学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「使い捨て」と「使い切り」

2020-07-24 20:15:24 | 日記
“マスク「ポイッ」誰が名付けた使い捨て” (私柳川柳)
我が家の家の周りの路上に捨てられているゴミがタバコの吸殻のポイ捨てから別のものが加わってそれが少しずつ増えてきた。使い捨てのマスクである。我が家の付近だけかと思っていたら、運動を兼ねて自転車で近くの駅まで出かけてみると、やはり状況は同じである。雨が多い最近では捨てられたマスクを車がひいて悲惨な状態で周りに散らばっているものもある。
ポイ捨ては英語では littering(リターリング) と言って国によっては罰金の対象となる。日本はまずゴミ箱を見つけるのが大変だ。1995年のオームサリン事件をきっかけに一時は駅や町のすべての街角からゴミ箱が消えた。爆発物が仕掛けられないようにと,それ以降はますますゴミ箱は姿を消すようになってしまった。僕の家の近くには小学校も中学校もある、ゴミに関して公衆道徳のようなものは教えないのだろうか。道徳感の薄い大人を見習って子供たちも右習えで同じようにポイ捨てをやっているのを何度も見かけた。情けないことになったものだ。
問題は「使い切り」のものを「使い捨て」という言葉を使うことで物を捨てやすくなったのではないかと最近は思うようになった。[ “使い捨て方式の”という意味の英単語は disposable (ディスポゥザブル)で紙コップ、オムツ、お箸、などとくっつけて desposable paper cups, disposable diapers(ダイパーズ), disposable chopsticks などと使う] 僕はこれらのもののネーミングに失敗したのではないかとこの頃思う。「使い捨て」の意味を使い終わったらその場で捨てろ、などとは思っていないとは思うが、そこら中にゴミを撒き散らす人は言葉の意味を誤解しているのではとすらおもわせる。
まぁ使い捨ての物はできる限りキチッとゴミとして処理しましょう、と訴えることで話を終えるとして僕は物を “使い切る”ということを大切にしたいと思っている。壊れたりして使えなくなったものは処分することにしてできる限りは使い切るという意識を持っていようと思っているのだ。自分も脳味噌(?)やエネルギーを使い切って、人生を生き切って、死を迎えたいと考えている。I want to be all used up when I die.( 死ぬ時には全てを使い切った状態で…)