このクアッド体制を主導しているのが日本だということだ。米国の保護のもとで成長した日本の極右勢力は、「中国包囲」の名分で東アジアを対決に追い込み、過去の栄光を取り戻す道を開こうとしている。

2022-05-03 10:29:29 | アメリカの対応
 

[レビュー]

日本の右翼の「歴史挑発」を煽った「サンフランシスコ体制」

登録:2022-04-29 10:43 修正:2022-04-30 06:58
 
サンフランシスコ条約発効70周年を迎え 
体制の成立・展開・帰結を総体的に分析 
 
戦犯国日本、米国の「冷戦と反共のパートナー」に 
「東アジアの領土紛争も米国が意図した」
 
 
『サンフランシスコ体制を越えて-東アジアの冷戦と植民地・戦争犯罪の清算』キム・ヨンホ他 著、メディチメディア刊//ハンギョレ新聞社

 『サンフランシスコ体制を越えて-東アジアの冷戦と植民地・戦争犯罪の清算』 
キム・ヨンホ他 著|メディチメディア刊|3万8000ウォン

 今年は戦後の東アジアの国際秩序を規定した「サンフランシスコ体制」が構築されて70年になる年だ。サンフランシスコ体制とは、第2次世界大戦の戦犯国である日本が米国をはじめとする戦勝国と「サンフランシスコ講和条約」を締結したことによって成立した体制をいう。同条約は1951年9月に48カ国が署名し、翌年4月に発効した。本書『サンフランシスコ体制を越えて』は、サンフランシスコ条約自体に内包された問題と、サンフランシスコ体制が起こした問題を一つひとつ明らかにする論文集だ。東北アジア平和センター(キム・ヨンホ所長)が中心となり、2016年から2019年まで4回開かれた国際会議で発表された論文と、この企画に合わせて書き下ろした論文をまとめた。サンフランシスコ体制の成立とその体制が東アジア秩序に与えた影響、そして東アジアの市民社会の対応と関連して、すべて重要な争点を盛り込んだ論文だ。論文執筆者として、韓国(キム・ヨンホ、チョン・ビョンジュン、イ・テジン、イ・ジョンウォン、イ・ジャンヒ、カン・ビョングン、キム・ソンウォン、オ・シジン、キム・チャンロク、ペク・テウン、ノ・ジョンホ)、日本(和田春樹、原貴美恵)、中国(徐勇、胡徳坤、石源華)、米国(チャールズ・アームストロング、アレクシス・ダデン)、オーストラリア(ガバン・マコーマック)など学者25人が参加した。サンフランシスコ体制の問題点を指摘する論文はこれまでもあったが、この体制の成立と展開、帰結を総体的に追求し論じた著作は同書が初めて。

 サンフランシスコ講和条約は、最終締結まで6年という長い時間がかかった条約だ。著者のキム・ヨンホ氏は、同条約が締結されるまで日本に対する米国の態度が3段階を経て変わったと述べる。第1段階(1945~1947)では戦犯国である日本を解体することに重点を置いたが、第2段階(1948~1949)で米ソ冷戦体制に入ると、ソ連を排除し日本と単独講和を結ぶ方向に転じた。続いて第3段階(1950~1951)では中国本土に社会主義体制が樹立され、朝鮮戦争が勃発すると、日本を冷戦と反共の最前線に立つパートナーにした。日本は最大戦犯国の地位から脱し、米国の東アジア戦略の最大同盟国となった。こうして戦争犯罪者の大多数が免罪符を受け、戦後の日本再建の主役となった。

 サンフランシスコ条約締結の過程で浮かび上がった問題はこれだけではない。注目すべきは、日本の侵略と支配で最も大きな被害を受けた韓国と中国が、同条約を締結する当事者として参加できなかったという事実だ。韓国は南北が分断されており、韓国が参加する場合は北朝鮮も参加しうるという理由で排除され、台湾と本土に分かれた中国も、代表性に問題があるという理由で除外された。日本の侵略による一番の被害国が、条約の主役になれなかったのだ。にもかかわらず、このように成立したサンフランシスコ体制は、東アジア秩序を規律する枠組みとなり、韓国を束縛した。例えば、1965年の韓日国交正常化の際の「請求権協定」は、サンフランシスコ条約に基づいて結ばれた。その後、日本は請求権協定の文言を口実に、日本による植民地時代の韓国人被害者に対する賠償責任がないと主張している。韓国が参加もできなかった条約が、韓国の足を引っ張っているかたちだ。

