年もの間、毎日宝石の入った果物を王の元へ持ってきていた修行僧にそのわけを尋ねた王は、その僧が呪術を完成するための協力者が必要だというのを聞き、助力を約束する。
 それは夜の墓地から木にぶら下がっている屍骸を運んでくるというものだった。

 というわけで、勇者である王様は、屍骸をかついて運ぶのですが、その屍骸が屍鬼です。死体を動かす鬼で、キョンシーのような感じもします。
 屍鬼は運ばれながら、様々な話をして王に「これはいかに」と問うのですが、王様がそれなりの回答をスパッと出すと、また元に戻ってしまいます。懲りない王様は何度も何度も同じことを繰り返し、二十三話まで収録されています。それでやはり戻って木にぶら下がったところで終わっています。解説によれば、それなりの解決大団円はあるらしいです。
 でも、これは言ってみれば千夜一夜形式のお話を一夜のうちの繰り返しにした、そういうスタイルのストーリーテリングも存在するのでしょう。
 トーマス・マンなどのヨーロッパの文学者にも影響を及ぼし、これを翻案した小説も多々あり、訳者は原文が素晴らしい、と賛辞を送っています。
 私はインドは文学も伝統もさっぱりわかりませんが、読んでいて性愛描写がかなりストレートであること、そのわりに下世話でないのと、王の道徳観がやはり階級性にしっかり根ざしていること、また善悪や責任の基準、ものの考え方が違うなあ、と思わせられること度々でした。

 海中都市の女性との結婚など、まるで浦島太郎のようなものもありますが、違いは主人公が王様なことです。その異世界への道を見つけるのは家来身分ですが、どうも身分の高い人しか幸せになる権利が無いみたいです。

 他にも女と食と布団と、それぞれに繊細な兄弟が誰が一番繊細かを競う話とか…ええと「豆の上に寝たお姫様」のようですね。
 一番上の兄は食事に繊細で、火葬場のある村で育った米がわかってしまう。二番目は女に繊細で、子どもの頃ヤギの乳で一時育てられたので、最高の美女なのに山羊臭くてやだ。末っ子は身代に七枚の蒲団とシーツを重ねても一本の毛で身体に傷がつく。
 なんだかどうでもいいようなことばかりですが、王様はその繊細さを褒め称えてご褒美をくれたのでみんなその後幸せに暮らしました…実はその競争は、父の葬儀のための亀を誰が捕まえるかが発端だったのに、父親の葬儀は忘れられたようです。

 他にも、一人の美女がいて、父親が王に差し出そうとしますが、あまりの美しさに家来が王様が彼女に夢中になっては世の乱れと「凶相がある」と報告し、そのため彼女は王の妃でなく将軍夫人になります。
 ところがある日、彼女を見た王様は恋煩い。将軍は王に妻を譲ろうとしますが、「そんなことは出来ない」と王が断るので、将軍は自殺します。しかし王様は将軍の妻に恋焦がれつつ、しかし我が物にすることはみっともないからといって、とうとう焦がれ死にしてしまいます。
 この話については、「将軍が妻を差し出すのがあたりまえで、王様が偉い」というコメント付きです。(少なくとも当時の)インド人でなくて良かったと思います。

もともと私は伝奇好きで、これも説話類似のものという感覚で、面白く読めました。
1978年の発行なので、図書館の隅にはあるかもしれません。