学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「その気」にさせる話

2020-07-10 16:40:48 | 日記
アメリカの教育者、ウイリアム・ウォード(William Arther Ward)の名言はよく教育に関して引き合いに出される。アメリカ南部、ルイジアナ州に居を構えた人で牧師としても活動していたという。現役の頃、よくこの人の話をしたのだが、社会が変化してオンライン授業などが云々される今日この頃、教育、そして教師の役割とはなんだろうかとふと考えてみた。僕といえばすでに現役を引退して現場から遠ざかっているものの、時々教育現場のことが相変わらず気になるのである。とにかくウォード氏が教育の意味を問う中で教師に残した名言は以下のようなものである。
(1)普通の教師は言わなければならないことを喋る(2)良い教師は分かりやすいように説明 する(3)優秀な教師はやってみせる(4)偉大な教師は生徒の心に火をつける
僕が大事にした最後の(4)番は人をその気、やる気にさせることである。学ぼうとする者、自らが心に火を付けることができるように鼓舞するという意味だ。
さて逆に、学ぼうとする者の姿勢に対しての話が日本に存在している。日本には「手習い」という言葉があって、学問や修行、また稽古事などを意味するのだが、江戸時代の後期に国学者として活躍した小田山与清という人が書いた『松屋筆記(まつのやひっき)』という書物の中に “手習いは坂に車を押すごとし” という記述がある。勉強や稽古事は手を抜けば坂を押し上げている荷車のようにすぐに下ってしまうと戒めている。僕は大学時代に大学野球連盟に関わったことがあった。僕の大好きな野球というスポーツの選手達の練習を見ているとこの言葉が確信をついていると思ったものだ。練習とは熟達への道を切り開いてくれる。ちょっとサボれば元に戻ってしまうのだ。僕は若い頃、もう半世紀前アメリカ人の学友に教えられてギターを弾くのが好きだった。今、またその気になって練習を始めたけれど、指が痛くて弦を長く抑えられないのだ。何かに挑戦していてこれを読んでくれているあなた、僕は少しは君の心に火をつけられただろうか。