えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:『名付けようのない踊り』 脚本・監督 犬童一心

2022年03月21日 | コラム
・ことば以前の対話について

 どうしてこの人はどの舞台でも天を仰ぐのだろう、と『名付けようのない踊り』へ断片的に切り取られた田中泯の肢体に思った。場面は田中泯のナレーションに合わせてアニメーションへと切り替わり、灰色に薄暗い河原へ白く女の裸体が浮かび上がっている。

「美しく煌めく記憶の列の中にバサッバサッと父が仕掛けた記憶が、まさに「写真」そのものとなって、ぼくの身体に残された。
 それは、屍体。
 (中略)
 ぼくは、その場と屍体を自分の身体に引き受けた。」

 警察官であった田中泯の父が何を思って土左衛門が上がるたびに息子へわざわざそれを見せたのかはわからない。わからないけれども、筋肉を突っ張らせて震える田中泯の手は命の最期の残照のようで、見開いた瞳は視界こそ目の前の現実を見てはいるものの、視点はこの世を通り抜けたどこかを見つめているようだった。生きながら死に死にながら生きる呼吸の間に、ごく自然に翻る優雅で強靭な足捌き手捌きが彼の踊りの最初の一歩であるモダンバレエの振る舞いを想起させる。それで我に返る。壁に凭れかかり日に焼けた老人の腕と脛を剥き出しにして気持ち顔を空に向けている田中泯の脇をポルトガルの人々が一顧だにせず過ぎ去る光景もまた自然だ。彼に気づいた時、彼を見つめる時に初めて通行人は観客となることができる。

 二〇一七年から二〇一九年にかけての田中泯の公演(この言葉が相応しいかはわからない)のカットを中心に、アニメーションを絡めて彼の人生と活動を表現した映画が『名付けようのない踊り』だ。タイトルは田中泯がかつて敬愛するロジェ・カイヨワに踊りを披露した時、カイヨワが田中泯に与えた賛辞から取られている。カイヨワを以てしてすら「名付けようのない」と名付けるしかなかった踊りともいえるだろう。役者として邦画やドラマに出演した記録を挿し挟みながら現代に到る踊りの道程を綴っていく。新型コロナウィルス感染症がなければ二〇二〇年に予定されていたチェコの舞台も映像に収める予定だったとパンフレットには書かれていた。共産国であった時代のチェコで、反体制側のために密かに踊ったという複雑さは興味深いだけに残念だが、インタビューが充実しているので十分かもしれない。満開のさつきの植え込みに埋もれ、天国のような桃色の花に半身を埋め、少しずつ寺へと近づいていく。

 田中泯の踊りは衝撃的なカットが何枚もあるにも関わらず、どれも田中泯という人物の押し売りではないところが非常に稀有だと思う。全身の毛を剃りペニスを布で巻いてそこらへんの路上に蠢き警察に補導されても、黒い油まみれになって目が開けられなくなり色と相まって仏像のように半身が床と天井の間に浮かぶように留まっていても、観客がそこに見るものは踊りである。「名付けようのない」とはただ「踊り」であって、「田中泯の」という固有名詞すら外される名付けようのなさなのだ。だからこそ観客の感受性へじかに油を挿すことができる。観客自身の心を回す潤滑剤として踊りは無個性なかたちとなるのかもしれない。ポルトガルの海へねずみ色の着流しで夕日と向かい合い、天を大きく仰いでその腕が鋭角な肘だけの三角形を形作るその影は、天から抱きしめられているようにも見えた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ・物言わぬ姿 | トップ | :読書感『編集者とタブレッ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事