
長嶋茂雄選手を初めてみたのは1957(昭和32)年、長嶋さんが立教大学4年.私は高校2年生の時である。場所は北海道砂川市東洋高圧球場。当時砂川市には社会人野球の名門東洋高圧砂川チームがあった。そのチームとの練習試合をするために東京六大学の強豪立教大学がやって来たのである。当時の立教大学は砂押名監督の下に長嶋、杉浦、本屋敷等、後にプロ野球界でも大活躍する選手が揃い六大学の常勝チームであった。試合は両チームの投手が好投して6回までは無得点であった。そして7回表トップバッター長嶋が特大のホームランを打って立教が勝利した。ちなみに7回からエース杉浦が登板すると打球はほとんど外野へ飛ぶことがなかつたことも印象に残っている。この時以来、私は熱烈な長嶋茂雄ファンになつた。
上の写真は2000年(平成12年)長嶋監督が初めて背番号3をファンに披露した時のものである(現役引退以来26年ぶり)。