シン・ドンピルさんの写真展「もう一度行ってみた朝鮮学校」が、ソウル忠武路(チュンムロ)のギャラリー・ブレッソンで28日まで開かれている。

2021-09-18 10:30:11 | 日朝韓友好親善のため

[インタビュー]

「朝鮮学校の子供たちの澄んだ瞳が忘れられず、また撮りました」

登録:2021-09-18 07:43 修正:2021-09-18 09:35
 
ドキュメンタリー写真専門家シン・ドンピルさん
 
 
シン・ドンピルさんが今月16日、写真展の会場で10年ぶりに再び日本に滞在して記録してきた「朝鮮学校」の写真を紹介している=チェ・インギ氏提供//ハンギョレ新聞社

 「36年間以上、疎外された人々や歴史の裏道に捨てられた人々を写真に記録し、国内外に伝えてきました」

 シン・ドンピルさんの写真展「もう一度行ってみた朝鮮学校」が、ソウル忠武路(チュンムロ)のギャラリー・ブレッソンで28日まで開かれている。16日に電話でのインタビューでシンさんに写真展の趣旨を聞いてみた。

2000年代初期、20回ほど日本を訪問
2009年に朝鮮学校を写した写真集を発刊
2019年、芸術家ビザを取得し日本に常駐
「無償教育差別デモの現場を撮り、怒りがこみ上げた」
「もう一度行ってみた朝鮮学校」今月28日まで展示

4つの「在日本プロジェクト」が引き続き推進中

 
 
2018年4月27日、朝鮮学校の関係者らが名古屋地方裁判所の前で日本政府の「無償教育差別政策」に抗議している=シン・ドンピルさん提供//ハンギョレ新聞社

 彼が初めて写真に関心を持ったきっかけは、大学生時代だという。学校の内外で民主化デモが行われ、数十人のカメラマンが撮影しているのを見たが、奇妙なことに、その翌日の新聞には写真が1枚も載っていなかった。そこで、直接撮らなければならないと考えたことが、「写真家シン・ドンピル」の始まりだった。それから36年間、彼が扱っているテーマは、非転向長期囚、炭鉱村、韓国人原爆被害者、そして在日本プロジェクトだ。

 特に、今回の写真展に関係する在日本プロジェクトは、具体的にどのような内容なのだろうか。シンさんは「日本軍慰安婦ハルモ二(おばあさん)、ウトロ、大阪のコリアンタウンの鶴橋など、徴用された1世から在日コリアン4世までを合わせた幅広い問題がある。今回の写真展は、そのうち、現在進行中の重大な事案である在日コリアンの民族学校についてのものだ」と述べた。

 在日コリアンの近現代史において、朝鮮学校は欠かすことのできない問題だ。在日コリアンは、日本で子孫に我々の言葉と文字を教えるために民族学校を設立した。日帝強占期時代(日本による植民地時代)にアイデンティティを守ろうとする国語講習所から始まった民族教育は、屈することなく在日コリアンの民族的自尊心を守ってきた。

 彼は、日本で暮らしながら日本社会に同化されないのは、極めて難しいことであり、その根本の動力は民族教育にあったことに共感するようになり、写真で記録を始めた。2001年から2004年まで20回ほど日本に行き、朝鮮学校を訪れた。2009年には、その写真で初めて写真集を作り、発表した。

 心残りは少なくはなかったが、京都40番地、慰安婦ハルモ二、三菱など他の写真を撮るため、その後は朝鮮学校については10年ほど心の片隅に置いていた。しかし、朝鮮学校の子供たちの澄んだ瞳を忘れられなかったという。2019年、日本政府から芸術家ビザを取得し日本に居住できるようになると、すぐに彼は再び朝鮮学校を撮り始めた。

 15年前に小学生だった子供たちがその学校の先生になった事例も多くの目にした。今回の写真展にも、その先生の写真が掛けられている。展示作のなかには、彼自身が撮影しながら怒りを覚えた場面もいくつかあったという。日本全域にわたり、何度か敗訴となった無償教育差別裁判に関連するデモ現場の写真が代表的な例だ。「日本の組織文化とは、他人のことには気を遣わず順応することだ。日本国内の在日コリアン社会でも、集団で声を出すことは珍しい。日本を長期間見てきたが、このように列島各地で行われる無償教育差別デモは、驚くべき光景だった。高齢のおばあさんが拳を握りしめ手を上げてスローガンを叫ぶ場面、裁判の結果に失望し、声を上げて泣いた30代の女性などの場面がいまだ目に浮ぶ」

 シンさんは「ウトロ地区だけについては、韓国政府の支援もあり、テレビなどのメディアにもしばしば登場するなどの内外の高い関心と支持のおかげで、勝ち取った成果は少なくない。一方、今もなお厳しい戦いを続けている日本国内の朝鮮学校に対する無償教育差別裁判問題については、よりいっそう高い関心が必要だ」と強調した。

 
 
シン・ドンピルさんの写真展のポスター。写真は2018年に退勤する愛知中高級学校の教師の姿=シン・ドンピルさん提供//ハンギョレ新聞社

 彼は、まず8月に故郷の原州(ウォンジュ)で、韓国民族芸術団体総連合(民芸総)の江原(カンウォン)支部の企画で、在日本プロジェクトの一部を展示できた。次は全国的に伝えたくなった。クラウドファンディングサイトのタンブルバグでのクラウドファンディングを通じて、目標額の200万ウォン(約19万円)を集めることができ、そのおかげで今回のソウルでの展示を行うことができた。

 今後の計画についてシンさんは「今回の朝鮮人学校以外に、現在準備している4つの写真プロジェクトがある。日本軍慰安婦問題、原爆被害者、三菱重工業徴用労働者、ウトロがそれだ」。彼はあせっているようにみえた。どれ一つとして軽いテーマではないため、追加でクラウドファンディングをしたり私費を投じてでも、展示をして写真本を出し広く知らしめたいと述べた。最後に彼が力をこめて言った。「伝えなければ、いつか忘れられる」。

クァク・ユンソブ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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