 
 
サンフランシスコ講和条約締結の場面。1951年9月8日、米サンフランシスコで48カ国が参加して署名し、1952年4月28日に発効した。この条約に基づいて成立した国際秩序をサンフランシスコ体制という=ウィキメディア・コモンズ//ハンギョレ新聞社

 さらに決定的なのは、サンフランシスコ条約が歴史問題と領土問題を解決せずに葬ったという事実だ。日本の植民地支配の責任問題を不問に付すことで、「慰安婦問題」や「徴用者問題」を解決する道を塞いだのだ。米国は、日本を反共と冷戦のパートナーにすることだけに没頭し、アジアの他の国々が日本の侵略によって受けた被害を追求し、その罪を問うことには関心を示さなかった。同書によると、米国は東アジアを支配しようとする意図のもと、日本と他の国々の間で領土問題を棚上げにした疑いが持たれている。その代表的な事例が独島(ドクト)だ。当初、米国は講和条約の準備初期に独島を韓国の領土と明示した。しかし、この文言は最終的に条約からは消えてしまった。独島だけでなく、南シナ海のスプラトリー諸島(南沙諸島)とパラセル諸島(西沙諸島)も、最初は中国に帰属する領土のリストに入っていたが、後に曖昧に処理されてしまった。この問題を指摘した日本の学者、原貴美恵氏(カナダ・ウォータールー大学教授)は、米国は冷戦戦略により、これらの島々が韓国と中国に帰属するのを防ごうとしたとし、このように述べている。「講和条約の曖昧な文言は不注意のせいでも、ミスのせいでもなかった。むしろ、このような問題は意図的に未解決のまま残されたのだった」。米国が領土紛争と歴史紛争を起こす素材をわざと残しておいたことで、東アジア諸国の争いを煽り、「分割支配」に利用したという指摘だ。

 こうして成立したサンフランシスコ体制は、戦後数十年間、東アジアを規定する国際関係の枠組みとなった。しかし、韓国をはじめ東アジア諸国の民主化と人権意識の伸張は、同体制に大きな打撃を与えた。日本軍「慰安婦」被害者や強制徴用被害者の証言と訴訟が相次いだ。サンフランシスコ体制が封鎖していた歴史問題が前面に登場したことで、この体制の内的矛盾が深まり、韓日関係は最悪の水準に後退した。サンフランシスコ体制を越えて東アジアに新たな共同秩序を作らなければならない理由が、よりいっそう切実になったのだ。しかし一方で、揺らいでいるサンフランシスコ体制をより大きな次元で復元しようとする動きも加速している。米国と日本がオーストラリア、インドを引き入れて作った安保協議体クアッド(Quad)がそのような動きを示している。中国包囲を目指すこのクアッド体制について、イ・ジョンウォン教授は「サンフランシスコ体制2.0」と呼ぶ。サンフランシスコ体制に代わるさらに拡張されたバージョンだということだ。

 注目すべきなのは、このクアッド体制を主導しているのが日本だということだ。米国の保護のもとで成長した日本の極右勢力は、「中国包囲」の名分で東アジアを対決に追い込み、過去の栄光を取り戻す道を開こうとしている。そのため、いま東アジアはサンフランシスコ体制を越えて前に進むか、それとも過去の冷戦秩序に逆行するかの岐路に立たされている。日本の極右勢力と米国の覇権勢力が率いるクアッド体制が全面化した場合、南北の和解と平和の道はさらに遠ざかる。筆者らは、東アジアの市民・人民が力を合わせてこの時代の逆行の流れを阻止し、「東アジア共同体」に向けて進まなければならないと強調する。

コ・ミョンソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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