どこ吹く風

旅のことを主に書く。

口にしたもの

2006年04月13日 07時02分50秒 | マチュピチュ
 南米らしいペルーらしい食べ物も食べた。
キヌア、稗粟のようなモノで米粒の半分も無いほどの大きさである。キヌアスープになったり、乾煎りするのか炒めるのか知らないが、ポップコーンのように爆発させた感じのものをヨーグルトに入れて食べた。
味は何も無いので味はと聞かれても答えようが無い、表現のしようがない、言葉の貧困かもしれないけど。
 穀物と思ったが、”キヌア(キノア)はほうれん草と同じアガサ科の一年草です。”とある。穀物ではないのかな。

 キヌアを初めて食した後キヌアキヌアとはしゃいでいる方がおられた、何故かと不思議に思ったが、検索してみると栄養価が玄米や粟と比べて優れている。TV番組で紹介されたのだろうか。

 クイ、モルモットの種類のようで、レストランの調理人がモルモットと説明していた。ようするにネズミ大きなヤツと考えればいい。から揚げ風にして煮込んだ野菜料理に入れてあった。
物珍しさも手伝い何回か取りに行き食べた。小骨が付いていたが肉は美味しい、何処の部位か知らないがネズミなら腿肉が美味しいだろうと想像しながら食べた。

子供の頃パチンと挟む式のネズミ捕りで掴まえたヤツをオフクロが食べさせてくれた。肉も乏しい頃だったので美味しく感じた、汁気もタップリで赤みががっていたがクイはフライになっているので黒焦げているしカタイ。遠い子供の頃を思い出しながら食べた。

 家ネズミを食べた話をすると奇異な目で見る、このクイなら問題なく聞いてくれるだろう、殆んど同じだろうに。ご婦人方も抵抗無く喰らいついていた、気分雰囲気食用ネズミと割り切っているのだろう。

 チチャ、トウモロコシをアルコール発酵させた飲物です。
原料はトウモロコシで、発芽させてその時出来る糖分を発酵させて作るようだ。発酵菌は入れるのかどうか聞かなかった。昔の日本では噛み砕き唾液に含まれる酵素で発酵させたのでアンデスでも同じ方法ではないかと思われる。

 マチュピチュへ向かう道すがら家の前に赤いビニール袋を竹竿の先に付けたのが目に付ついた。祭礼の用具なら全戸にあるはずだが不規則に立っているのでガイドに問うとチチャを飲ます家の目印とのことであった。

 オリャンタイタイボ遺跡のある村でもあちらこちらの門口に赤い印が表示されている、ここではビニールの替わりに花をつかっている家が多い、これが昔ながらのホンモノの表示だそうだ。
ガイドから味見の提案があったので皆さん賛成し帰り道で一軒の家に寄った。

 そこには老婆と娘さんが居り、甕からコップに移し入れて試飲させてもらった。少し色が付いていて甘みが残った薄いアルコール飲料だ。爽やかな味がした。フィリピンで言えばトゥバだろう。

 飲む作法があり、初めのひと口は山の神に捧げるために指でチョンチョンと弾くようにあたりに撒く。山の神に祈ってから口をつける、いい飲み方だこれから酒を飲むときは神に感謝しながら飲もう。

 それらの他にアルパカの肉とかピスコという酒など初めて口にするものもあった、この事はいずれ・・・ということで。

写真はクイの飼育風景です。

トイレ

2006年04月12日 05時13分48秒 | マチュピチュ
 トイレの形や使用方法は同じであるが、その使い方に違いがある。
ペーパーを流してはいけないのだ。ただこれだけの事だが守るのはムツカシイ。習慣とは恐ろしいもので、坐るまでは横にあるボックスに入れようと思っていても、尻を拭いたら自然に指を開きペーパーを落としてしまう。

 アッと思うももう遅い、ペーパーは水に浮いている。慌てて拾おうとしたこともある、ほんの少し水面上に出た部分を掴んだが重み耐えきれず切れてしまった、その上水が指に着きそうになった。
尻を拭いたら手を離す、これが習慣になっているのでボックスまで持っていくまでには相当な意識と日時を要した。

