8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

初打ち

2009-05-19 04:54:19 | インポート

昨日、今シーズン初めてゴルフ場に行って来た。場所は岩見沢市栗沢町のM's Golf Clubで、数年前から参加している「M's会」というサークルのコンペである。

同コンペは、4月からはじまり今回は本年度2回目であったが、8703は一回目は他の行事と重なって参加できなかった。

第2回目のコンペに参加を決め、先週から数回練習場に通い、いざ本番。当然のごとく悪戦苦闘の連続であった。

しかし、8703は最近、ゴルフそのものに対してやや消極的になり、諦めの境地(向上心の欠如)に向っていたのだが、そのような気持ちを叱咤激励される一日であった。

一緒にプレイをしたO氏、8703とは始めてのラウンドであったが、明らかに年長者である。プレイ後に友人が教えてくれたが、72歳とのこと。

そのO氏が見事に優勝した。グロス87、飛距離といいパターといい、どれをとっても8703が足下にも及ばないO氏のプレイ振りであったが、「諦めるにはまだ早いぞ」と勇気付けられたものである。

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雨煙別小学校

2009-05-16 09:39:34 | インポート

栗山町立雨煙別小学校(旧角田村立雨煙別小学校)は8703が入学し、小学校4年生までを過した学校である。1998年に閉校になったが、木造二階建ての校舎(1936年建築)は、11年間取り壊されずに残されていた。

8703は時々近くを通り、時には車を降りて立ち寄って懐かしんでいた。廃校になった校舎が11年間も原型のまま保存されることは珍しいことである。地域住民の人たちが強く望んだ結果と聞いている。

しかし、年と共に老朽化は増して原型保存が難しくなり、この度体験型宿泊施設として蘇ることになった。先般、信長貴富氏と共に完成間近の同施設を見学したが、何と、校舎外形の原型は保たれていた。8703は何とも言えぬ嬉しさと懐かしさを覚えた。

また、生徒玄関前にあった二宮尊徳像が撤去されていることに一抹の寂しさを感じていたところ、車で移動を開始して間も無く、信長氏から「あっ、尊徳像があります」の声、なんと尊徳像は場所を変えて残っていたのである。8703は、幼馴染の住む雨煙別が更に愛おしく感じた。

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島よ

2009-05-11 23:50:35 | インポート

合唱曲として知られている「島よ」(伊藤海彦 詩 大中 恩 曲)が書道作品になった。平岡高等学校の菅原 宏先生(前 大麻高校合唱部顧問)からいただいた情報である。

大麻高校では、「芸術発表会」の中で書道部と合唱部のコラボレーションを行っている。世に広く親しまれている「愛唱歌」を書道作品として展示し、その作品の前で合唱を披露するという試みである。

書道部は伊藤龍子先生の指導で、一昨年は「椰子の実」、昨年は「里の秋」を大きな作品に仕上げ、合唱部は菅原 宏先生の指導で、その作品の前で合唱を披露してきた。

そして、今年3月の合唱部定期演奏会で合唱曲「島よ」を歌うことになり、その詩に大変興味を持った伊藤先生が「島よ」三部作を完成させた。その書道展の案内である。

第一作は「第50回北海道書道展」会員作品展(札幌市民ギャラリー)4月29日~5月3日に出品された。

第二作が 「北のかがやき2009 北海道書道展第50回記念展」に出品される。

 期日 6月19日(金)~30日(火) 9:30~17:00(入場は16:30まで 月曜日休館)

 会場 北海道立近代美術館(札幌市中央区北1条西17丁目)

 入場料 高校生以下無料、当日700円、前売り600円

 問い合わせ先 北海道書道展事務局 ℡011-210-5735

第三作は「毎日展」(東京)に出品予定である。

なお、伊藤龍子先生(書家名 福森龍子先生)はバイオリニスト伊藤光湖さんの御母堂である。

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祈りの場

2009-05-09 18:18:31 | 合唱

Tokyo Cantat2009のコンサート「合唱曲百花繚乱~放送局が咲かせた合唱の花花」で、構成・台本を担当した蓬莱泰三氏が、そのプログラムに次のように寄稿している。8703の思いに通じところであり、合唱人に勇気を与えてくれる言葉である。

祈 り の 場

蓬莱 泰三

 合唱に通底しているのは、祈り。

 もちろん、合唱が、その起源と発展の過程において、宗教と深くかかわっていることは周知のことだが、非宗教的で卑俗な曲であろうと、合唱されたことばや声は、必然的に祈りの響きを帯びる。

 思いを合わせ、声を合わせ、こころを合わせてうたうとき、合唱する行為そのものが祈りとなる。

 私たちヒトは、懲りもせず、おろかで無残な歴史を繰り返す。いまも、物欲と征服欲の亡者のような連中の、邪悪なたくらみと戦と失敗によって、世界中がひび割れてしまっている。

 その暗く冷たい裂け目で、ヒトの独りひとりは自分にしがみつくしかなく、ただ自分の中に閉じこもり、他者と思いを通わせることも、声を通わせることも、こころを通わせることも忘れつつある。祈りも失せようとしている。はびこっているのは、不信と敵意と、無気力で救いのない孤独。

 いまこそ高らかに合唱しなければいけない。合唱することで、きのうに思いを馳せ、きょうを見据え、あすのために祈らなければいけない。合唱すれば、未知の他者とも、思いを合わせ、声を合わせ、こころを合わせて、祈ることができる。

 Tokyo Cantat はそんな祈りの場だ、と私には思える。

 みなさんの真摯な祈りの響に身を浸せる日が、待ち遠しい。

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合唱の花

2009-05-06 22:34:46 | 合唱

4月29日の「まなみーる合唱セミナー2009」から始まって、5月2日の「競演合唱祭からみんなの合唱へ・・・」、5月3日「合唱曲百花繚乱~放送局が咲かせた合唱の花花」、そして、5月5日の「クロージング・コンサート」と、全身に合唱のシャワーを浴びたように感じる一週間であった。

優れた人に出会い、優れた作品に出会い、そして、優れた演奏に出会うことが出来た。これぞまさしく、筆舌に尽くしがたい、というのが実感である。

               

         Tokyo Cantat 3人の招聘講師(プトニンシュ、オルトナー、キャリントン)

 

 

 

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