文大統領はなぜ「旧ソウル駅舎」で光復節を迎えたのか
今年で76回目を迎える光復節の慶祝式が開かれた「文化駅ソウル284(旧ソウル駅舎)」は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の表現どおり「痛みと涙」がしみついている場所であり、かつ「夢と希望」が宿る歴史文化遺産だ。
「文化駅ソウル284」は121年前の1900年の京仁鉄道開通に伴い、同年に南大門(ナムデムン)停車場として開設した。1923年に「京城」駅に改称され、1925年には新しい駅舎が竣工した。雄壮なドーム屋根に西洋式のアーチが調和した、当時としては非常に異国的な建物だった。日本が華麗な駅舎を建てたのは、日本の威勢を宣伝しようという意図もあったが、ソウル駅を日本と満州、欧州を繋ぐ前哨基地にしようとの戦略もあった。日本は当初、東京駅ほどの規模にする計画だったが、関東大震災の影響で規模と予算を減らし、工期も計画より延びたという。
植民地の重要インフラとして建てられたが、この場所は独立運動家たちにとっては闘争の空間でもあった。1919年の3・1独立運動当時は、最多人数の1万人あまりが京城駅で万歳運動を繰り広げた。京城駅は姜宇奎(カン・ウギュ)義士の抗日義挙の現場でもある。1919年9月2日、当時65歳だった姜義士はウラジオストクから爆弾を密かに持ち込み、新任の朝鮮総督として赴任する斎藤実に向かって爆弾を投じた。爆弾は外れて未遂に終わったが、姜義士は死刑を言い渡された。現在、文化駅ソウル284の公演場の前に韓服のトゥルマギ(上に羽織る外套)を着て立ち、右手には爆発物を持ち、左拳を固く握りしめている銅像の主が姜義士だ。
京城駅は解放後の1947年にソウル駅に改称され、旧ソウル駅舎は2004年の新駅舎完成後に閉鎖された。2008年からは京城駅の初期工事の写真にもとづき、原型への復旧工事が開始された。ソウル駅は2011年8月に「文化駅ソウル284」という名で生まれ変わる。284とは旧駅舎の史跡番号で、1981年に歴史的価値が認められ、史跡に指定されている。その後、複合文化芸術空間として生まれ変わったこの空間では、様々な展示、公演、文化イベントなどが開催されている。
文在寅大統領の就任後、光復節慶祝式は場所を変えながら開かれてきた。2017年には世宗(セジョン)文化会館、2018年には龍山(ヨンサン)の国立中央博物館、2019年には天安(チョナン)の独立記念館で行われた。昨年は、朝鮮時代の訓練都監の跡地であり、1945年に「大韓民国臨時政府凱旋全国歓迎大会」が開かれた東大門運動場の跡地に建てられたソウルの東大門デザインプラザ(DDP)で行われた。
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