 ペーパーを流していいのはリマのホテルだけだった。紙をそのまま流すと詰まるそうです、私の行った先で汚水管が詰まったら責任の一旦の極僅かは私の所為でもある。常日頃尻を拭き終わった紙を便器から外に出した事が無いので、一瞬の気の緩みで紙を落としてしまった、トイレに入る時にあれほど考えながら入ったのに習慣に負けたのも多かった。
 トイレを使うのにやはりお金が必要だった。もちろんタダのところもある。あるガソリンスタンド、コンビニが併設されているところだが、そこのトイレを使ったとき子供が入口に立っているので皆お金を渡して入った。
私はコンビニを廻って皆が済ませてトイレがガラガラになった頃行くと子供はいない。そのまま用を足した、その子供はスタンドや店と全く関係ない場所にいる。バスの出入り口やコンビニの入口に子供たちが寄って来て小遣いをせびる。あの子もその手の子供のようだと気づいた。

 ホテルを含めてウォッシュレットは殆んど無かった。最終日に泊まったリゾートホテルではホースの先に栓が付いている手動式ウォッシュレットだったので、ペルーでの普及はこれからだろう。
 「写真参照」

 観光地では0.5ソルが相場だった、1ドルが約3~3.5ソルなので安いか高いかは考え方による。クスコ名物の直径30cm近くあり厚さも3~4cmあるパンが2ソルで買えるので参考にするといいでしょう。

 また中には便座が無い所もあった、その場合の使用法はタイやフィリピンで経験したハズだが忘れてしまい、オロオロした。中腰で済ませたこともあったし、上に後ろ向き、前向きで坐ったこともある。
どのようなトイレでもあれば未だマシな時もある。食い物や水の所為でどうにもならないときが出てくる、そうならないように気をつけるのみ。

 肛門括約筋が最大に活躍し冷や汗タラリで内股歩きを強いられたときのことは思い出したくもありません。(笑)

行って来ましたペルーまで

2006年04月11日 05時45分53秒 | マチュピチュ
写真はホテルから見たリマの夜明けです。

 「ペルー世界遺産大紀行11日間」は現地ペルーでは7泊で、残りは機中泊ということです。
往復同じコース、成田ートロントーリマだが日付変更線を超えるので往復の日数が奇数になる。この辺りがどうも理解しがたい、時差はムツカシイ。

 ペルーはマチュピチュ、チチカカ湖、ナスカの地上絵を見るのが今回のツアーの目的です。他のサイトを調べてみると10箇所の世界遺産があるようです。今回訪問した地域で4箇所が世界遺産に登録されているようです。

 繁栄していたインカ帝国を僅かの人数のスペイン人によって征服崩壊された哀しい歴史を見るのだから複雑な心境になる。インカを消す為にインカの宗教破壊をした、つまり心の破壊をしたキリスト教には複雑な思いがする、特にインカの重要な施設をぶち壊して教会を建てるやり方は今考えても納得出来ない。
支配の論理としては分かる、イチバン最適な方法だろうから。

 折りしも大統領戦況の真っ最中だった。我がニッポン国籍のフジモリ大統領の功罪も問われているようだった。光の部分だけに目が行っているが強権政治を行なったとか、その末期の腐敗政治にも目をやり検証してから彼の評価をし、ペルーへの援助を考えるべきだろう、日本政府は。
ただ日系だから何でもかんでも彼を支援するという政府の姿勢は良くない。今でも大勢の日系人が彼の地で住んでいるのだから近視眼的に見るのではなく長い目で見た方が良いと思う。

 貧民街や虐げられているであろう人々も車窓からではあるがチラッと見えた。かつてあれだけの帝国を築いた人の末裔とは思えない。ピサロ以来変わっていない面がある。見るのは哀しいものだ。
歴史は辛いものだ。

 現代では選挙という手段でしか自らの生活を変えられない、民意を反映する人が大統領になって欲しい。政治システムが良くなれば国民生活も良くなる国、底力のある国に見えるので不満を票にしよう。
それがダメなら銃があるさ、コカを噛んでぶっ放そう。

 私は高山病対策になるし力も出るということでコカの葉を何回か噛んだが、その効き目は実感できなかった。もっと年季を積まねばならないのか。
時差ボケでアタマは廻らないがこれから行った先の事を書いていきます。